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若いから被害に遭うとかおばさんだから大丈夫とかじゃなくて。私たちが戦うべき、舐め腐った記号の正体|連載 #60代のリアル

  • 2026.6.24

今から10年くらい前、一人旅に行った。

宿からの帰り道、Googleマップを見ながら進んだはずが、山道で迷ってしまった。

「駅まで行くんですか?」

車の中から声をかけてきたのは、同年代くらいの男性だった。

「ここからだとかなり遠回りだけど、大丈夫ですか?」

「地図を見ながら歩いてきたんですけど…」

するとその男性、面倒そうな表情を浮かべながら、

「よかったら、乗ってください。」

助かった!旅はいい出会いがあるって言うよね、なんて思っていた。

ところが、車はさらに山間部へと進んでいく。嫌な予感がする。

「せっかくだからこのあたりの、景色がいいところも見ていってください。」

というが、ただの広場だ。

車を止めたかと思うと、突然、覆い被さってきた。

驚きすぎて声も出ない。

私は咄嗟にドアノブを握った。

「キスさせて…」

その舐めるような声を遮り、吐き気を堪えながら私は、鳴ってもいない携帯電話を取った。

「もしもし?え?駅に着いた?私も今向かってる!」

「車で送ってもらってる。えっとね、車は白の…」

相手は飛び退いた。

「え…旦那さん?!」(小声)

私、会話しているふりをしつつ、うなづく。
(私に旦那さんなんていないんだけどね)

相手の顔は凍りつき、目は私の“夫”の存在に怯えている。

こういう男ほど『男』を恐れる。

そう感じて、咄嗟に居もしない“夫”の存在を匂わせたのだ。

案の定、男は一目散に車を出した。

そして、“夫”と鉢合わせになることを恐れた彼は、私を、駅からかなり手前で降ろして逃げ去った。

駅にたたずみ、私はガタガタと震えていた。

私、なんで知らない人の車になんか乗ったんだろう?!

10代は電車通学だった。

小柄だった私は、電車の中ではよく痴漢に遭っていた。

「痴漢」という響きではやさしすぎると思うほど、酷い目に遭った。

股間に固い、おそらく金属のようなものを押し込まれたこともある。

その時は真剣に“処女膜”とやらが破れたのではと思ったほどで、出血し、歩くこともままならず駅のホームでうずくまって泣いた。

ホームの階段から突き落とされたこともあった。

途中の踊り場でなんとか踏みとどまらなかったら、たぶん大けがをしていたと思う。

驚いて見上げると、学生風の男の子が暗い笑みを浮かべてじっとこちらを見下ろしていた。

高校生くらいの3人組につけまわされたこともある。

間違えて一度ホームに降りると彼らも慌てて降りる。

恐怖を抑えながらそのままホームを歩き、発車直前に電車にまた飛び乗った。

ホームに残された彼らがこちらをじっと見ていたのを今でも覚えている。

ある日刑事が訪ねてきて、近隣で起きた連続婦女暴行事件の容疑者が「お宅の子を狙っていたらしい」「注意するように」と母に言ってきたこともあったらしい。

以前のエッセイで昭和のセクハラの話をしたが、会社員になってからはそうしたトラブルが大幅に減って、心底ほっとしていた。

こんな話をすると「男にチヤホヤされていた」とか「モテたんですね」とか言ってくる人もいるがとんでもない。恋人もいなかったし告白されるなんてこともなかったし、単に彼ら「変態」は相手の人間性など関係なく手頃なターゲットに「制服」「若いコ」みたいな『記号』を付与し、そこに勝手に反応しているにすぎない。

だからこそ、そうした記号から外れた中高年になった私は、「もう自由だ!一人の人間だ!」みたいな感覚がどこかにあった。

しかしこの旅行で、それが打ち砕かれた。

件の相手が私に見たのはおそらく、一人の人間としての尊厳など皆無なただの『一人旅の中年女性=隙がある、抵抗しない、情弱、舐めてかかっていい対象』という、これまでとは違う新たな都合のいい『記号』だったに違いない。

結果、生きて帰れたからいいようなものの、いい大人が、いろんな経験をしてきたはずの50代の私が、見ず知らずの男の車に乗るなんて、とんでもない油断!大失態をしてしまった。

「もうおばさんだから、大丈夫。」

そう安心していた自分を責めればいいのか?

はたまた判断力を失った脳機能低下ばあさんな自分に怒ればいいのか?

違う。悪いのは相手だ。どう考えても。

実はヨガ教室でも「女性専用」としているところは多い。女性講師主催の教室が多い中で、大なり小なり、トラブルを経験しているからだろう。

しかし、私が主催するスタジオでは、今のところ男性の参加も歓迎している。

もちろん過去の苦い経験の数々から、警戒心がないと言ったら嘘になる。

けれど、私たち女性側もまた、男性を「ある種の男性(=加害者・敵)」という一律の記号で見るのをやめたい、と願うからだ。

実際に扉を開けてみれば男女問わず、「記号」などではなく一人の「人間」として真摯にご自分と向き合う、素晴らしい方たちが集まってくださっている。

私自身、会社員時代が長く、また60代という年齢になり社会の中枢から離れたことで、男性が背負わされている「男たるもの」という重圧や、生きづらさ、息苦しさが客観的に見えるようになった。

だからこそ、そのフラストレーションを私が経験したような加害に向けるのではなく、ヨガを通じて自分自身を整える方向へ向けてほしいのだ。

ヨガマットの上では皆、立場も性別も年齢も超えたひとりの人間。

それぞれが社会に着せられた『記号』から解放されて、ただあるがままの自分としてそこに座り、呼吸し、静かな時間を過ごす。

今後方針が揺らがないとは限らないが、私はこれからも、できれば人を信じ、そんな場所を作っていきたいと思っている。

松木千枝

1963年生まれ。IT企業で営業職として働く中で、そのストレスから重度の不眠症を発症し、50歳でヨガと出会う。54歳でヨガインストラクターに転身。2025年、東京都大田区長原にスタジオをオープン。日本アーユルヴェーダ協会会員。

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