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W杯出場選手で「ラミン・ヤマルが生まれる前にプロデビューしていた」13名の大ベテランたち

  • 2026.7.1

スペインのスーパースター、ヤマルが誕生したのは2007年7月のこと。まだあどけなさの残る年齢でありながら、彼はすでに世界のトップシーンでスーパースターとしての地位を確立した。

そして、なんと今大会のワールドカップに出場する選手の中には、ヤマルの生誕よりも先にプロのピッチに立っていた猛者たちが13名も存在するのである。

今回は『Planet Football』から「ラミン・ヤマルが生まれる前にプロデビューしていた13名のW杯戦士たち」をご紹介する。

クレイグ・ゴードン(スコットランド)

プロデビュー:2001年9月

このリストの筆頭にクレイグ・ゴードンの名があるのは、どこか現実離れした感覚さえ覚える。彼がカウデンビースでプロデビューを果たしたのは2001年9月。ラミン・ヤマルがこの世に生を受けるまで、まだ6年近くもあった頃の話だ。

道のりは決して平坦ではなかった。深刻な怪我によって何度も現役続行の危機にさらされたが、彼はその都度、不屈の精神で這い上がってきた。スコットランド代表にとって、彼はプロ意識の象徴であり、その豊かな経験は今なお主要大会の舞台で大きな価値を持っている。

クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)

プロデビュー:2002年9月

プロの舞台に足を踏み入れたのは2002年9月。それ以来、ロナウドはひとつのキャリアの中で、まるで何人分もの人生を歩んできたかのようだ。

10代のウィンガー、マンチェスター・ユナイテッドの超新星、レアル・マドリーの得点マシン、ポルトガルのキャプテン、世界的なアイコン、そして今なお決定的な瞬間を追い求めるベテラン。

多くのフォワードが衰退していく年齢を過ぎてもなお、彼は最前線に君臨し続けている。ポルトガルにおいて、彼はもはや単なる一選手ではない。フットボールの一時代を象徴する顔そのものだ。

エディン・ジェコ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)

プロデビュー:2003年1月

エディン・ジェコがプロデビューしたのは2003年1月。ラミン・ヤマル誕生の4年以上前のことだった。それからしばらくして、彼はボスニア・ヘルツェゴヴィナが生んだ史上最高のストライカーへと登り詰めた。

190cm以上の長身を持ちながら、知性、強さ、動き出し、そしてフィニッシュの精度にもぬかりがない。クラブレベルではヴォルフスブルクで長谷部誠らとともにブンデスリーガを制し、マンチェスター・シティでプレミアリーグ王者となり、その後もローマやインテル、フェネルバフチェで重要な役割を担ってきた。

代表における彼の重要性はさらに大きい。キャプテンとして、スコアラーとして、そして若いサッカー国家の象徴として、彼は常に指針であり続けた。

ルカ・モドリッチ(クロアチア)

プロデビュー:2003年9月

ルカ・モドリッチがプロデビューしたのは2003年9月。ラミン・ヤマルが生まれるずっと前だが、彼は今でも「現在の選手」に見える。決して最も強く、速いミッドフィールダーではなかった。しかし、その知性が彼を誰よりも長くピッチに立たせている。

レアル・マドリーですべてを勝ち取り、クロアチアという小国を2018年ワールドカップ準優勝に導き、主要大会の常連へと変貌させた。

彼のキャリアの長さは、もはや芸術的ですらある。モドリッチはフットボールにおけるあらゆるシナリオを既に見尽くした者のような、静かな落ち着きを持ってプレーしている。

ギジェルモ・オチョア(メキシコ)

プロデビュー:2004年1月

ギジェルモ・オチョアのプロデビューは2004年1月であり、ラミン・ヤマル誕生の3年半前だ。多くのファンにとって、オチョアはもはや単なるゴールキーパーではなく、ワールドカップの「儀式」のような存在だ。

4年ごとに最大の舞台に現れ、信じられないようなスーパーセーブの数々を披露する。クラブでのキャリアはメキシコと欧州を渡り歩いてきたが、彼の国際的な名声は常に大舞台での輝きによって築かれてきた。メキシコ代表において、彼はアイデンティティそのものだった。反射神経、特徴的な髪型、情熱、そしてここ一番での勝負強さは、母国を越えてカルト的な人気を誇っている。

マヌエル・ノイアー(ドイツ)

プロデビュー:2004年4月

マヌエル・ノイアーのプロデビューは2004年4月。以来、彼は「ゴールキーパー」という概念を根底から覆した。単なる守護神に留まらず、現代的な「スイーパーGK」の雛形となった。

ペナルティエリア外での果敢な守備、冷静なビルドアップ、そして広大なスペースをカバーする勇気。彼の存在が、チームのラインを高く保ち、より攻撃的に振る舞うことを可能にした。バイエルン・ミュンヘンですべてを勝ち取り、2014年にはドイツ代表としてワールドカップ制覇の立役者となった。

年齢や怪我に苦しんだ時期もあったが、その威厳が揺らぐことはなかった。一度代表を引退したものの、ユリアン・ナーゲルスマン監督のラブコールを受けて復帰。このワールドカップのゴールマウスで「ラスト・ダンス」を踊る。

リオネル・メッシ(アルゼンチン)

