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「SFという包装紙にくるまれた“ザッツ・是枝ワールド”」笠井信輔アナが分析する『箱の中の羊』とSFヒューマノイド映画の系譜

  • 2026.6.14

カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、5月29日より公開中の是枝裕和監督最新作『箱の中の羊』。本作は、近い未来の日本を舞台に、息子を亡くした喪失感を抱えた夫妻がヒューマノイドの子どもを息子として迎え入れることによって始まる家族の物語を丁寧に描いている。

【写真を見る】綾瀬はるか&大悟演じる夫婦とヒューマノイドによる“疑似家族”

年間130本以上の映画を鑑賞するフリーアナウンサーの笠井信輔は、本作を鑑賞後、想像以上に激しく心を動かされたという。本記事では、そんな無類の映画ファンである笠井信輔による、ネタバレありの考察レビューをお届け。是枝監督が創った“遠くはない未来”を、これまでの是枝監督作品や有名SF映画と共にひも解いていく。

※以降、『箱の中の羊』のネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)に該当する要素を含みます。未見の方はご注意ください。

「これは深い作品になるんだろうな」と想像していた

是枝裕和監督がSFに挑む。

もちろん、普通のSFは創らないはずだと思っていた。しかし、幼い息子「翔(かける)」を失った夫婦のもとに、AIのヒューマノイドがやってくるという設定は、往年の映画ファンならば、スティーヴン・スピルバーグ監督作、大人気だったハーレイ・ジョエル・オスメント主演の『A.I.』(01)と同じだと気づくだろう。

当時、『A.I.』を劇場で観ていた私もそうだった。あれから25年がたち、是枝監督は、すでに描かれたこの構図をどうしようとしているのか。大変興味が湧いた。

その結果は…。SFという包装紙にくるまれた“ザッツ・是枝ワールド”であった。

人間のために提供された人型ロボットが人間に虐待されるという、人間の身勝手さがもたらす残酷な未来を描く点で、本作には『A.I.』に通じるところがある。

【写真を見る】綾瀬はるか&大悟演じる夫婦とヒューマノイドによる“疑似家族” [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
【写真を見る】綾瀬はるか&大悟演じる夫婦とヒューマノイドによる“疑似家族” [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

江戸時代の身分社会が、いや、もっと前の平安時代の貴族社会がそうであったように、人間には、自分の地位を保つために、自分よりも低い立場の人を作り出してきた歴史がある。

今は「マウントを取る」という言葉によって、それが日常の中で表面化しているが、まさにAIロボット時代になると、ヒューマノイドという人間そっくりの存在が出現することになり、人間には「自分たちにそっくりな彼らは、人間より程度の低い存在なんだ」という防衛本能が働くのだろう。

人間は、ヒューマノイドが自分たちにとって都合のよいときには愛し、かわいがり、人間と同等に扱う。しかし、都合が悪くなれば、モノとして扱う。

息子の代わりにヒューマノイドを迎える音々と健介 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
息子の代わりにヒューマノイドを迎える音々と健介 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

劇中に、大悟演じる健介が、

「ペットじゃないんだから」

と口にする何気ないシーンがあるが、それこそが伏線であり、おそらくヒューマノイドは、将来的に「人間の姿をしたペット」のような扱いになっていくことを、是枝監督は示唆している。極論すれば、ヒューマノイドの誕生は奴隷制の復活を意味し、『A.I.』では、すでにそういう時代に突入していた。

先日、中国で、人間のランナーと人型ロボットが同じコースを走るハーフマラソン大会が開催された。いかにも「ロボット!」というものから、まるで人間のような巧みな走りを見せるものまで、たくさんのロボットが参加していた。

優勝したのは人型ロボットだ。人間の世界記録を7分近く上回る速さで約21kmを走り切る姿に驚いた。しかも、前年の同じ大会では、ロボットは人間より1時間半ほど遅かったのだ。わずか1年で目覚ましい進化を遂げたのである。

しかし、そのニュースでは、

「スタート直後に転んでしまうロボットもいて…」

といったコメントとともに、転倒するロボットが次々と映し出されていた。

ここで視聴者も私も安心する。

「足が速いだけだし、まだまだだな」と…。

ロボットに対する見下しやマウントは、すでに始まっているのだ。

将来的には、人間と見分けのつかないヒューマノイドが誕生するのだろう。その存在に驚きや称賛、愛着が生まれるのは当然だ。

しかし、技術の進化への「賛辞」とともに、「恐怖」も生まれてくる。

それをホラーとして提示したのが、矢口史靖監督の『ドールハウス』(25)であった。

亡くなった子どもの代わりに人形をかわいがるようになったら、その人形が動き始めた!そうなると、もう恐怖しかない。

ヒューマノイドは、まさに“生きている人形”

スティーヴン・スピルバーグ監督『A.I.』に登場した少年型ロボット・デイビッド [c]2001 WARNER BROS.&DREAMWORKS.LLC.
スティーヴン・スピルバーグ監督『A.I.』に登場した少年型ロボット・デイビッド [c]2001 WARNER BROS.&DREAMWORKS.LLC.

