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憧れのフェラーリを紐解く、キーワード「エンツォ・フェラーリ」。今につながる哲学を知る、最重要人物のヒストリー

  • 2026.5.31
若い頃のエンツォ・フェラーリ

「コメンダトーレ」──フェラーリ本社では、創業者であるエンツォ・フェラーリのことを畏敬の念を込めてそう呼ぶ。生前のエンツォ・フェラーリが受勲した後に対面したことがあるというイタリア自動車業界の古株と呼べる人物も、当時、エンツォがそう呼ばれていたのを耳にしたと語っていた。

実際、イタリア北部に位置するフェラーリ本社を訪れた人なら、この町全体がまるでフェラーリという巨大な“物語”の中で呼吸しているかのような様子に驚くだろう。本社周辺には、まるで聖地巡礼のように赤い跳ね馬たちが走り回り、地元のバールに入れば、F1の話題が当たり前のように交わされる。レストランの壁には歴代F1マシンの写真が飾られ、著名レーシングドライバーのサインが飾られている。タクシー運転手までもがフェラーリの地元で仕事をしていることを熱っぽく語る。マラネッロにおいてフェラーリは地元の誇りであり、イタリアを代表する文化なのだ。

その中心にあるのが、創業者エンツォの物語である。1898年、現在のフェラーリ本社があるマラネッロが属するモデナ県に生まれた。幼い頃、父親に連れられて観た自動車レースに強烈な衝撃を受け、レースへの情熱を抱くようになる。しかし、決して順風満帆ではなかった。第一次世界大戦では家族を失い、自身も病に倒れる。戦後、ようやく自動車業界へ入り、キャリアを築き始める。

若き日のエンツォは、自らハンドルを握るレーシングドライバーであったが、やがて自身の本当の才能は「運転」にとどまらず、「勝つ組織を作ること」にあると気づく。人を見抜く力に長け、優秀なエンジニアやドライバーを集める能力に優れていた。1929年、フェラーリの前身にあたるスクーデリア・フェラーリを創設する。当時は無敵だったアルファ ロメオのレース活動を支援するためだった。そう、フェラーリの原点はあくまで勝つための組織作りなのである。

左がエンツォ。1919年にテストドライバーとして登用され、間もなくレーシングドライバーとしてサーキットを走るようになった。

レースで勝つために生きた孤高の創業者

マラネッロの本社を訪れると、現在でも関係者が「エンツォならどう考えるか」を語る場面がある。それほどまでに彼の存在は絶対的だ。エンツォは極めて厳格で、時に冷酷とも評された人物だった。敗北を極端に嫌い、勝利のためには妥協を許さない。その緊張感が、後のフェラーリの企業文化を形成していく。

エンツォは生前、本社の正門近くにオフィスを構えて、来社する人物をくまなく観察した。また、敷地内にあるテストコースにホワイトハウスと呼ばれるゲストハウスを建て、その中で長時間を過ごし、マシンの仕上がりを常に検分していた。それほど、妥協のない経営とクルマ造りを行う理由は、最高峰のレースであるF1での勝利を収めるためである。

さらにエンツォの有名な言葉の一つに、「私はクルマを売るためにレースをしているのではない。レースを続けるためにクルマを売っている」というフレーズがある。これはフェラーリというブランドの本質を端的に示している。多くのメーカーにとってモータースポーツは販促活動の一環だが、フェラーリにとってレースは“存在理由”そのものなのだ。

ロードゴーイング・カーと呼ばれるフェラーリの市販車は、単なる移動手段として造られていない。サーキットで培った技術や感覚を、公道へ持ち込むための存在なのだ。

コルセ・クリエンティなるモータースポーツ顧客部門に加えて、クラシケなる歴史的な車両のレストレーションを担当する部門が併設されており、いずれも一般に公開されることはないが、幸運であれば、F1マシンの咆哮やクラシックフェラーリをテストする際のエンジン音が周辺に響き渡るのを耳にすることができる。

エンツォの才能は、レースの世界に限らなかった。極めて優れたブランド戦略家でもあったからだ。象徴的なのが、あえて稀少性を保つことでブランド価値と顧客体験の質を高く保つという発想である。たとえ需要があっても、造りすぎない。その哲学は現在も踏襲されており、「簡単には手に入らない憧れ」として世界中の富裕層を惹きつけ続けている。

マラネッロの本社を訪れると、フェラーリの経営哲学が一般の自動車メーカーとは一線を画すことを肌で感じる。本社の門の前で記念写真を撮る人はあまたあれど、本社に立ち入ることが許されるのは招かれた人物に限られる。

メディア関係者でさえ、工場見学の機会すら容易に与えられない。アトリエと呼ばれるオーダーメイドに対応するラウンジも擁するが、こちらはさらに狭き門となっている。フェラーリが認める車両の維持管理能力を有する人物だけに、限定車やオーダーメイドの権利を購入する案内が行われるのだ。

どんなフェラーリを所有してきたか、どれだけ深いロイヤリティを持っているかが重要視されるなどと噂されるが、真相は誰にもわからない。

エンツォはまた、機械への異常なまでの執着でも知られており、「私はエンジンを売っている。車体はそれを包むためのものだ」と語ったといわれる。実際、フェラーリのエンジンの咆哮は、単なる音として片づけられない。フェラーリ特有の感性や美意識まで込められているからだ。

経営から退いた後も、スクーデリア・フェラーリの運営にコミットし続け、自身のブランドを愛したエンツォ。“走る”ための人生を疾走した。

1988年、エンツォ・フェラーリは90歳で世を去った。しかし彼の存在は今もマラネッロの町のあちこちに残っている。F1開発施設から響く最高峰マシンの咆哮、“簡単には手に入らない特別な存在”であり続けること──そのすべてが、エンツォという人物の思想につながる。レースへの情熱、勝利への執念、そして機械に対する美学を極限まで磨き上げた、“創業者の人格そのもの”が宿るのが、フェラーリという企業なのだ。

 

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