1. トップ
  2. 50代のひとり旅は頑張らなくていい——神戸のホテルで味わった“極小の旅”の満足感【岸本葉子さん】

50代のひとり旅は頑張らなくていい——神戸のホテルで味わった“極小の旅”の満足感【岸本葉子さん】

  • 2026.6.21

50代のひとり旅は頑張らなくていい——神戸のホテルで味わった“極小の旅”の満足感【岸本葉子さん】

「ひとり旅、してみたい。でも少し不安」——そんな方も多いのでは? 「50代は『ひとり旅』の適齢期」と語る、エッセイストの岸本葉子さんが、50代で再開した旅の楽しみ方を綴った新刊が話題です。『50代からのしあわせ「ひとり旅」』から一部抜粋して全5回でお届けします。第1回は、再スタートのきっかけについて。

介護を経て、再スタート

ひとり旅を長いことしていませんでした。50代で再スタートするまでは。その前に最後にしたのは、たぶん30代に入るか入らない頃だと思います。

40代、50代でも出張はときどきしていました。そういうときの旅は、行った先で用事がぎっしりです。飛行機で行くところなら、空港と市内をつなぐバスの乗り降りのときしか、その町の空気を吸わなかった、新幹線で行くところなら、往復の列車の中で2食ともすませ、その町の名物が何であるかも知らなかった、ということはよく起きます。

詰め込みぎみだったのは、家族の状況のためもあるかもしれません。40代から50代にかけて在宅介護をしていました。

きょうだいが交代で親の家に泊まっていたので、出張はできました。きょうだいも快く送り出してくれました。でも、自分がいない分、きょうだいに負担がかかるのはあきらかです。親の入院など、急な事態があったとき「物理的に対応できないところにいる」というのは、自分だけ義務を免れているようで、それだけで後ろめたいのです。なので用事がすんだら、ただちに家へ向かっていました。

昔、落合恵子さんが高齢のお母さんの介護について書いているのを、読んだことがあります。落合さんもときに出張をしていました。帰りの駅で新幹線の券を買うとき、落合さんは葛藤します。細かな点をおぼえていないのですが、わかりやすく伝えると、帰りの列車を「こだま」にすれば、到着まで時間がかかり、その間体を休められる。たぶんそれは許されること。けれどもやはり「ひかり」を選んで帰るのだと。

落合さんはたしかひとりっ子。抱えていたものの重さは、きょうだいと分担できる私には遠く及びません。が、その選択はわかります。私も帰りの駅で、発車までの残り時間に気をもみながら、1本でも早い「ひかり」、10分でも早く着く「のぞみ」を買い、ホームへ急ぐのでした。

介護が終わって、ひとり旅を再スタートしたのは……この質問を受けるたび「神戸です」と答えていましたが、この本を書くために手帳をよくよく見たところ、松山でした。神戸となっている記事を読んで下さった方には、すみません! けれど本当の再スタートが神戸だったことに、噓はないのです。というのは、松山の記憶がほとんどなく……。

手帳によると、なんと葬儀の3日後に行っています。月曜に父が亡くなって、松山はその週の土曜という際どさでした。

父は亡くなるひと月ほど前から入院していて、その状態がずっと続くのか、今日明日にも変わるのか、皆目わからない状況でした。もし退院することになっても家での介護はもう無理だから施設の入居願いを書くよう、ケアマネジャーさんに言われて、父のベッドサイドで用紙を記入。他方、心苦しいことながら、もしものときの葬儀会社も当たりをつけておかないといけないので、病院から帰るとパソコンで検索。そんな状況なので松山の仕事も、前もって取り止めておいた方がいいのか、けれども前々から準備してもらっているから、このまま行ければ迷惑はかけずにすむしと、迷いに迷っていました。

結果的に臨終の日も葬儀の日も外れ、行くことができたわけですが、あまりに直後だったせいか、松山での記憶がほとんどないのです。かすかに思い出せるのは、松山空港行きのバスターミナルで、切符を握り締めて並んでいたこと。用事がすんだらただちに帰る癖は、介護のときのままでした。お骨もまだ家にありましたし。

旅の本なのに、いきなり葬儀とかお骨とか、すみません(再び)! でも50代の方なら、手にとるように想像がつくと思います。家族のことで綱渡りするような経験を、何かしらしている方は多いでしょう。他の本でならここまで書きませんが、この本の読者には共感していただけるかと、記す次第です。

