1. トップ
  2. エンタメ
  3. 我々もまた『NEW GROUP』のメンバーだとして、それは本当にNEWなのか? ー宇野維正による『NEW GROUP』レビュー

我々もまた『NEW GROUP』のメンバーだとして、それは本当にNEWなのか? ー宇野維正による『NEW GROUP』レビュー

  • 2026.6.14

「組体操が襲ってくる」。

【写真を見る】ピエール瀧が、リズムに乗せて主人公たちを“集団”に勧誘?

こうして文字にしても一体何のことかわからないかもしれないが、『NEW GROUP』(公開中)が常軌を逸しているのは、それを何かのメタファーやアナロジーとしてだけではなく、具体的な映像としてそのまま観客に差し出しているところだ。

組体操が人を襲う!かつてないホラー映画が誕生 [c]2026映画「NEW GROUP」製作委員会
組体操が人を襲う!かつてないホラー映画が誕生 [c]2026映画「NEW GROUP」製作委員会

形而上学的なテーマを体裁的にはリアリズムの手法で具象として描く。これは下津優太監督作品において長編商業映画デビューとなった前作『みなに幸あれ』(24)とも共通するセオリーで、ひとまずはそれを作家性と言ってもいいだろう。『みなに幸あれ』は、どこかの誰かの幸福はどこかの誰かの不幸によって成立している、つまり「世界の幸福はゼロサムである」という思想を、『2000人の狂人』(64)や『ウィッカーマン』(73)や『ミッドサマー』(2019)に代表されるフォークホラー的な容れ物を借りて描いた作品だった。特徴的なのは、薄暗い時間帯や場所が主要な舞台となることが多いホラー映画というジャンルにおいて、日中の時間帯に白日のもとで禍々しい出来事が次から次へと起こり続けるところ。暗闇が映画にもたらす曖昧さや抽象性に逃げることなく、隅々までクリアで明るい画面の中で恐怖を演出するという難題にチャレンジした作品だった。そして、そんな隅々までクリアで明るい画面は、日中の高校の校舎と校庭が主要な舞台となる今作『NEW GROUP』にも引き継がれている。

『NEW GROUP』の設定は『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56)や『ゼイリブ』(88)や『WEAPONS/ウェポンズ』(2025)に代表されるボディ・スナッチャーものの一種とも言えるが、美学的にはホラー映画史をかなり大胆に逸脱していて、作品自体がダイレクトな現代社会批評になっている。下津監督がデビューするきっかけとなったのは2021年に開催された第1回日本ホラー映画大賞。自分は第1回から選考委員の一人を務めているわけだが、その応募者は大きく「ホラー作品を作り続けてきた作家」と「同賞に応募するために初めてホラー作品を作った作家」の二通りに分かれていて、下津監督は受賞時から後者であることを公言していた。もっとも、初長編作品『みなに幸あれ』を撮り終えた段階で「最初はそのつもりはなかったが今後もホラー作品を作り続けていくかもしれない」と言っていたので、自身のホラー観を追求した先にあったのが今回の『NEW GROUP』ということでもあるのだろう。

下津優太監督が自作短編を長編化した商業デビュー作『みなに幸あれ』は、ローリング・ストーンの「THE 20 BEST MOVIES of 2025」にランクインした 『みなに幸あれ』各配信プラットフォームにて好評配信中 [c]2023「みなに幸あれ」製作委員会
下津優太監督が自作短編を長編化した商業デビュー作『みなに幸あれ』は、ローリング・ストーンの「THE 20 BEST MOVIES of 2025」にランクインした 『みなに幸あれ』各配信プラットフォームにて好評配信中 [c]2023「みなに幸あれ」製作委員会

芸能人の不倫現場に群がり暴徒化するマスコミの集団、公共の場所でスマホのカメラをかざして騒ぐ女子高生の集団、路上生活者の傍らで札束を見せびらかせて商店街を練り歩く政治家とその支持者集団。そんな導入部からも明らかなように、本作の主要テーマとなっているのは「集団心理の恐ろしさ」だ。それを本編では「組体操が襲ってくる」という画のインパクトや、校長室で突然始まるリズムネタ的展開のシーンなどで表現しているわけだが、作劇的に誇張されているだけで、それは我々が生きているこの世界の様相そのものに思えるのは自分だけだろうか?

劇中に再三登場する、高校の校庭に出現した巨大ピラミッドを報じる民放の情報番組(そこでただ一人「正気」を代表しているコメンテーターを演じているのが清水崇監督であることに笑ってしまった)も象徴しているように、本作では一貫してマスコミをわかりやすい洗脳装置として批判的に描いている。そして、近年流行りの「オールドメディア」という呼称を援用するまでもなく、政治的なポジションや思想的なポジションを問わず、多くの観客はそんな本作のマスコミに対する批判的なスタンスに共感を覚えるだろう(稀に特定のメディアにやたらと信頼を置いているおめでたい人も見かけるが)。

【写真を見る】ピエール瀧が、リズムに乗せて主人公たちを“集団”に勧誘? [c]2026映画「NEW GROUP」製作委員会
【写真を見る】ピエール瀧が、リズムに乗せて主人公たちを“集団”に勧誘? [c]2026映画「NEW GROUP」製作委員会

劇中では描かれていないものの、スポーツの試合で自分たちの応援するクラブやナショナルチームを熱狂的に応援する集団、最近は一部ミュージシャンの呼びかけもあって減りつつはあるものの(そんなことない?)、ライブやフェスでみな同じタイミングと同じ手の挙げ方をするオーディエンス集団、そうじゃなくてもまるでマスゲームのように数万人のオーディエンスのペンライトやリストバンドを制御して光らせるライブ演出などなど。そうした基本的にポジティブな現象とされているものであっても、見方を変えれば『NEW GROUP』的な風景に日常で出くわす機会は少なくない。と、書いている自分だって、本当に好きなクラブチームの試合や本当に好きなアーティストのライブではそういう風景の一部になって興奮や恍惚感を得ることだってある。

そう考えると、クライマックスで山田杏奈演じる主人公が「起きて!」「目を覚まして!」と呼びかけている対象から完全に逃れることができる観客はどれだけいるだろうか?また、その主人公が最終的に集団に対抗するためにとった行動やポーズもまた、彼女が「起きて!」「目を覚まして!」と呼びかけていた対象の合わせ鏡でしかないという解釈も可能だろう。2010年代後半以降、北米やヨーロッパの若い世代に蔓延してきたウォーキズムが、2020年代に入ってから特に先鋭的な一部の映画作品では嘲笑の対象となり、「ウォーク」が(その是非はひとまず置いておくとして)すっかり蔑称として定着しつつある現在、「起きて!」「目を覚まして!」という呼びかけにはどこかアイロニーも含まれているのではないか?

劇中で繰り返しベッドから「起きる」主人公を見ながらそんなことを考えていると、「現代社会批評になっている」とした本作の批評精神が、実は全方位に向けられていることに気づかされずにはいられない。

『NEW GROUP』は6月12日より公開中 [c]2026映画「NEW GROUP」製作委員会
『NEW GROUP』は6月12日より公開中 [c]2026映画「NEW GROUP」製作委員会

文/宇野維正

元記事で読む
の記事をもっとみる