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美少年からハガキ職人、タレントショップ店員まで!スロ界のレジェンド・沖ヒカルの波乱万丈すぎる半生に共演者も驚愕

  • 2026.6.14
沖ヒカル
ABEMA TIMES

6月12日に放送された「パーラーカチ盛りABEMA店」にて、パチスロ界のレジェンド・沖ヒカルの謎に包まれた半生が明かされた。この日行われた企画は、業界のレジェンドについて広く、浅く、スピーディーに学ぶ「世界一短い授業 ―沖ヒカル編―」。沖の本性と知られざる過去を暴くため、パチンコYouTuberの日直島田が独自のメタ情報を交えて解説を展開すると、そのあまりに波乱万丈で華麗な経歴にスタジオの芸人一同が驚愕と爆笑に包まれた。

【映像】沖ヒカル、美少年時代の写真

まずスタジオを驚かせたのは、沖の華やかなルーツだ。真珠の養殖と呉服店を営む家の長男として生まれた沖だが、0歳当時の写真が公開されると、さらば青春の光・東ブクロは「お母さん、おきれいな」と感嘆。沖は「うちの母親、準ミス琵琶湖なんです」とサラリ。さらに小学生時代の写真が映し出されると、現在のロングのパーマヘアからは想像もつかない姿だった。見取り図・盛山晋太郎が「あら、イケメン!?」と目を見張ると、沖も「結構いけてんすよ」と不敵な笑みを浮かべた。

沖ヒカル
ABEMA TIMES

そんな美少年だった沖だが、高校時代にはラジオにドハマリして熱狂的なハガキ職人へと変貌を遂げる。高校2年生当時の写真ではなぜか中指を立てて尖っており、盛山からすかさずツッコミが入る。しかし実力は本物で、中部地方の深夜ラジオの雄であるつボイノリオの番組や、『中島みゆきのオールナイトニッポン』でネタが採用された実績を持つ。さらには「ピンクレディーの未唯mieさんに、僕の替え歌を歌ってもらったことあります」という驚きのエピソードまで飛び出した。

さらに沖の迷走とも言える熱狂は続き、青年期には山田邦子の大ファンだったことから、当時ブームの最先端だった原宿のタレントショップ「KUNY(クニー)」でアルバイトとして勤務。その後、パチスロ雑誌の編集部へと進むが、そこでのライター名の変遷も凄まじい。「グレハン内池」から始まり「グレハニスト内池」「ボルコマー内池」、そして本名の「内池友紀」を経て現在の「沖ヒカル」へと至る。盛山から「どこで急に沖ヒカル?グラデーションが急に真っ黒になった!」と猛ツッコミが入ると、沖は「あまりにも沖スロで負けすぎて、なんとか光らせたいと本気で思って自分で考えました」と、レジェンド名の泥臭い誕生秘話を明かして一同を納得させた。

クライマックスでは、パチスロファンなら誰もが知る液晶やリールがロックされる演出の名称「フリーズ」を、編集者時代に岡崎産業の『コア』という台の演出に対して「フリーズだ!」と世界で初めて名付けたのが沖自身であるという歴史的偉業も明かされた。これにはさらば青春の光・森田哲矢も「えっ!そうなん!?そうなんや」とガチで驚愕の声を上げた。
(ABEMA/「パーラーカチ盛りABEMA店」より)

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