そう、ヒューマノイドは、まさに“生きている人形”なのだ。

そのことを是枝監督は、ホラーではなく、愛と家族の物語として巧みに描いたといえる。

そうしたなかで、『箱の中の羊』と『A.I.』の大きな違いは、ロボット=ヒューマノイドを受け入れる両親の視点で描かれる前者と、ロボットであるデイビッドの視点で描かれる後者との差だ。

『箱の中の羊』において重要なのは、“生きている人形”を受け入れる人間たちの感情であり、その受け入れ方や生きざまである。それが、この映画をSFではなく、リアルなものにしている。

綾瀬はるかと大悟は見事であった。母として、息子を失った喪失感から逃れることができず、「ヒューマノイド・翔」に癒やしを求める綾瀬の演技には、胸にちくりと刺さるものがあった。その一方で、最後まで母としての強さを見せ、偽物の「ヒューマノイド・翔」とは一定の距離を取ろうと努める複雑な母親の姿を、綾瀬は体現していた。

ところが、“生きている人形”に「ルンバだ!」と嫌悪感を示していた父親の大悟は、反対に、どんどん「ヒューマノイド・翔」にのめり込んでいく。

反比例していく夫婦の感情曲線が見事に描かれていて、なかでも、映画初主演となるお笑い芸人の大悟には驚かされた。

翔が悪いことをした時、「契約解消」と言ってしまう音々 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
翔が悪いことをした時、「契約解消」と言ってしまう音々 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

ファーストシーンこそ違和感アリアリだったが(笑)、すぐにこの物語にジャストフィットすることが分かり、その後は、お笑い芸人としての大悟ではなかった。

嫌そうな顔をしながら喜怒哀楽を表すのは、いつもの大悟なのだが、健介そのものであり、ヒューマノイド翔に「おじさん」と呼ばせていた大悟は、“そして父になる”のである。

別に、しゃれているわけではない。

育ててきた子が実の子ではないと知った、福山雅治が『そして父になる』(13)で演じた父親の複雑な感情や葛藤と通底していると感じたからだ。

親子の血のつながりは、決して断つことができない。

ところが、“生きている人形”は返却可能だ。その結果、生まれる“捨てヒューマノイド”。

これが社会問題になっていくことを、是枝監督も強く懸念しているのだと思う。

実は、こここそ是枝作品の原点ともいえるテーマだ。

人が人を捨て、また捨てられる物語にこだわってきた是枝監督

ヒューマノイド・翔の行動で広がる波紋 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
ヒューマノイド・翔の行動で広がる波紋 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

『誰も知らない』(04)、そして『万引き家族』(18)。カンヌで高い評価を得たこの二つの作品は、捨てられた子どもたちのその後を描いた物語だ。さらに、『ベイビー・ブローカー』(22)は、まさに捨てられた子を、さらに“捨てに行く”話だ。

人が人を捨て、また捨てられる物語にこだわってきた監督である。

ヒューマノイドが誕生すれば、それは輝かしい技術の発展であると同時に、ヒューマノイドが捨てられるという社会問題へとつながっていく。是枝監督は、そこを見通している。

ただ、ここは、25年前に作られたスティーヴン・スピルバーグ監督の『A.I.』で強烈に描かれていた。当時、スタンリー・キューブリックが構想していた作品にしては甘すぎる、などの批判も少なくなかったが、今観れば、未来を相当に予見した作品であった。

血のつながった子どもが戻ってくれば、その間、心の穴を埋めてくれていた“生きている人形”であるヒューマノイドは、いらなくなる。『A.I.』は、ストレートにそれを表現していた。そして、本作の中にも、子どもが生まれたために捨てられたヒューマノイドの少女が出てくる。

では、ヒューマノイドは、どのような気持ちでいるのか。

2作のポイントは、ここにもある。

「人間にとって“生きた人形”が本当に必要なのか」

夫婦のもとにやってくるヒューマノイド・翔 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
夫婦のもとにやってくるヒューマノイド・翔 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

『A.I.』でハーレイ・ジョエル・オスメントが演じたデイビッドは、ピノキオのように「人間になりたい」と願う“心”を持った少年型ロボットであった。

しかし、人工知能が心を持つようになるのか。

是枝監督は、この点について、自作『空気人形』(09)で一つの答えを提示している。

それは、生きている人形が心を持つことは、とても切ないことである、ということだ。

そして、「私は誰かの代わりでいい」と、空気人形は結論づける。この考え方が、スピルバーグ監督の『A.I.』と大きく違うところである。

「ヒューマノイド・翔」は高度なAIではあるが、自分が人間になりたいなどという非科学的なことは思わない。自分は「人間の翔の代用品」であると理解しているのだ。

ここが、デイビッドよりも現実的であり、切なく、怖いところでもある。

まさに、『箱の中の羊』だ。

ヒューマノイドの息子にのめり込んでいく健介 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
ヒューマノイドの息子にのめり込んでいく健介 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

