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ダイアナ元妃がまとった「赤」が語る、愛と波乱の軌跡

  • 2026.7.1
Julian Parker / Getty Images

波乱に満ちた生涯だったダイアナ元妃。彼女ほど、その短い人生とファッションを重ね合わせて語られるプリンセスはいないかもしれない。象徴的なドレスのひとつがリベンジドレスだが、指先を彩ったのは赤いネイルだった。王室ではタブーとされていた赤いネイルをリベンジドレスとともに選んだことは印象的だ。

婚約時に着用していた”羊セーター”に、愛の霊廟タージ・マハル前のベンチにひとり座ったときのジャケットの赤……、ダイアナ元妃が身に着けたさまざまなファッションのなかから「赤」にフォーカスして、華麗なファッションと彼女の数奇な人生を辿る。

※ダイアナ元妃の肩書は、写真撮影当時のものとしています。

Mirrorpix / Getty Images

1981年5月

チャールズ皇太子と婚約しわずか約2カ月後に、バルモラルで撮影された1枚。ダイアナ・スペンサーは、ピンク、赤、グリーンのしま模様にリャマが描かれたニットに呼応させるように、ハンターのブーツから赤をのぞかせている。

写真が公開された直後、このペルー風セーターが飛ぶように売れた。プリンセスがまとった服が売れる、という今に引き継がれている「ロイヤル効果」のもっとも初期の例と言えるのではないだろうか。

Tim Graham / Getty Images

1981年6月

ウィンザーでのポロの試合でダイアナが着ていた羊モチーフの赤いセーターはまさに伝説の1枚。

いくつものエピソードを持っているが、白い羊の群れに紛れ込んだ1匹の黒い羊は英国王室での立場を象徴していると解釈された。そして、実はこのニットをダイアナは2枚持っており、1枚はニットブランドに修繕に出され倉庫で保管。1983年に同じ羊柄のセーターと白いパンツ姿でポロの試合に訪れているが、こちらは新しい1枚だったよう。

約50年の時を経て、2023年に倉庫で眠ったままだった羊柄のセーターはオークションにかけられ、114万ドル(当時約1億6800万円)で落札。ダイアナ元妃が愛用した服のなかで過去最高額を記録した。

Anwar Hussein / Getty Images

1981年6月

映画『007/ユア・アイズ・オンリー』のプレミア上映会に訪れたダイアナ。

世紀のロイヤルウェディングはこの約1カ月後のこと。赤地に金色のスパンコールがちりばめられたドレスは、彼女のために70着以上もの服を手がけたオートクチュールブランド「ベルヴィル・サスーン」によるもの。「ベルヴィル・サスーン」と出会って間もない頃の一着。

Princess Diana Archive / Getty Images

1983年3月

スコットランドのアバディーン空港で、生後約9カ月のウィリアム王子を抱きかかえるダイアナ妃の姿。妃の笑顔を温かく包み込むような、落ち着きを感じさせるバーガンディ色のコートドレスが印象的。

Tim Graham / Getty Images

1983年6月

初の公式外遊としてカナダを訪問中、ダイアナ妃は22歳の誕生日を迎えた。

「フェスティバル・オブ・ユース(若者の祭典)」に出席したときは、カナダのナショナルカラーである、赤と白のポルカドットのドレスに赤いジャケットを合わせ、ジョン・ボイドによる帽子をコーディネート。カナダでダイアナ妃は熱狂的な歓迎と祝福を受け、世界にその存在を知らしめる機会となった。

Princess Diana Archive / Getty Images

1984年2月

ノルウェーのオスロで行われたロンドン・シティ・バレエ団の公演にて、ノルウェーのハラルド皇太子と並ぶダイアナ妃。胸元や袖にレースがあしらわれた真っ赤なイブニングドレスを着用し、前年に就いたロンドン・シティ・バレエのパトロンとしての役割を単独で果たした。

第2子(ヘンリー王子)妊娠が公式に発表されたのはこの訪問から数日後のこと。新たな命を宿し、英ロイヤルメンバーとしても自立し公務を行う。ダイアナ妃の大きな決意をまとったドレス姿だった。

