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#36 遠井吾郎(阪神)オールスターで“奇跡の”ランニングホームラン

  • 2026.7.27

◎1970年7月21日 広島市民球場

全パ 0 4 0 2 0 0 0 0 0 =6

全セ 0 0 1 4 0 3 0 0 X =8

HR(全セ)三村1号 遠井1号

かつて、いしいひさいち原作のアニメ映画『がんばれ!! タブチくん!!』の中に「タブラン」という言葉が登場し、流行ったことがあった。劇中では超鈍足として描かれている「タブチのランニングホームラン」の略で、「絶対あり得ないこと」の喩えだ。それを知ったタブチが激怒してダイエットに励み「本当に打ってやる!」と意気込むというストーリーだった(念のため言っておくが、田淵幸一は決して鈍足ではなかった)。

おそらく、この話のモデルになったと思われるのが、阪神タイガースひと筋で20年間(1958年〜1977年)プレー。恰幅のいい体格と温厚な人柄で“仏のゴローちゃん”と呼ばれた遠井吾郎である。左打者でクリーンアップも打ち、1962年・1964年のリーグ優勝にも貢献した。1966年には長嶋茂雄と首位打者のタイトルを争ったこともある。

ただネックは守備と走塁で、遠井は一塁手だったが、いつもベースカバーが遅れるため、一塁ベース近くに張り付いて守るようになった。大きく空いた一・二塁間の守備はセカンドがカバーしていたというから相当である。また走塁が遅くアウトになっても、阪神ファンは「ゴローちゃんやったら、しゃあないか」と納得。そんな“特別な”選手だった。

そんな遠井が1970年のオールスターゲームに監督推薦で選ばれ、3度目の出場を果たした。第1戦の試合前、遠井は全セの指揮をとる巨人・川上哲治監督からこんな言葉を掛けられた。「遠井君、ベンチから見ていると、足がちょっと速くなったような気がするのだが……」。球界を代表する大監督にからかわれたら、普通なら恐縮してしまうところ、遠井はさすが肝が据わっていた。「まあ、監督より僕の足が速いのは確かですわ。なんなら駆けっこしてもよろしいですよ」と言い返し、ベンチは大爆笑に包まれたという。

そして広島市民球場で行われた第3戦で“奇跡”が起こる。4回、2死から代打で登場した遠井は、右翼線を鋭く破る打球を放った。「これならゴローちゃんでも二塁まで行けるで!」と沸き上がるセ・リーグベンチ。そこで“まさか”が起こる。打球を処理しようとした右翼手・ジョージ・アルトマン(ロッテ)が転倒! 悪いことは重なるもので、中堅手・白仁天 (東映)のカバーも遅れたためボールは外野を転々とした。太鼓腹を揺すりながら二塁を蹴った遠井。「おお! 三塁打や!」とさらに沸くベンチ。外野から返球は来ず、三塁コーチもグルグルと腕を回す。なんとなんと、遠井はそのままホームイン。「球宴ランニングホームラン」の快挙を達成してしまったのである。

遠井はゼーゼー言いながらベンチへ帰ると、こう言った。「……死ぬかと思った」。これでまたベンチは大爆笑。川上監督も腹を抱えて大笑いしていたという。「足がもつれて、頭がクラクラした」という遠井はこの試合、6回にも逆転タイムリーを放ってMVPに輝くというオマケもついた。さまざまな偶然が重なったとはいえ、遠井がオールスターで永遠に語り継がれる伝説を作ったことは確かだ。

いわゆる「イジられタイプ」の選手だった遠井は、後輩にも「ゴローちゃん」と呼ばれていたそうで、そんな後輩たちを遠井は可愛がり、自身が大の酒好きだったこともあって、よく飲みに連れて行ったという。田淵や藤田平などは特に可愛がられたそうだ。

こんな伝説もある。球宴ランニングホームランを打った1970年、この年から阪神はエース・村山実が兼任監督を務めることになった。チームを引き締めようと、遠征の際の門限も厳しくした村山新監督。オープン戦で岡山遠征に行った際、遠井は例によって後輩たちを連れ出したが、飲み過ぎたのか門限を10分ほど過ぎてしまった。怒った村山監督は、宿の玄関に遠井たちの荷物を放り出し「お前ら、もう大阪に帰れ!」と一喝。震え上がって平身低頭の若手たちに対して、遠井は「わかりました」と言うと、本当に荷物を持って夜の街に消えていったという。上の階からその様子を見ていたナインは、みんな拍手喝采したとか。

とはいえ夜中だし、すぐ宿に戻って来るだろうと思っていたら、遠井は深夜になっても帰って来なかった。球団スタッフやナインが慌てて遠井を探しに行ったところ、駅前の深夜喫茶で大イビキをかいていたというから、本当に憎めない人だ。引退後も阪神の1軍打撃コーチを務めた遠井。前回、掛布雅之の打撃練習に黙々と付き合った話を紹介したが、掛布が「なんで何もアドバイスしてくれなかったんですか?」と尋ねると「3割を打ったことがない俺が、お前に何を言う必要がある? 俺にできることは、しっかり見ることだけや」……遠井は2005年、ガンのため65歳で逝ったが、本当に野球が好きで、後輩思いで、誰からも愛される人だった。

<チャッピー加藤>

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