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絶望貧乏暮らし/絶望ライン工 独身獄中記 第75回

  • 2026.8.5

『絶望ライン工 独身獄中記』を読む

この連載は100回まで続けることを目標としている。

100回目を迎えるその日まで、読者諸君には是非お付き合い頂きたい。

しかしながら私の生業は執筆でも動画投稿でもなく工場勤務の会社員、無理せず自分の歩幅で歩むことを大切にしてきたつもりです。

普通に働きながらあれこれ手を出して小銭を稼ぐのは性分に合ってはいるが、光の速度で移動しない限り時間は有限であるという現世の理が毎度毎度の壁となる。

本来は動画にして皆に披露したい内容を思いついても、それに関わる時間が足りなかったり人手や許諾等のアレコレが大変だったりして泣く泣く没ネタにした内容が随分とある。

実際没理由の大半は倫理観に欠けるという内容がほとんどだったりするのだが、ギリギリいけそうで断念したモノに「絶望貧乏暮らし」なる草案がある。

様々な要因で動画にできなかった「絶望貧乏暮らし」の内容を、本稿では詳しく取り扱う。

没ネタを供養するとともに皆様の反応を観測する目的があるからです。

私の動画チャンネルではこれまで貧乏というワードを極端に避けて来た。

実際貧乏じゃないからね。お金持ちでもないけれども。

本当に貧困に苦しんでいた初期の動画を除き、貧乏です!貧困!苦しい!助けて!お金がない!スパチャ!グッズ!メンバーシップ!って発信したことはないんじゃあないかと思う。

普通に自炊し楽しく暮らしているつもりでも「貧乏なフリをしている」と不快に思う方がいるのも事実、そのようなお叱りをコメント欄で頂戴する機会も多い。

批判は甘んじて受け入れる覚悟であるが、その数あまりに多すぎた。

貧乏なフリすんな。貧乏人を馬鹿にしている。金あるクセに。貧乏ぶるな。

そこで私は考えました。

「自分の考える、思いっきり貧乏なフリをした動画を作ったらどうなるんだろう?」

これが導入部になるのだが、なんかもうダメっぽい様相を感じる。

面白いとは思うけど、これを映像にすることはさすがに出来なかった。

でもそのうちやりそう。その時は許してください。

肝心な内容だが、思いつく限りの貧乏暮らしを演出し皆の同情を引く事を目的としている。

例えば絶望ライン工は1日に400gのジャガイモしか口にできないと設定する。

北朝鮮の配給量より僅かに少ないが、貧乏をコンテンツとして売るならそれくらいは覚悟すべきだ。

朝は蒸かしたイモに塩を付けて食べ、弁当に2つ持っていく。

夜はすり下ろしたイモに葱を加えてフライパンで焼き、醤油をかけてチヂミにして食べる。

これは分かりやすくとても貧乏だ、いかなる貧困系配信者でもここまでの徹底は見たことがない。

翌週はこうだ、絶望ライン工はインスタントラーメンしか食べることができない。

5食200円の袋麺にあれこれ工夫をして食べる。

鶏卵を落とす、キャベツの葉を入れる、もやしを入れる、残ったスープに飯を入れておじやにする・・・なかなか説得力のある画が撮れるだろう。

鍋のまま掴んでそのまま食べる演出を入れることも忘れない、貧困系といえばこれだぜ。

そして絶望もやし生活。

1袋29円の豆もやしで暮らす。もやしスープ、もやし炒め、もやしおひたし、もやし焼きそば、焼きうどん。

フライパンで湯を沸かしてもやしを茹で、焼肉のタレをかけて麦飯と一緒に弁当として持っていく。

休日はもやし焼うどんを3食分作り、昼と夜の分をフードパックに入れて1日テレビゲームに没頭する。

動画として投稿したら多くの人の同情を引くことができそうだ、そして叩かれそう。

これらは全て、筆者が過去に経験している暮らしである。

鍋掴んで食べたりフライパンで湯を沸かしたりはしない、それらは演出上のフィクションであり、実際はドンブリと箸でラーメンを食べるし、お湯はタイガー魔法瓶「わく子さん」で沸かす。

何故このような暮らしをしていたかというと、間借りしていたスタジオ家賃を捻出するためである。

つまり本当に貧乏だったわけではなく(本当に貧乏だったけど)、苦しみながらもまだギリギリ暮らしを楽しむ余力があった。

じゃあ本当に貧乏な人の暮らしはどうであるかというと、彼らは一切貯金をしない代わりに毎日高いコンビニ弁当を食べている。

煙草は吸うし飲みにも行く、パチンコ打ってマッチングアプリに課金している。

なけなしの金で賭場に行き、勝てば風俗負ければカードローン。

某清掃工場で出会ったオッサンは皆このパターンの貧困だった。

しかしながらこの内容では「貧乏暮らし」としては成立しなさそうだ。

実際のリアリティを追求すればする程、動画としての説得力に欠く内容になっていく。

我々が思い描く分かりやすい貧乏と、実際のそれでは随分と乖離がある。

現実の弱者は救いたい形をしていない。

それ故に私は「貧乏なフリ」と言われるらしい、毎日飯を炊いて味噌汁を拵えるのは大変な贅沢であると皆知っているのだ。

この贅沢な暮らしを1日でも長く続けるために、目の前の代わり映えしない日常があるのだと感じる。

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