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35年前、就活映画の主題歌で「好きなものは好き」と歌った ミリオンヒットとなった世代を越えた合言葉

  • 2026.7.4
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1991年9月、槇原敬之ライブコンベンションより(C)SANKEI

やりたいこととやるべきことの間で、足が重くなる朝がある。職場や教室へ向かう電車の窓を見ながら、いつから自分は「好きなもの」を口に出さなくなったのだろう、と思う。そういうとき、ふいに思い出すサビがある。

槇原敬之『どんなときも。』(作詞・作曲:槇原敬之)ーー1991年6月10日発売

35年前、キーボードを前に歌われたこの曲は、迷う若者の隣に静かに腰を下ろし、いまも同じ位置で待っていてくれる。

「なれるもの」の時代に好きを抱きしめる

主題歌として書き下ろされた映画『就職戦線異状なし』のキャッチコピーは、いま読むと胸がざわつく。

「なりたいものじゃなくて、なれるものを捜し始めたら もうオトナなんだよ…」

新卒の青年がスーツを着て就職活動の波に揉まれる物語。妥協を覚えることが大人の入口だと、銀幕の向こうから渇いた声で告げてくる映画だった。その隣で、槇原敬之は歌った。

「『好きなものは好き!』と言える気持ち抱きしめてたい」

なりたいものを探し続けることは無謀でも子どもじみてもいない、と。当時の彼は大学に通いながら歌い始めた青年で、デビューしてまだ間もない側の声。世間が知っているプロの作詞家・作曲家ではなく、まだ何者でもない側の声でこの一行を歌った。

だからこの曲は説教にならない。映画が描いた就活生の側に立って、隣で同じ景色を見ながら、それでも自分の好きを手放したくないと願う側の自分を抱きしめていてほしい、と差し出してくる。上から教える声ではない、隣で一緒に握りしめる声。20代も40代も、就活の春も転職の夏も、聴くたびに同じ位置から励まされる。

シンプルすぎるのではないか、と疑われそうな一行が、聴き手のいちばん信じる一行になっていく。それがこの曲の核にずっと残る不思議さでもある。

ピアノで打ち込みの華やかさを抜く

1991年6月という発売の月を、いまの感覚で振り返ると独特の温度がある。前年の春までを覆っていた景気の熱気は、この春、静かに引き始めていた。バブルの終わりがほぼ確定したころ、人々はまだその実感を持てずにいた。派手な打ち込みのダンスナンバーや、煌びやかなアレンジのバラードが週間チャートを賑わせていたあの頃。そこに、鍵盤の音を中心とした1曲が混じり込み、じわじわと順位を駆け上がっていった。

発売から約1か月半でチャートの頂点に立つ。最終的には100万枚を大きく超える社会現象級のヒットとなり、1991年の年間でも上位に残った。チャート上には、CHAGE&ASKA『SAY YES』という巨大な恋愛バラードがあり、そこに肩を並べる形で『どんなときも。』は長く居続けた。並んで売れたという事実が、いま振り返ると象徴的に映る。「愛されたい」と歌い切る曲の近くで、「自分らしくいたい」と歌う曲が同じ列で売れていた。

サウンドもまた、時代を逆撫でしなかった。ストリングスやコーラスを過剰に積み上げず、ピアノと声の距離をいちばん近く保ったまま、サビへ向かってゆっくり熱を上げていく。打ち込みの華やかさで耳をつかむのではなく、鳴り出しのピアノ一音と、迷いのない「どんなときも」の言いきりで聴き手を引き寄せる。

歌うときの彼の声も、力むのではなく、肩を一段下げて発音を丁寧に置いていく類のもの。あの夏、街角や喫茶店、ラジオの向こうから流れ出すたびに、聴いた人が一瞬だけ自分の足元を確認したくなる、そういう体感の曲だった。

その年の暮れ、彼は紅白歌合戦に初出場している。ステージでもキーボードの前に座って、弾き語りのスタイルのまま歌った。新人がいきなり大ヒットを当てたわりに、画面に映る本人は派手な衣装も大仰な振付も持たず、ピアノの音と一緒にやってきたのが印象に残る。

球児の足音が個人の励ましを世代へ広げる

『どんなときも。』が個人の励ましから「世代の励まし」へ意味を広げた瞬間がある。翌年・1992年春の選抜高校野球大会、入場行進曲としての採用だ。バブルが完全に終わった最初の春、高校生の球児たちが踏みしめて入場してきたのが、半年前にチャートを駆け上がったこの曲だった。

スタンドの保護者世代には自分たちを励ました曲、グラウンドの球児には入学式や中学卒業のときに耳に残っていた曲。世代をまたいで同じ意味で響く一行は、そう多くない。

さらに27年後の2019年、第91回選抜高校野球大会。平成最後のセンバツの入場行進曲に、『どんなときも。』はもう一度選ばれた。組み合わせの相手は『世界に一つだけの花』。「もともと特別なオンリーワン」と歌う2003年の曲と、自分のままでいたいと歌った1991年の曲。平成の30年を挟んでこの2曲が並んだとき、世代を縦に貫く声があったことが、メドレーという形でくっきりと見えた。

カラオケで歌い継がれ、合唱譜にもなり、節目の式典で何度も鳴ってきた。だからこの曲は、もはや槇原敬之ひとりのヒット曲ではなくなっている。聴いてきた誰かの記憶の数だけ、別々の意味で残っている。

平凡な6文字が戻ってくる合言葉になる

『どんなときも。』というタイトルが、いま読み返しても潔い。条件を付けない6文字に、句点まで打って言い切ってしまう。歌詞にも、難しい比喩はほとんど出てこない。誰でも口にできる平凡な言葉が並ぶだけのはずなのに、サビの旋律に乗ると、急に自分の声で言いたくなる。

たぶんそれがこの曲が35年も歌い継がれた理由なのだろう。励まされる側にいた人が、いつかは励ます側に回る。そのときも、難しい言葉は要らない。ただ「どんなときも」と口にしてしまえばいい。1991年の夏に若い書き手が信じきった一行は、迷ったときに戻ってこられる場所として、誰かの口の中で何度でも生まれ直す。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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