人間そっくりの躯体という「箱」を持つヒューマノイドではあるが、その外からは見えない本当の中身、すなわち「羊」は、自分たちが想像していた温かな存在とは違う。契約に基づいて作られた学習ロボットであるという現実が突きつけられる。

『空気人形』では、ダッチワイフを愛でていた板尾創路が、「元の空気人形に戻ってくれないか」と懇願するシーンがある。

人間にとって“生きた人形”が本当に必要なのか、という是枝監督の思いがにじんでいるシーンだ。

そうしてみると、『箱の中の羊』は、SF初挑戦という捉え方ではなく、作られるべくして作られた作品といえる。捨てられた子どもを描いてきた是枝監督の創作の柱は、“疑似家族”であるからだ。

『誰も知らない』『万引き家族』『ベイビー・ブローカー』『そして父になる』、さらに『海街diary』(15)も、異母姉妹が本当の家族になる話だった。『歩いても 歩いても』(08)の家族にも、連れ子が一人いる。

翔のヒューマノイドに驚きを隠せない母(余貴美子)と妹(清野菜名) [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
翔のヒューマノイドに驚きを隠せない母(余貴美子)と妹(清野菜名) [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

『A.I.』が同じような題材なのに、この家族の形態を深掘りしないのは、日本に比べて、アメリカでは養子縁組が圧倒的に多く、血のつながりのない家族の在り方が一般化しているからだろう。

血がつながっていない家族のつながりを描き続ける中で、そっくりだが偽物である「ヒューマノイド・翔」を受け入れようとする疑似家族の物語は、まさに是枝作品のど真ん中なのだ。

「人間になりたい」「母の愛を受けたい」と願い続けるロボット・デイビッドと、「自分は翔の代用品である」と理解しているヒューマノイド・翔のたどる道は、おのずと異なる。

『箱の中の羊』はその着地が分かりにくいという感想も見聞きする。

ヒューマノイドの少女と出会い新たな動きを見せる翔 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
ヒューマノイドの少女と出会い新たな動きを見せる翔 [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

私は、人間の両親と決別し、森の中に残るヒューマノイドの子どもたちの姿を観て、なぜか『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』(82)のニュータイプの子どもたちを想起した。

人間そっくりのヒューマノイドを作るということは、新しい人類を作ることになっていくのではないか、と感じたのだ。自分たちは人間とは違う“存在”であるという自我の目覚め。そして、小さな躯体が起こす小さな反乱が、あのラストなのではないだろうか。

自分たちの世界を作る…。そして、生きていく。捨てられるのではなく、自ら離れていく。

これは、人間とロボット=ヒューマノイドがお互いを理解し合うというよりも、両者の真の共存は難しく、別の社会を築くことになる、というぎりぎりの結末に思えた。

「ヒューマノイドのたちの自我の目覚めを描いた作品」

ヒューマノイドは人類にとって光なのか闇なのか? [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.
ヒューマノイドは人類にとって光なのか闇なのか? [c]2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

人間とロボットの関係を描いたSF映画はたくさんある。そこで、それらを未来に向かって時系列で並べて直してみる。

『箱の中の羊』はその端緒、ヒューマノイドたちの自我の目覚めを描く。

『A.I.』が描くのは、自我に目覚めたロボットたちと人間との悲しき対立だ。

そして、『ブレードランナー』(82)や『ターミネーター』(84)で、ヒューマノイドたちは蜂起し、対人間戦争を起こすのだ。これらの作品は地続きであると考えられる。

そして、その先の物語が「鉄腕アトム」なのだ。人間とロボットが平等に共生できる平和な世界を目指し、アトムは闘い続ける。

手塚治虫が70年以上前に生み出したアトムも、『A.I.』や『箱の中の羊』と同じく、死んだ子どもの代わりとして作られたロボットである。そして、もっとも古い「鉄腕アトム」が2つの作品の先の世界を描いている。そう考えたとき、映画というものを点で観ず、線で観ていくことの面白さに気づくのである。

本作を観て、未来になればなるほど、“疑似家族”は現実的なものになると感じた。

本作の未成年のヒューマノイドたちによる小さな独立運動、小さな革命を観ながら、このまま人間が身勝手なままでは、技術や科学だけが進んでも、明るい未来はないように思える。

皆が、綾瀬はるかと大悟が演じた親のように、気づきを得られればよいのだが…。

文/笠井信輔(フリーアナウンサー)

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