その「綱渡り」がなくなっていることに突如気づいたのが、神戸でした。父の死去からひと月後のこと。

ひと月に松山、神戸と、ずいぶんよく出かける人だなと思われるかもしれません。たしかに、コロナ禍でリモートが普及する前は、行って用事をすることが今より多く、また、そういう用事は、続くときは続くものなのです。そのときも木曜の夜、神戸に着いて、金曜の午後まで用事。翌土曜の午後は大阪で用事がありました。

神戸の用事がすんだら、いったん帰るつもりでいました。それまでの癖です。が、急ぎ駅へ向かおうとし、地下鉄だと時間がかかりそうだからタクシーでと、鼻息荒く空車を探していて、ハタと気づいたのです。

何もこんな追われる人のように慌ただしくこの地を離れなくても、いいのでは。神戸にもう1泊したところで、今の私は誰に迷惑をかけるわけでもないのだと。

1泊し神戸から大阪に行く方が、体は断然楽です。帰りの新幹線の中で大阪の用事の準備をするつもりで、必要なものは鞄(かばん)に入れてきています。

泊まっていたホテルに幸い空室があるとのこと。ホテルへUターンし、もう1泊しました。それがどんな「旅」であったかは、次項に述べます。ひとことで言うならば、極小の旅でした。若いときのひとり旅のように欲張らなくても充分満足でした。

その意味で、旅のコスパは、再スタート後上がったといえそうです。

頑張らなくても大満足

突如再スタートしたひとり旅。

部屋に入ってとりあえず荷物を置いたものの、何をしていいかわかりませんでした。まるまる1泊、どのように過ごしてもいい時間を、突如手にしたのです。

「まずは大阪の準備を。すべきことをすませてから」と考えましたが、なかなか頭が回りません。部屋にある案内の類を、ぼうっと眺めます。

神戸の観光としては、北野の異人館、元町の中華街、ポートアイランド、ロープウェイの通っている滝などがあるようです。行くとしたら開館時間、ロープウェイの営業時間などがあるだろうから調べて、バスの時間も調べて、できるだけ多くのところに行ける効率のいい順番を考えて……でも、そのエネルギーがまったくわきません。

段取りを放棄したい。せかせかと動き回ることをしなくていい、したくない。自分の中のそうした願望に、薄々ながら気づきました。

案内によると、ホテルの中にプールがあるようです。水着もレンタルできるとのこと。行ってみることにしました。

上の方の階にある屋内プールで、私の他に誰もいませんでした。おそるおそる水に入り、背中で浮いてみます。無重力になったような、不思議な感じ。

大きな窓の向こうは空。午後の光がまだ充分残っていて、明るい空です。昼間から自分がこんな水の上に寝そべるようにしていることそのものが、信じられない感じです。

プールの底に足をつけて、いちど立って改めて見ます。ガラスから差す光が、エメラルド色の水に網目模様を作って、伸びたり縮んだり。その水に背中から体をあずけ、手足の力を抜いて、ただ漂っていると、いい知れない解放感がわいてきました。

解放感というと、親に申し訳なく、それを言うなら親が子育てをする間、私は親を「束縛」していたことになります。頭ではそう考えても、今、感じている身軽さは、否定しようのないものでした。

こういう時間を、私は持つことができるようになったのだ。人生で担う肩の荷のひとつを下ろしたのだと、実感しました。

日が暮れて、さすがに夕食をとるための行動は起こさないといけません。ホテル内のレストランを覗いてみると、物の割に高そうで、客が多く落ち着かなそうで止めました。街に出てみると、メニューにひかれる店はあるけど疲れそう。

スーパーでそうざいとカップうどんを買って戻りました。

ホテルの部屋に備え付けのポットで湯をわかし、シングルルームの狭いテーブルで「緑のたぬき」をすする。その夕食が、しみじみとおいしかったです。

家族や友人がいっしょだったら、神戸まで来て部屋でカップうどんというわけにいかないだろうけど、人に合わせなくていいのが、ひとり旅の醍醐味です。

窓から目にする港の夜景。船の汽笛が鳴り響けば、神戸の旅情も極まります。

若いときの最初のひとり旅は京都でした。嵐山、貴船、大原といった「これぞ京都市」の観光地を、20代の元気さもあり、「よくもまあ1日で」と思う行動力で回ったものです。

そこまで頑張らなくていい。頑張らなくても充分に満足できるのが、ひとり旅再スタート後の私です。

※この記事は『50代からのしあわせ「ひとり旅」』岸本葉子著(佼成出版社刊)をウェブ記事用に再構成したものです。

元記事で読む
の記事をもっとみる