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『スーパーガール』が「思っていたのとは違った」映画になった5つの理由。前作『スーパーマン』は見ておくべき?

  • 2026.6.29
映画『スーパーガール』は「見る前のイメージとは異なる」特徴のある作品だと思えました。『マッドマックス』のような世界観や、クレイグ・ギレスピー監督の作家性などに、その理由があると思うのです。(※:画像出典: (C) & TM DC (C) 2026 WBEI)
映画『スーパーガール』は「見る前のイメージとは異なる」特徴のある作品だと思えました。『マッドマックス』のような世界観や、クレイグ・ギレスピー監督の作家性などに、その理由があると思うのです。(※:画像出典: (C) & TM DC (C) 2026 WBEI)

6月26日より『スーパーガール』が劇場公開中。本作は2025年の映画『スーパーマン』と世界観を同じくする、「新生DCユニバース」の第2弾です。

アメリカンコミックのヒーロー、それも女性が活躍するアクション映画と聞けば、「痛快無比」な「アガる」内容を期待する人も多いのではないでしょうか。

しかし、そのイメージとはやや異なること、身構えておくべきこともある作品だと思ったのです。5つのポイントから解説しましょう。

1:『マッドマックス』に近い、意外にダウナーな復讐劇だった

まず、筆者個人は、本作に「けっこうダウナー」な印象を抱きました。

もちろん、思わず笑ってしまうコミカルなシーン、ダイナミックなアクションの見せ場はありますし、「この夏、スーパーガールがぶちかます!」というキャッチコピー通りのカタルシスもちゃんと用意されています。

(C) & TM DC (C) 2026 WBEI
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しかし……物語は冒頭から「13歳の少女が家族を惨殺される悲劇」がはっきりと描かれる、「復讐劇」です。どこか乾いたような画のタッチ、後述する「我慢」が長めに続くような展開も含めて「西部劇」というジャンルを思い起こさせました。

さらに、主人公のアウトローな印象や、退廃的な世界観からは『マッドマックス』シリーズを連想しますし、「前作とはテイストが異なる」「女性が主人公の復讐劇」という点を鑑みると『マッドマックス:フュリオサ』にかなり近い内容と言えます。

宇宙の悪党集団“ブリガンズ”のリーダーである“クレム”が、「顔にブツブツがある」見た目で恐ろしく、その行動も非道そのものだったりもします。

(C) & TM DC (C) 2026 WBEI
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直接的な残酷描写はほぼなくG(全年齢)指定ではあるのですが、あまりに小さいお子さんには怖すぎるのかもしれないと、留意したほうがいいでしょう。

2:前作『スーパーマン』の事前鑑賞をおすすめしたい理由も

本作はタイトル通り、スーパーガールというヒーローの「単独」の作品であり、他作品との物語のつながりもほぼないため、今回から見ても問題なく楽しめるでしょう。

(C) & TM DC (C) 2026 WBEI
(C) & TM DC (C) 2026 WBEI

しかしながら、前述したように作品全体の雰囲気がややダウナーで、ストレートなヒーローの活躍を描いた前作『スーパーマン』の“対比”のような印象もありますし、「ヒーロー映画の定石をあえて外す」ような展開や半ばメタフィクション的なセリフも見受けられました。

そのため、「他の王道的な面白さのあるヒーロー映画を見慣れておいたほうがいいかもしれない」内容とも言えるのです。

少なくとも、スーパーガールとスーパーマンという2人のヒーローの「過去も含めた価値観の違い(あるいは一致していること)」を鑑みてこそ、今回の物語がより味わい深くなるため、前作『スーパーマン』だけでも、事前に鑑賞しておくことをおすすめします。

例えば、予告編のセリフで「いとこ(スーパーマン)と私は全く違うの。彼は人の善を見抜く。私は真実を見抜く」とあるように、主人公のスーパーガールは「自分はスーパーマンとは違う」ことをたびたび語っています。

また、スーパーマンは赤ん坊の頃に地球へ来ているのですが、スーパーガールは多くの作品で(今回も)は少女あるいは大人へと成長してから地球へ到着しているため、故郷や家族を失ったこと絶望やトラウマがスーパーマンよりも深い、ということでもあるのです。

(C) & TM DC (C) 2026 WBEI
(C) & TM DC (C) 2026 WBEI

また、今回の映画の舞台のほとんどは地球ではない別の惑星や宇宙空間であり、そもそもが「日常の世界の中で人々を助けてくれる」ヒーローの活躍とははっきり異なリます。

2015年から6シーズンが作られたドラマ版の『SUPERGIRL/スーパーガール』ではマスメディアで働きながらもヒーローとして活躍する姿が描かれている、『プラダを着た悪魔』のように社会人が共感しやすい物語が紡がれていました。

こちらの「王道」とも言えるスーパーガールの姿を、今回の映画と併せて見てもいいかもしれません。

3:『アイ,トーニャ』『クルエラ』の監督の作家性にマッチしている

前作『スーパーマン』から大きく作風が変わった大きな理由は、監督がジェームズ・ガンからクレイグ・ギレスピーへとバトンタッチしたことにもあるでしょう。

特に、ギレスピー監督の『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』および『クルエラ』の内容に、本作はかなり近いと言えます。

何しろ『スーパーガール』で紡がれる物語は、「自由気ままな暮らしをしていた女性が、毒に侵された愛犬を救うために悪党を追いかけ、その旅路に復讐を誓う少女も同行する」というもの。「利害の一致」でつながる2人の「バディもの」であり、今どきの女性の連帯を描く「シスターフッド」のジャンルでもあるのです。

しかも、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』と『クルエラ』は、どちらも「社会からのは見出し者」または「誤解されている人物」が結託する物語であり、同時に権威や体制、はたまた自身の塞ぎ込んでいた人生への「反骨精神」も表れた作品でした。

