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夏、汗と涙のノトヒカリ。春夏秋冬、能登めぐり。写真と文:小川紗良 (アーティスト) #2

  • 2026.6.11

2025年の8月、3度にわたって石川県珠洲市を訪れた。ドキュメンタリー映画の取材で、米農家の松本恵さんにお話を聞かせてもらうためだ。

田んぼに向かう松本さん。

松本さんとの出会いは、能登半島地震の発生から2か月が過ぎたころ。珠洲市の高校で、ボランティアによる給食づくりが行われていたなかでのことだった。ご自身の家や田んぼも地震の被害を受けていながら、高校生たちのために手を動かす松本さんの、前向きなエネルギーに引きつけられた。

2025年に入り、休止していた米作りを再開すると聞き、私はたびたび松本さんの田んぼにお邪魔するようになった。夫婦で管理している田んぼは、珠洲市の山あいにある。昔は辺り一帯が田んぼだったそうだが、今は松本さんとお弟子さんの田んぼ以外、耕作放棄地となり雑草が生い茂っている。日本の総農家数の約4割を占める中山間地域の農業は、食糧生産だけでなく、雨水の貯蓄や土砂崩れの防止、生物多様性の保全など、さまざまな役割を果たしている。しかし自然災害と過疎高齢化の末、ギリギリで保たれている現状を目の当たりにした。

稲穂に小さな花が咲いている。
干ばつによりひび割れた稲の根元。

8月上旬、田んぼを訪れるとふんわり甘い香りがした。目を凝らしてみれば、稲穂に小さな白い花が咲いている。松本さんは、その香りを「炊き立てのごはん」に例えたが、まさにそれを想起させるふくよかな匂いが漂っていた。

順調に育っているかと思いきや、足元を見て唖然とした。この年、日本海側を中心に深刻な雨不足に見舞われ、珠洲市では1か月半ものあいだまともに雨が降っていなかった。本来田んぼは、梅雨から夏にかけてたっぷりと水分を吸収する必要がある。しかし記録的な干ばつにより、稲の根元は手のひらがスッと入るほどひび割れていた。

雨が降らず干上がった溜池。
数日後、豪雨により溢れた溜池。

山あいの農地は、主に溜池から引く水が頼りとなる。しかし、松本さんの田んぼの溜池は地震により壊れており、十分な貯水機能を果たせず干あがっていた。しかもその数日後、今度は線状降水帯の発生により、一気に溜池の水が溢れた。干からびた田んぼに急激に水が流れ込んだことで、せっかく実った稲がかなりの数なぎ倒されてしまった。水に浸かってしまった稲穂は、もう食用として出荷することはできない。

溜池から溢れ出す水。
田んぼに流れ込む水。
水の勢いで倒れてしまった稲。

たび重なる災害に見舞われてもなお、松本さんは「米作りを辞めようとは思わない」という。8月中旬、再び珠洲市を訪れると、地域の説明会で自治体に現場の声を届ける松本さんの姿があった。壊れた溜池を直さないことには、次年度以降の米作りにも不安が続く。しかしその工事は大規模で、公的な助けがなければ難しい。奮い立ってその窮状を訴える松本さんの姿が目に焼き付いている。

稲刈りの日の様子。
刈り取られたノトヒカリ。
私も手刈りを手伝わせてもらった。

8月下旬、さまざまな困難を乗り越えて、松本さんの育てる「ノトヒカリ」の収穫を迎えた。雨水が流れ込んだ箇所の一部は水に浸かってしまったものの、持ち堪えている稲穂もあった。そのような部分はぬかるんでいるためコンバインを使うことができず、すべて人の手で刈っていく。私も手刈りを手伝わせてもらったが、これがものすごい重労働だった。気を抜けば足がすっぽりはまってしまう沼地で、腰をかがめて作業をするのは想像以上にきつい。あっという間に汗だくになり、日本の食卓を支える人々への感謝が一層高まった。

この年のノトヒカリは厳しい状況だったにもかかわらず、一等米として認められ出荷された。私も毎日、松本さんのノトヒカリを食べている。稲刈りの際に稲穂を一本持ち帰らせてもらい、お守りとして自宅の作業場に飾っていた。この春、ふと思い立ってその稲穂を水に浸けてみると、なんと芽が出てきた。我が家のノトヒカリはすくすく育ち、松本さんのように前向きなエネルギーを放っている。

収穫時に持ち帰ったノトヒカリの稲穂。
我が家のミニ田んぼ。

 

アーティスト 小川紗良

出典 andpremium.jp

1996年、東京生まれ。文筆家、映像作家、俳優。早稲田大学文化構想学部卒業。俳優として、映画『イノセント15』、NHK『まんぷく』等に出演。初長編監督作『海辺の金魚』は韓国・全州国際映画祭に出品され、自ら小説化も手がけた。2023年1月より、J-WAVE「ACROSS THE SKY」(日曜午前9時〜12時)にてナビゲーターを務めている。同年3月、創作活動の拠点として「とおまわり」を設立した。

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