Mirrorpix / Getty Images

1984年9月

ヘンリー王子誕生後、メディアの前に姿を見せたチャールズ皇太子とダイアナ妃の有名なシーン。ヤン・ヴァン・ヴェルデンが手がけた鮮やかな赤いコートドレスの妃と純白のおくるみに包まれた王子の写真からは、生命力と喜び、清らかさが真っすぐに伝わってくる。

そして、約34年後の2018年4月。第3子(ルイ王子)を抱いて同じ病院を退院するキャサリン妃が、「ジェニー・パッカム」の白いえり付きの赤いドレスを着ていたことを覚えている方も多いだろう。ダイアナ元妃へのオマージュとして話題を呼んだ。

Tim Graham / Getty Images

1985年6月

サイレンセスター・パーク・ポロ・クラブでポロ試合に出席したダイアナ妃は、白いブラウスにフローラルプリントのスカートというコーディネートに、肩にかけたニット、ベルト、シューズの赤をアクセントに加えた。

肩にセーターをかけるのは当時の富裕層の若者たちのトレンド、スローン・レンジャーの代表的なスタイル。王室入りしてもなお、ダイアナ妃は自身のアイデンティティーを大切にしていることが見て取れる。

同様に、背後に写っている妃の愛車、マルーンレッドのフォード・エスコート・カブリオレ。まるで自由を握りしめるかのようにこの大衆車のハンドルを握っていたが、長く乗り続けることはできなかった。

Tim Graham / Getty Images

1986年2月

スイスでスキー休暇を楽しむチャールズ皇太子とダイアナ妃。スキーが大好きだったダイアナ妃はさまざまなスキーウエアを披露してきたが、実はメディアを前にしたゲレンデデビューはこのとき。「ヘッド(Head)」のスカーレットレッドのオールインワンはもっともアイコニックなスキースタイルとなった。

編み込みのヘッドバンドでまとめたヘアからのぞくのがゴールドのフープイヤリング。いつのときも、華やかさを意識していたということかもしれない。

John Shelley Collection/Avalon / Getty Images

1986年5月

初めて日本を訪れたダイアナ妃は日の丸をイメージしたセットアップにパールのネックレス、赤い帽子、赤と白のバイカラーのバッグとシューズで現れた。日本の文化やシンボルに対する敬意をファッションで表現するその姿に多くの人が心をつかまれたのは言うまでもない。

Princess Diana Archive / Getty Images

1986年9月

グロヴナー・ハウスで開催された「アメリカズカップ・ボール(舞踏会)」に出席したダイアナ妃は、クチュリエのマレー・アーベイドによる赤と黒のイブニングドレスをまとっていた。黒のビスチェから真っ赤なタフタのスカートが広がる。スカートのヘムは前上がりのフィッシュテール。グローブは赤と黒で左右非対称。王室の伝統的な装いとは一線を画す大胆なスタイルに目をみはる。

この頃はチャールズ皇太子との関係が悪化していた時期と見られている。夫婦それぞれの不倫や孤独感を募らせていた自身の摂食障害など、不安定な気持ちを示唆するかのように選ばれた一着だった。

Princess Diana Archive / Getty Images

1988年7月

1986年から1988年にかけて3年連続で、チャールズ皇太子とダイアナ妃一家はスペイン王室の別荘に招かれ、バカンスを過ごした。ウィリアム王子と手をつなぐ妃はゆったりとした白いシャツに赤のタイトスカート姿。パーフェクトな夏のエレガンススタイル。

一方で、結婚生活が修復不可能な状況にあったことやホストであるスペイン国王フアン・カルロス1世とのぎくしゃくした関係など、ダイアナ妃にとっては心の底からバカンスを楽しめる状態ではなかったよう。

Julian Parker / Getty Images

1989年11月

鮮やかな赤のイブニングドレスで現れたのは映画『恋人たちの予感』のプレミア上映会。主演のメグ・ライアンとビリー・クリスタルの隣の席で鑑賞し、有名なコメディーシーンでは大声で爆笑したそう。

深いVネックにパワーショルダー、銀糸でチェック風刺しゅうの入ったドレス姿はまるでハリウッド俳優のような圧倒的なオーラを放ち、王室内で置かれた状況の厳しさをはね返すような意志の強さを感じさせる。

