1. トップ
  2. エンタメ
  3. 作詞は『あわてんぼうのサンタクロース』と同じ人物!? 40年前発売、“暗く深い情念”を描くカラオケ定番曲

作詞は『あわてんぼうのサンタクロース』と同じ人物!? 40年前発売、“暗く深い情念”を描くカラオケ定番曲

  • 2026.7.25
undefined
1987年1月、歌手生活15周年パーティーで歌う石川さゆり(C)SANKEI

演歌を一曲だけ挙げてほしいと頼まれたら、この歌を思い浮かべる人が少なくない。大晦日の夜に何度もトリを飾り、カラオケでは今日も誰かが挑んでいる、定番中の定番。それほどの存在だから、発売と同時に世を席巻した大ヒット曲だと思われがちだ。

ところが、実際の船出は驚くほど静かだった。

石川さゆり『天城越え』(作詞:吉岡治/作曲:弦哲也)ーー1986年7月21日発売

通算45作品目のシングルとして世に出たこの曲は、発売当時、現在から想像するような爆発的なヒットとまではならなかった。発売直後から街にあふれていたという記憶を持つ人は、実はそう多くない。『天城越え』が「日本人なら誰もが知る一曲」へ育っていくのは、ここからだ。40年がかりの、歌謡史でも指折りの物語である。

熱狂より先に玄人が見抜いた値打ち

作詞は吉岡治、作曲は弦哲也、編曲は桜庭伸幸。昭和歌謡を支え続けた腕利きの職人たちが顔をそろえた布陣である。それでも、世の中の反応は穏やかなものだった。ただし、聴くべき人はこの曲の価値を見抜いていた。『天城越え』はその年の第28回日本レコード大賞で金賞を受賞し、桜庭伸幸は同曲で編曲賞を受賞している。世間の熱狂より先に、玄人の評価が付いた形だ。

売れ行きという物差しでは測れないものが、この曲には最初から備わっていた。静かな船出と確かな評価。歌の器の大きさに、世の中の反応がまだ追いついていなかったと言い換えてもいい。このねじれこそが、後の逆転劇の伏線に映る。

枚数ではなく喉の数で育った定番

動き出しは早かった。発売の年の暮れ、1986年の第37回NHK紅白歌合戦でこの曲は披露され、しかもトリを任された。以後、2002年、2016年、2018年と、『天城越え』でトリを飾ること計4回。やがて紅白では、『津軽海峡・冬景色』とこの曲を交互に披露するのが恒例となっていく。一人の歌手が二枚看板を掲げ、大晦日のたびにどちらかで勝負する。こんな贅沢な選択を許された歌手は、そういない。

そしてもう一つの主戦場がカラオケだ。1994年から2018年までの集計で演歌部門の1位を飾るなど、カラオケ機械が全国の部屋にこの歌を運び、無数の喉が引き受けた。ジャンルの枠を越えて、日本人がマイクを握って歌い続けてきた回数の最上位に、この難曲が居座っている。

売れた枚数ではなく、歌われた回数。『天城越え』の定着は、聴き手が自分の喉でこの歌を引き受けることで積み上がっていった。難曲だからこそ、歌い切れた夜の高揚がある。あの高揚が、また次の誰かにマイクを握らせるのだと感じる。

忘年会の締めに、夜更けのスナックに、この歌の前奏が流れると空気が少し張り詰める。歌うのはどんな人か、越えられるのか、と周囲が耳をそばだてる。そういう緊張感をまとった曲は、カラオケの長い歴史のなかでもひと握りだ。

明るい童謡と同じ筆から出た情念

では、なぜ人はこの歌を歌いたくなるのか。核心は、吉岡治が書いた詞の世界にある。舞台は伊豆・天城。描かれるのは別れと旅情、そして断ち切れない未練だ。山道の湿った空気ごと、女の情念を一つの道行きに封じ込めたような言葉の凝縮が、一曲の歌に濃密な物語の気配を宿らせている。

土地の名を冠した歌は数多い。だがこの曲の「天城」は、観光地の看板ではない。深い山の暗さや降りやまない雨の気配ごと、心情の側へ引き込まれた地名に映る。地図の上の峠が、聴いているうちに心の中の峠へすり替わっていく。

吉岡はサトウハチロー門下の作詞家で、美空ひばり『真赤な太陽』や都はるみ『大阪しぐれ』を手がけた一方、童謡『あわてんぼうのサンタクロース』の作者でもある。あの底抜けに明るいサンタクロースと、この暗く深い情念の世界が、同じ一本の筆から生まれている。

この振れ幅こそ、職業作詞家という仕事の凄みだ。どんな注文にも応えて書き分ける職人の技量が、情念の側へ深く振り切れたときの到達点。それが『天城越え』の詞だと言いたくなる。

しかも詞は、物語のすべてを語り切らない。だから歌う人それぞれの記憶が、言葉の隙間に入り込む。誰の胸にもある断ち切れない何かを、この歌は代わりに叫んでくれる。

誰も歌い切れない難しさが命綱

その言葉を音にするのが、弦哲也の旋律と石川さゆりの歌唱だ。低く抑えて語るような歌い出しから、サビでは一転、声を振り絞って駆け上がる。この落差を一曲のなかで行き来する歌は、技術だけでは成立しない。感情の量が要る。

圧巻はやはりサビである。それまで抑えていた声が一気に解き放たれ、曲名を叫ぶ一節で言葉と感情がぴたりと重なる。聴く側の背筋が伸びる、この歌でいちばん鳥肌の立つ瞬間だ。

演歌の節回しに詳しくなくても、この勝負どころは初めて聴く耳にも伝わる。構えの低さと、放つ高さ。その設計の明快さが、ジャンルの外にいる聴き手までこの歌に巻き込んできた。

石川さゆりは声だけでこの歌を運ばない。眉の動き、指の先、間の取り方まで含めて、一人の女の物語を演じ切る。歌唱と演技の境目が溶けた総合芸術に映る。

そして、完璧に歌いこなすことの難しさ自体が、この曲の生命線でもある。誰もが本家のようには歌えない。だからこそ挑む人が絶えず、歌われるたびに本家の底力がまた際立つ。この循環が、発売から40年たった現在までこの歌を生かし続けている。

歌う人の数だけ越える峠がある

最後に、タイトルの一語に立ち返りたい。「越え」である。

峠をひとつ越えるという行為に、聴き手はそれぞれの越えたい何かを重ねる。断ち切りたい未練、通り過ぎたい季節、置いてきたい自分。だからこの歌は、歌う人の数だけ物語を持つ。

大晦日にこの歌が響くたび、そしてカラオケの小さな部屋でイントロが鳴るたび、日本のどこかで誰かが自分の天城を越えようとしている。静かに船出した一曲は、40年かけて、そういう歌になった。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

の記事をもっとみる

注目コンテンツ