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村上春樹「小説を書くことは治癒行為である」。読者はなぜデビュー作『風の歌を聴け』を読むと心地よくなってしまうのか【書評】

  • 2026.7.2
風の歌を聴け 村上春樹 / 講談社(表紙:佐々木マキ)
風の歌を聴け 村上春樹 / 講談社(表紙:佐々木マキ)

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僕は文学に関する『斉藤紳士の笑いと文学』というYouTubeチャンネルを運営している。

文学についてのランキングや情報を毎日投稿しているのだが、軒並み視聴回数が伸びるキーワードがある。

それが『村上春樹』である。

村上春樹の著作を取り上げると一定数の視聴は確約される。昨今ではイギリスを中心に日本文学が見直され、村田沙耶香や柚木麻子の名前が海外で多く聞かれるようになった。だが、やはり『村上春樹』のネームバリューは健在なのである。

今回はそんな世界的な日本の小説家、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を取り上げたいと思う。

実は僕がこの『風の歌を聴け』についてダ・ヴィンチWeb上で語るのは2回目である。前回は、この話自体が登場人物を含め、全てが「対比」構造になっている点について言及した。重複するので内容は割愛するのだが、その対比構造が故にいわゆる『考察好き』の心をくすぐったのだと書いた。また、物語の冒頭に登場するデレク・ハートフィールドなる架空の作家の顛末は小説家として生きていくと決めた村上青年の覚悟のようにも思えたとも書いた。前回「考察など忘れて、この物語に吹く風を感じてほしい」と結ばせてもらったのだが、それはあくまで読み方のひとつの提案でしかない。

今回は、この物語が小説家・村上春樹の原点であり、また『1973年のピンボール』や『羊をめぐる冒険』へと続く『鼠三部作』の嚆矢としての役割について話していきたいと思う。

まず『風の歌を聴け』の簡単なあらすじから。

物語は二十代最後の年齢になった「僕」の8年間の追想である。それは1970年の8月8日から26日までの18日間の話で、僕は港街に帰省し、ジェイズ・バーに友人の「鼠」と入り浸りの日々を過ごす。登場人物も少なく、回想で登場する人物を除けば、僕と鼠とジェイズ・バーのマスターのジェイと小指のない女の子の4人だけである。

爽やかな青春の一ページを描いた軽快な作品とも読めるが、それぞれが重要な問題を抱えていて陰があり、それぞれが細い糸で繋がっていて、その糸がどこかしら絡まっている印象がある。その「絡まった糸」を解きたくなった読者がいわゆる「ハルキスト」に変貌していったのかもしれない。そこに答えはないのだが、村上春樹は物語を巧みに「混線」させる。蛸足配線のように絡まるのは記憶の中の「仏文科の女の子」と眼前の「小指のない女の子」だったり、鼠のセリフとラジオDJのセリフだったりする。物語の中に配置された事象はどこかでうっすら繋がっている。そして、物語の進展とともに複雑に移動し、やがて絡まってしまう。その捻れた動きは物語の枠を超えていく。

三部作の中を移動し続ける僕や鼠だけでなく、双子のモチーフや直子という存在は初期の村上春樹作品の重要なメタファーになっている。

明確な主題を名状する訳ではなく、程よく読者に余地を与えるのが巧みなのである。そのファジーな主題のひとつに「入口」と「出口」の対比がある。そのことに最も言及しているのは『1973年のピンボール』なのだが、そこでは入口と出口が備わっているものとそうでないものが列挙される。

前者は郵便ポスト、電気掃除機、動物園、ソースさしなどが挙げられ、後者は鼠取りが挙げられる。

鼠取りという出口のない装置は一体何の象徴なのだろうか。当然、登場人物である「鼠」が関係しているのだろうが、この奇妙な名前の友人の存在が読者の好奇心を駆り立てる。

なぜ「鼠」なのか、彼は本当に存在するのだろうか?

デビュー作からの三作品に『鼠三部作』という名前が付けられるほど重要な人物でありながら、その詳細は明かされてはいない。

もちろん、そこが村上春樹の最大の魅力でもある。

春樹作品は「読む」というより「読み解く」というスタンスで対峙した方がいいのかもしれない。その方が楽しめるし、その方が沼ってしまうかもしれない。

なってしまうのかだが、本来、小説に確固たる読み方などは存在しない。

村上春樹は小説を書く行為を「治癒行為」だと表現している。

引用----

「八つの時に電気掃除機のモーターに小指をはさんだの。はじけ飛んだわ」

「今、何処にあるの?」

「何が?」

「小指さ」

「忘れたわ。そんなこと訊いた人、あなたが初めてよ」

「小指のないことは気になる?」

「ええ、手袋をつける時にね」

----

例えばこういったほんの些細な短い言葉のやり取りでも僕は心地よさを感じてしまう。小説は読者のある部分を治癒する。そしてそれが上手くいけばその作用がもう一度作者にフィードバックしてくる。多くの作家はそれを『手応え』と呼んでいる、と村上春樹は言う。

リーダビリティが高いのに、どこか読み解けず、それどころか深追いしたくなる世界観を構築できる稀有な作家、それこそが村上春樹なのかもしれない。そんな村上春樹の魅力がすでに爆発しているデビュー作『風の歌を聴け』を是非、一読してみてください。

文=斉藤浩平

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