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藤原かんいちのドリーム・ジャーニー|vol.01 夢は日本一周、そして360度の地平線へ

  • 2026.6.25

旅行家・藤原かんいちの旅人生は、少年時代に抱いた「日本一周」の夢から始まった。23歳でその夢を叶えた彼は、さらに広い世界へと目を向ける。そして出会ったのが、人生を大きく変えることになるオーストラリア一周だった。

夢は日本一周、そして360度の地平線へ

初めまして!今月よりコラムを書かせていただくことになりました、旅行家&イラストレーターの藤原かんいちです。どうぞよろしくお願いします。これまでのバイク旅歴など、長~い自己紹介となりますが、ぜひ最後までお付き合いください。

1961年生まれの65歳。松田聖子さんやとんねるずさん、三谷幸喜さんらが同学年です。出身は神奈川県。初めて乗ったバイクはヤマハのパッソルで、初めてのロングツーリングはヤマハRX50スペシャルで行った九州一周でした。当時は無知で2ストロークエンジンにオイル補充が必要なことすら知らず……。九州で出会ったライダーに教えられて確認すると、残量はギリギリ!慌てて買いに走ったことは今では良い思い出です(笑)。

実は10代の頃は「自転車少年」でした。中学時代に友人と富士五湖&伊豆半島を一周、高校生になるとソロで東北まで走ったり、険しい峠を越えたり。とにかく「自分の知らない場所へ行くこと」が大好きな少年でした。中学時代に愛読していた漫画『サイクル野郎』をきっかけに抱いた夢が「日本一周」でした。

憧れの日本一周を実現したのは23歳のとき。勤めていた会社を辞め、ヤマハRZ250で出発。当時大人気だった2ストのスポーツバイクで、ツーリング向けとは言えませんでしたが、自転車旅のサイドバッグを無理やり取り付けて旅仕様にしました。

47日間をかけて、北海道から鹿児島まで1万3,000キロ、日本列島を駆け巡った。お金がなかったので宿泊はほとんどキャンプ。北海道では同じように日本一周をする旅人たちに出会い、夜は未来を熱く語り合いました。懐かしいなぁ。それまで人から褒められるような経験がなかったので「自分の力で大きな夢を叶えた」という事実は、その後の人生を支える大きな自信になりました。

藤原かんいちのドリーム・ジャーニー|vol.01 夢は日本一周、そして360度の地平線へ
ヤマハRX50を購入してわずか数日、ギアチェンジの練習をしてそのまま旅立った。神奈川から自走で九州を目指し、そのままぐるりと一周。
藤原かんいちのドリーム・ジャーニー|vol.01 夢は日本一周、そして360度の地平線へ
23歳の時、中学の頃から夢だった日本一周をバイク(ヤマハRZ250)で叶えた。憧れの日本最北端、宗谷岬に立った時は嬉しかった。

日本一周を終えた頃、サハラ砂漠を舞台とした『パリ・ダカールラリー』が大人気で、雑誌やテレビがこぞって特集。メディアが映し出す広大な景色に魅了された僕は、次第に「360度の地平線をバイクで走ってみたい」と、砂漠への憧れを募らせるようになりました。

しかし、そんな場所は日本にはないので、自然と海外へ目が向くようになりました。「雄大なサハラ砂漠を走りたいけれど、そこへ飛び込む勇気はない……」。そんな葛藤の中で浮上したのが、オーストラリアでした。南半球の大地、カンガルーやコアラなどの野生動物、そしてどこまでも広がるアウトバック(砂漠地帯)。旅人を引きつける魅力に溢れたその国を、バイクで走る決意をしました。

「どんなバイクでオーストラリアを走ろうか?」想像を巡らせていたある日、街でよく見かける「原付バイク」に目が留まりました。

学生時代は成績が悪くて大学に行けず、部活も中途半端、異性にもモテず、これといった特技も取り柄もない。ようやく就職したのも小さな印刷会社。そんな「社会の落ちこぼれ」のような自分自身が、車社会の中で最も小さく、弱く、遅い存在である原付バイクに重なって見えたのです。

「原付バイクでオーストラリア一周しよう!」

優秀な人が大型のBMWで行けば、できて当たり前。それが、落ちこぼれの僕が小さな原付でオーストラリア一周を成し遂げることができたら、それは価値あることではないか。自分の夢に、一筋の大きな希望が見えた瞬間でした。

しかし、周囲の反応は冷ややかなものでした。

「原付なんかじゃ無理だろ!」
「バイクが壊れて行き倒れるぞ」
「夢なんてみんな諦めて生きてるんだよ」
「そんなことして何になる?」

押しつぶされそうな言葉の数々。確かに成功する保証はないし、「旅をして何になるのか」明確な答えもありません。それでも、夢を叶えたかった。こんな僕にでも何かできるのだと、周りに、そして自分自身に証明したかったのです。

「この旅を実現しなければ、自分の人生を生きているとは言えないのではないか」

そんな思いが、日増しに強くなっていきました。

1987年5月。いくつもの壁を乗り越え、私はついにオーストラリアへと旅立ちました。

藤原かんいちのドリーム・ジャーニー|vol.01 夢は日本一周、そして360度の地平線へ
日本から船便で送ったホンダ・モトラをオーストラリアで受け取った。この木枠は旅することにずっと反対していた父が最後に作ってくれたもの。
藤原かんいちのドリーム・ジャーニー|vol.01 夢は日本一周、そして360度の地平線へ
オーストラリアの旅はまさに人生を変える第一歩だった。あの時、勇気を出して踏み出していなかったら、今の自分は存在していないだろう。

果てしなく続くオフロードをホンダ・モトラで駆け抜けていく。深い砂地を切り抜けたその瞬間、夢にまで見た「360度の地平線」が視界いっぱいに広がりました。次の瞬間、涙が溢れて止まりませんでした。ついに、ついに夢を叶えたのだと。

夜になると、無数の星で空は覆い尽くされていました。この時初めて、「自分は地球という星に立っているんだ」と実感しました。落ちこぼれの僕でも夢を実現できた。だから、きっと誰にだってできる。結局、すべては自分次第なんだということを、オーストラリアの旅は教えてくれました。

帰国後、もうひとつの夢だった「バイク雑誌での連載」もスタート。あの落ちこぼれだった私の人生は、この旅を境に大きく動き出しました。

そして僕は、さらに大きな夢を思い描くようになります。

次なる目標は、原付バイクによる世界への挑戦でした。

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