プロデビュー:2004年10月

リバルセロナのファンにとって、この繋がりはとりわけ感慨深いものだろう。ラ・マシアから現れた小柄な左利きの少年は、想像を絶するプレイで世界を魅了した。そして今、同じバルセロナの神童であるヤマルが、その伝説の面影を背負ってピッチに立っているわけだからだ。

しかし、メッシが築き上げたキャリアは、もはや再現不可能な領域にある。クラブで栄光の限りを尽くし、アルゼンチンの永遠のアイコンとなり、2022年ワールドカップで物語を完成させた。ドリブル、パス、決定力、そして判断力。そのすべてが歴史上類を見ないレベルだった。

ヤマルの台頭が「期待の若手」から「不滅のレジェンド」へと至る道のりがいかに長く、険しいものであるか。メッシの足跡を見れば、それは一目瞭然だ。

ダビド・オスピナ(コロンビア)

プロデビュー:2006年5月

ダビド・オスピナは、ラミン・ヤマルが生まれるわずか1年ほど前の2006年5月にプロデビューを飾った。

コロンビア代表にとって、彼は現代で最も信頼に足る存在の一人であり続けてきた。華やかなスターとして語られることは少ないかもしれないが、その安定感、俊敏性、そして経験は、クラブと代表の両方で極めて重要な役割を果たしてきた。

ニース、アーセナル、ナポリといった欧州の舞台で主要リーグやチャンピオンズリーグを戦い抜き、コロンビア代表では歴代最多出場記録を更新。数々のトーナメントでゴールマウスを守り抜いてきた。彼の息の長い活躍は、鋭い反射神経とプロ意識、そして重圧の下でも失われない冷静さによって支えられている。

フェルナンド・ムスレラ(ウルグアイ)

プロデビュー:2006年6月

フェルナンド・ムスレラがプロデビューしたのは2006年6月。ラミン・ヤマル誕生のわずか1年前のことだ。彼は、ディエゴ・フォルラン、ルイス・スアレス、エディンソン・カバーニ、ディエゴ・ゴディンらと共に、ウルグアイを再び世界の強豪へと押し上げた黄金世代の一翼を担ったゴールキーパーだ。

2010年ワールドカップでのベスト4進出や、2011年コパ・アメリカ制覇はその絶頂期と言えるだろう。クラブレベルではガラタサライのレジェンドとなり、その一貫性とリーダーシップでファンから絶大な支持を集めてきた。

今回のワールドカップではマルセロ・ビエルサ監督に懲罰交代のような形でピッチから引き離されてしまったが、彼がウルグアイに残した功績が台無しになったわけではない。

アクセル・ヴィツェル(ベルギー)

プロデビュー:2006年9月

アクセル・ヴィツェルは、ラミン・ヤマルが生まれる1年足らず前の2006年9月にプロのキャリアをスタートさせている。

ベルギーの「黄金世代」の重要人物でありながら、決して派手な役回りではなかった。彼はチームにバランスをもたらす存在だった。中盤、あるいはキャリアの後半ではディフェンスラインに入り、卓越したポジショニングと冷静な判断でチームに安定感を与えてきた。

ベルギー、ポルトガル、ロシア、中国など世界各地で多様な経験を積み、ベテランになってからヨーロッパへと復帰。30代で再びトップレベルでのキャリアを再構築し、鉄人のように高いレベルのプレーを続けている。

エフサン・ハジ・サフィ(イラン)

プロデビュー:2006年12月

エフサン・ハジ・サフィがプロデビューしたのは2006年12月。ラミン・ヤマル誕生のわずか数ヶ月前のこと。

イラン代表において、彼は一時代を築いた象徴的な選手の一人である。左サイドバック、左ウイングバック、ボランチと、複数のポジションを高いレベルでこなし、多才さとリーダーシップで長きにわたり代表チームを支えてきた。

アジアカップやワールドカップという大舞台に何度も立ち、アジア屈指の強豪国の重責を背負い続けてきた。メッシやロナウドほど世界に轟いているわけではないかもしれないが、その持続力は称賛に値するものだ。

マイケル・ボクソール(ニュージーランド)

プロデビュー:2006年12月

ニュージーランドのセンターバックを務めるボクソールがプロデビューしたのは2006年12月。ラミン・ヤマルが誕生する数ヶ月前のことだ。

揺るぎない信頼性、フィジカルの強さ、そして献身的な姿勢によって、長いキャリアを築き上げてきたディフェンダー。ラグビーなどが絶大な人気を誇るニュージーランドにおいて、彼は多くの大会でチームの要として戦ってきた。

また母国ニュージーランドだけでなく、南アフリカとアメリカで長くプレーし、国際的な経験も豊富。若い選手たちが台頭するなかでも、チームの柱として常に必要とされる存在だった。

カミロ・バルガス(コロンビア)

プロデビュー:2007年3月

カミロ・バルガスがプロデビューしたのは2007年3月。ラミン・ヤマルが生まれるわずか数ヶ月前のことである。彼は瞬く間に世界的なスターになったわけではなかったが、キャリアを粘り強く築き上げてきたGKだ。

鋭い反射神経にリーダーシップと落ち着きを兼ね備え、コロンビアで最も経験豊かな選手の一人へと成長。南米やメキシコで活躍し、クラブの象徴的な存在となった。

コロンビア代表でもポジションを確保したのは2023年から2024年にかけて。30代なかばになってからその実力を発揮し、信頼を勝ち取った。そのキャリアはまさに忍耐と継続がもたらしたものだといえるだろう。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

筆者:石井彰(編集部)
画像提供:Getty Images

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