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「男性器そっくりのキノコを燃やす」ダーウィンの娘の趣味が奇妙すぎた

  • 2026.7.11
Credit:Generated by OpenAI’s DALL·E,ナゾロジー編集部

進化論で知られる英国の自然科学者、チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)。

彼には、ヘンリエッタ・リッチフィールド(1843〜1927)という実娘がいました。

彼女は父の重要著作の編集を手伝うほど知的な女性でしたが、その一方で、かなり風変わりな趣味を持っていたと伝えられています。

その趣味とは、森の中で男性器そっくりのキノコを狩り、家に持ち帰って燃やすというものです。

彼女はなぜ、そこまでしてキノコを燃やしていたのでしょうか。

目次

  • なぜ男性器そっくりのキノコを燃やしていたのか?
  • 奇妙なキノコの学名は「恥知らずな男根」
  • 奇人であり、ダーウィンの重要な編集者でもあった

なぜ男性器そっくりのキノコを燃やしていたのか?

ヘンリエッタ本人の写真がこちら

1900年代初頭のある暖かな秋の日、ヘンリエッタ・ダーウィンは、ロンドンから南西に約48キロ離れた田園の村ゴムシャル近郊の森を歩いていました。

手にしていたのは、籠と棒です。

彼女は湿った落ち葉の積もる地面を注意深く見回しながら、あるものを探していました。

やがて、森の中に何かが腐ったような臭いが漂ってきます。

ヘンリエッタが臭いのする方向へ目を向けると、地面から細長いキノコが突き出していました。

彼女が探していた「スッポンタケ(stinkhorn)」です。

スッポンタケは、細長い柄と丸みを帯びた先端を持ち、その姿は男性器によく似ているとされます。

ヘンリエッタが探していたスッポンタケ/ Credit: commons.wikimedia

さらに表面は粘液に覆われ、腐った肉のような強烈な臭いを放ちます。

ヘンリエッタはキノコを掘り出すと、籠に入れて家へ持ち帰り、誰かに見られる前に燃やしていました。

彼女が姪のグウェン・ラヴェラットに語った理由は「家で働くメイドたちを守るためだった」というものです。

あまりにも卑猥な形をしたキノコを見れば、メイドたちの道徳心が乱され、場合によっては健康まで損なわれるかもしれないというのです。

もっとも、ラヴェラットの回想によると、ヘンリエッタは目をいたずらっぽく輝かせながら、この説明をしていたといいます。

本気で道徳上の危険を心配していたというより、奇妙なキノコ狩りそのものを楽しんでいた可能性が高いようです。

ラヴェラットは後に、ヘンリエッタが生み出したスッポンタケ狩りを「爽快で健全なスポーツ」と、愛情を込めて表現しています。

奇妙なキノコの学名は「恥知らずな男根」

ヘンリエッタが標的にしていたスッポンタケには「ファルス・インプディクス(Phallus impudicus)」という学名があります。

これはラテン語で「恥知らずな男根」を意味します。

1753年にこの学名を付けたのは、生物の分類体系を築いた博物学者カール・フォン・リンネです。

その名前の通り、スッポンタケは古くから性的なイメージと結びつけられてきました。

しかし、このキノコの奇妙さは外見だけではありません。

スッポンタケは最初、地面に白い卵のような姿で現れます。

この卵状の幼菌の内部には、折り畳まれたキノコの組織が圧縮されています。

水分を吸収すると、それがバネのように一気に伸び、場合によっては1時間以内に成長することもあります。

スッポンタケ/ Credit: commons.wikimedia

胞子の広げ方も独特です。

多くのキノコは空気中に胞子を飛ばしますが、スッポンタケは傘の表面を臭い粘液で覆い、その中に胞子を混ぜています。

腐肉に似た臭いに引き寄せられた昆虫が粘液を食べ、別の場所で胞子を含む排泄物を出すことで、分布を広げるのです。

さらにヨーロッパや北米では、スッポンタケをめぐる奇妙な伝承が数多く生まれました。

男根に似た姿から、豊穣や生殖力を高める媚薬と考える地域がある一方、性的な堕落や悪魔、病気の象徴とみなす地域もありました。

卵状の幼菌は「悪魔の卵」や「魔女の卵」と呼ばれることもあり、家の近くに生えると家族に死が訪れるという迷信まで存在しました。

ヘンリエッタも、植物学書などを通じて、スッポンタケにまつわる卑猥で不気味な伝承を知っていた可能性があります。

当時の上流階級には、使用人を病気だけでなく、道徳的な堕落からも守る責任があるという考え方がありました。

避妊手段が限られ、未婚の女性にとって妊娠が生活を大きく揺るがしかねなかった時代です。

そのため、「メイドたちの道徳を守る」というヘンリエッタの冗談には、当時の階級意識や社会観も反映されていたのです。

奇人であり、ダーウィンの重要な編集者でもあった

スッポンタケを追い回していたという逸話だけを見ると、ヘンリエッタは単なる風変わりな女性に思えるかもしれません。

しかし、彼女はチャールズ・ダーウィンの研究と著作を支えた、重要な知的協力者でもありました。

1843年に生まれたヘンリエッタは、ダーウィンに10人いた子どものうちの1人です。

科学的な議論と知的好奇心に満ちた家庭で育ち、若いころから自由意志や神、死後の生命といった哲学的な問題について深く考えていました。

20代後半になると、父の原稿を頻繁に読んで、文章や構成を修正するようになります。

特に大きく貢献したのが、ダーウィンが進化論を人類に適用した著作『人間の由来と性に関連する選択』(1871)でした。

ダーウィンは1870年に送った手紙で、ヘンリエッタが原稿を完全に理解し、内容を「白日のように明瞭」にしてくれたと感謝しています。

ヘンリエッタと兄のウィリアム/ Credit: en.wikipedia

本が出版された後にも、書評家がその明快で力強い文体を評価していることに触れ、「この点について、私がお前にどれほど多くを負っているか分かっている」と伝えました。

ダーウィンは謝礼として20~30ポンド相当の贈り物を申し出ています。

これは当時としてはかなり大きな金額であり、彼が娘の編集作業を単なる家族の手伝いではなく、本格的な貢献として評価していたことを示しています。

ヘンリエッタはその後も、『チャールズ・ダーウィン自伝』の一部に携わり、母エマ・ダーウィンの手紙をまとめた書簡集を編集しました。

また、若い女性たちと交流し、科学書や知識を分かち合うことを好んでいました。

中には、『種の起源』の草稿の一部を贈られた女性もいたといいます。

ヴィクトリア朝の科学は、ダーウィンのような著名な男性だけによって作られていたわけではありません。

家庭の中で原稿を読み、議論し、文章を修正し、知識を次の世代へ伝えた女性たちも、その発展を支えていました。

ヘンリエッタは、その存在が長く見えにくくなっていた女性協力者の1人だったのです。

参考文献

Charles Darwin’s daughter had an unusual hobby: Hunting phallic mushrooms
https://www.popsci.com/science/henrietta-darwin-litchfield-stinkhorn-mushrooms/

ライター

千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。

編集者

ナゾロジー 編集部

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