(C) & TM DC (C) 2026 WBEI
(C) & TM DC (C) 2026 WBEI

その作家性は、今回の『スーパーガール』における、初めの「ヒーローのはずなのに酒場で飲んだくれていているダメな姿」と、それと相対するような悪党の非道の行いを許さない正義感、あるいは復讐を誓った少女への思いやりなどに通じています。

ギレスピー監督自身、今回のスーパーガールが歩むのは「自己発見と責任を引き受けることについての物語」と語っており、その通りの彼女の成長のドラマが大きな見どころになっているのです。

また、ギレスピー監督は表向きには悲惨だったり引いてしまうような題材やキャラクターを扱いながらも、その描き方はどこかユーモラスかつポップで、端的に言えば「重くなりすぎない」軽妙さを持ち合わせている作家でもあります。

(C) & TM DC (C) 2026 WBEI
(C) & TM DC (C) 2026 WBEI

今回の「やさぐれているようで、それだけじゃない」スーパーガールは、主演のミリー・オールコックが全身全霊で体現した魅力のみならず、ギレスピー監督の「不完全だからこそ愛おしい人間を描く」作家性があってこそ、輝いているようにも見えるのです。

4:『アクアマン』のジェイソン・モモアがノリノリでアンチヒーローを演じていた

本作の大きな目玉は、同じくDCコミック原作のヒーロー映画である『アクアマン』で主人公を演じたジェイソン・モモアが「ロボ」という豪放磊落(ごうほうらいらく)なキャラクターを演じていることでしょう。

そのロボの「威圧的な刺青だらけの肉体と、圧倒的な怪力を武器に標的を捕らえ、報酬を手にする冷酷な賞金稼ぎ」かつ「凶暴な空飛ぶバイク“スペースホグ”で地上と空を縦横無尽に駆け巡る」という特徴はインパクトが抜群でした。

実は、モモア自身はずっとロボ役を熱望しており、「善にも悪にもなれる、自分なりの掟に従って生きる“アンチヒーロー”が大好き」「根底にあるサムライのような精神があるし、ドレッドヘアも好きだし、バイクも好きだし、汚い言葉遣いも好き」「彼のすべてが下品で粗野で、誰の顔だろうと平気で殴りつけて乱闘に飛び込むところも大好き」と実に楽しそうに語っていたのだとか。

そのコメント以上に、実際の劇中でもモモアはめちゃくちゃなキャラクターを本当に楽しそうに演じており、「アクアマンと全然違うやんけ!」とツッコミたくなりつつも、「もうあなたがそんなに幸せならそれでいいよ!」と全肯定もしたくなってくるのです。

ちなみに、復讐を誓う少女を演じたイヴ・リドリーは、共演したモモアについて「本当に優しい人でもあります。例えば首を絞めるシーンでは、彼のグローブの刃がわたしに当たっていないか、いつも気にかけてくれていました(笑)」と語っていました。破天荒にもほどがあるキャラクターを演じながらも、実際のモモアはやはりヒーロー的に良い人なんだと思いながら見るといいでしょう。

5:賛否両論に納得できる難点も

ここまで『スーパーガール』を称賛しましたが、残念ながら問題点が少なからず見受けられる作品でもありました。実際にアメリカの批評サービスRotten Tomatoesでの批評家支持率は58%(6月26日現在)とまさに賛否両論で、日本でもやや厳しい感想が散見されています。

個人的には意図的にせよ「我慢」を強いる展開が多いことが気になりました。例えば、スーパーガールは「地球の黄色い太陽によってスーパーパワーを得るが、赤い太陽の光の下ではそれを失ってしまう」という「力を発揮できる条件」があります。

その「弱点」が確かに「ようやく全力を出せる」までの展開につながっているものの、それまでの時間がやや長め、アイデアは多彩ながらシチュエーションが多めで、結果的に全体の爽快さを薄めてしまっているように思えます。そもそも、「天候」というキャラクターの行動にほぼ寄与しない出来事で強さが変わるため、せっかくの終盤のカタルシスも損ねているとも思うのです。

演出または物語上で淡白なところがあるのも気になります。例えば「腕相撲の後の大乱闘」は、こちらも意図的なものにせよ「あえて見せない」演出をしたことが面白さにつながっていません。

また、中盤で起こる、取り返しのつかない悲劇に対してのリアクションがあっさりしすぎていて、冒頭の出来事とのバランスが取れていないと思えてしまいました。

また、前作で大活躍したスーパーパワーを持つ犬のクリプトは、仕方がないこととはいえ「毒を撃たれて、ただ待っているだけの存在」になっています。多少の物語上の無理が出ても、クリプトを活躍させるためのサービスはあっても良かったのではないでしょうか。

前述したように『マッドマックス』的であり西部劇的でもある雰囲気、クレイグ・ギレスピー監督の作家性にマッチした物語、ミリー・オールコックやジェイソン・モモアやイヴ・リドリーの熱演など、優れた特徴の多い作品であるのですが、それでも万人が文句なしに楽しめる作品とは言い難い、というのはヒーロー映画のファンである自分としても心苦しいものでした。

しかし、「このために、この物語はあったんだ」と思えたクライマックスの画には大いに感動できましたし、「復讐」のテーマに向き合った物語としても、しっかり筋が通っているとも思えました。

(C) & TM DC (C) 2026 WBEI
(C) & TM DC (C) 2026 WBEI

何より前作『スーパーマン』と同じく、「今の時代では逆に“パンク”に見えてしまうほどの、優しく正しくあろうとするヒーローを描こうとする」試み自体を称賛したいと思います。ぜひ、映画館で見届けてほしいです。

この記事の執筆者: ヒナタカ
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。

文:ヒナタカ

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