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スペイン代表ラミン・ヤマルの両親とは? 父・母の苦労と“天才”を育てた家族の物語

  • 2026.7.16
FRANCK FIFE / Getty Images

現在開催中のワールドカップ(W杯)で快進撃を見せるスペイン代表。その中心で輝きを放っているのが、18歳のラミン・ヤマルです。

2024年の欧州選手権(EURO)では、わずか16歳でスペインの優勝に大きく貢献。EURO史上最年少のゴールスコアラーとなり、大会の最優秀若手選手賞を獲得しました。

2年後となる今回のW杯でも、その勢いは止まりません。サウジアラビア戦で得点を決め、W杯の試合で先制点を決めた18歳以下の選手として、1958年のブラジル代表ペレ以来、史上2人目となる快挙を成し遂げました。

そんな彼の故郷は、バルセロナから約30キロ離れたスペイン・カタルーニャ州の街、マタロにあるロカフォンダという労働者階級の地区。所属チームのFCバルセロナでは、6歳でスカウトされて以来、同クラブのユースアカデミーで育ちました。

今回は若きスター、ラミン・ヤマルの両親であるムニル・ナスラウィとシェイラ・エバナについてご紹介します。

ラミンの母、シェイラ・エバナ

1月に行われたFCバルセロナ対レアル・オビエドの試合でのエバナ David Ramos / Getty Images

ヤマルの母、シェイラ・エバナは赤道ギニアのバタ出身です。彼女はスペイン・カタルーニャ州へ移住し、飲食店でウェイトレスとして働いていました。

ヤマルが3歳の時に両親は離婚。その後、母は息子を連れて同州内のグラノジェースへ移り住み、一方で父のナスラウイはマタロに残りました。そのためヤマルは2つの街を行き来しながら育ちました。

エバナは朝から晩まで働いていたため、ヤマルは子供時代、母と過ごす時間がとても短かったと当時を振り返っています。ポッドキャスト番組『Resonancia de Corazon』で、彼は当時の日常をこう語っています。「学校に行って、帰宅し、自分のサッカーの練習に行き、そして夜、練習から帰ってきた時にやっと母に会える、という生活でした」

しかし、どんなに仕事で疲れて帰ってきても、母は必ず彼に食事を作ってくれたといいます。「母は仕事ばかりで一緒にいる時間はあまりありませんでしたが、夜に帰宅するといつも夕食を作ってくれました」と同番組で語っています。

2024年、EURO優勝後の母親とヤマル Jean Catuffe / Getty Images

プロとして大成功を収めたヤマルはその後、バルセロナの高級住宅街、エスプルゲス・デ・リョブレガートに母親のための家を購入しました。ちなみにこの物件は、かつてFCバルセロナのレジェンドであるジェラール・ピケが、当時のパートナーであった世界的歌手のシャキーラと10年間暮らしたこともある大豪邸。このような豪華な家を贈った理由について、彼はインタビューでこう語っています。

「母が住みたいと言った場所に家を買いました。母は僕の女王ですし、あらゆるものを手にする価値がある人です。母への恩返しこそが、僕がこの世界で一番望んでいることなんです」

ヤマルはまた、父方の祖母と父親にもそれぞれ家をプレゼントしています。

ラミンの父、ムニル・ナスラウィ

2025年4月のスペイン国王杯(コパ・デル・レイ)、レアル・マドリード対FCバルセロナの試合後のナスラウィ Soccrates Images / Getty Images

ヤマルの父、ムニル・ナスラウィはモロッコのララシュ出身。彼がスペインの地を踏むまでには、家族の苦労がありました。先述のインタビューで、ヤマルは父方の家族がモロッコからどのようにしてスペインのマタロの街に辿り着いたかを語っています。

「最初にスペインへやって来たのは祖母でした。モロッコからのバスに忍び込み、なんとかマタロに辿り着いたんです。父はモロッコに残っていたので、父を呼び寄せるために祖母は3交代制で身を粉にして働きました。少しお金が貯まった後、ある女性にお金を払って、当時3歳だった父と父の妹(叔母)をスペインへ連れてきてもらったんです」

ヤマルを育てながら、父のナスラウィはスペインで肉体労働をして家計を支えました。その後、ヤマルが代表チームに入る際、父親のルーツであるモロッコ代表としてプレーする権利もありましたが、最終的にスペイン代表を選択。この決断は、大きな議論を巻き起こしました。

スペインのスポーツ紙『MARCA』のドキュメンタリー番組では、彼が育ったマタロのロカフォンダ地区の人々が、「スペインを選んだことで、父のナスラウィは周囲のモロッコ人からひどいバッシングに耐えなければならなかった」と証言しています。

2024年のEURO後、父親とポーズをとるヤマル Jean Catuffe / Getty Images

スペイン代表の元スポーツディレクターであるアルベルト・ルケも、2025年3月の番組『El Larguero』で、当時のプレッシャーについて語っています。

「モロッコ代表の監督がヤマルの関係者のもとへわざわざ足を運び、モロッコ政府も彼を説得しようとしていました。それでも私たちが彼と話したとき、彼は『僕はヨーロッパチャンピオンになりたい。プレッシャーがありますが、スペインでプレーしたいんです』と言ってくれました」

さらにルケは、父のナスラウィがその選択によって個人的な代償を払っていたことも明かしています。

「彼の父の状況はもっと複雑で、私に『モロッコでは自分は殺されるだろう』とまで言っていました。公にはできないような裏話もいくつか聞いています」

2024年8月、ナスラウィはマタロの駐車場で何者かに刺される事件に巻き込まれました。怪我は軽傷で、警察が容疑者4人を逮捕しましたが、この襲撃の動機は現在も不明のままです。

複雑な過去を乗り越え、18歳という若さで世界の頂点を目指すラミン・ヤマル。このW杯でのさらなる飛躍に期待が高まります。

From Town & Country US
Translation: Tomoko Takahashi

※この翻訳は抄訳です。
※この記事は2026年7月16日時点の内容です。

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