Princess Diana Archive / Getty Images

1992年2月

純白の大理石でできたタージ・マハル前のベンチに座るダイアナ妃、この美しい写真を目にした人も多いだろう。妃は赤いノーカラージャケットにパープルのハイウエストスカートという大胆な色合わせのツーピースを着用しているにも関わらず、写真からはどこか寂し気な雰囲気が伝わってくる。

タージ・マハルは、かつてムガル帝国の皇帝が亡き妻のために建てた霊廟だが、ともにインドを訪れていたチャールズ皇太子は同行しなかった。このインド訪問から10カ月後の12月、イギリス王室は二人の正式な別居を発表することに。

Mirrorpix / Getty Images

1992年9月

ダイアナ妃は、「トラボルタ・ドレス(ホワイトハウスでジョン・トラボルタと踊った際のミッドナイトブルーのドレス)」を手がけたことでも知られる、ヴィクター・エデルスタインによるシルクのイブニングドレスをまとい、ジュリー・ウォルターズ主演映画『Just Like a Woman』のプレミア上映に現れた。

この2カ月前にはアンドリュー・モートン著『ダイアナ妃の真実』が出版され、続けて、1カ月ほど前には、過去の親しい友人とのプライベートな電話の録音データがタブロイド紙に流出するという、スキャンダルの渦中のこと。

最大の危機にありながら、デコルテを強調するような深紅のドレスで公務に出席したダイアナ妃。声にならない叫び、葛藤、そして勇気……さまざまな思いがドレスの下で熱く渦巻いていたかもしれない。

Pool/Tim Graham Picture Library / Getty Images

1995年11月

1995年11月20日、BBCの番組『パノラマ』で「この結婚には3人の人間がいた(カミラ夫人のこと)」という発言で世界中に衝撃を与えた妃は、その3日後、アルゼンチンに降り立った。単独で公務を行い、小児病院などを訪問している。

のちに、BBCはダイアナ妃への接触の経緯に虚偽があったとし正式に謝罪しているが、インタビューの中でダイアナ妃は、自分が女王になることはまずないだろうが、代わりに「人々の心の女王」になることを望んでいた。

アルゼンチン歴訪中にチャリティー・ガラに到着したダイアナ妃はショート丈の赤いレースのカクテルドレスと指先には真っ赤なネイル。王室ではタブーとされていた赤いネイルを選んで、「心の女王」へ一歩踏み出そうとしている姿に思える。

Princess Diana Archive / Getty Images

1996年10月

8月に離婚が成立したばかりダイアナ元妃は、お気に入りだったデザイナー、キャサリン・ウォーカーの赤いスーツを着用して、HIV・エイズ患者の支援センター「ロンドン・ライトハウス」を訪れた。

80年代後半からエイズ関連のチャリティー活動を積極的に行ってきた元妃は、変わらない気持ちを示すように患者のそばに寄り添い語らった。

Mark Cuthbert / Getty Images

1997年6月

ダイアナ元妃は世界中の地雷被害者を支援する資金調達のため、アメリカ赤十字社が主催するガラディナーに出席。着用したのは、ジャック・アザグリーが手がけた真っ赤なコラムドレス。

手ししゅうのビーズが施され流れるようなシルクジョーゼットのドレスをまとった元妃は華やかさとともに圧倒的な威厳を与え、取り組み始めた反地雷活動への強い意志とメッセージを伝えた。

Ken R. Goff / Getty Images

1997年7月

ノースウィック・パーク病院に新設された小児外来診療センターの定礎式に臨むダイアナ元妃。シンプルな赤のシフトドレスを着用し、長年、情熱を注ぐ慈善活動を続ける姿を残した貴重な1枚。

約1カ月後の8月31日。ダイアナ元妃は悲劇的な事故で人生の幕を下ろした。

あふれるような情熱や温かい愛情を映し取るように、そして複雑な思いから身を守るよろいのように、またときには関心を引きつけたり意志を表明する手段として、「赤」をまとったダイアナ元妃。手にしたさまざまな色のなかでも、「赤」は特別な色のひとつだったのではないだろうか。

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