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27年前、休日の午前に置かれた「何もしない自分」を責めない歌 計算を消した“脱力”が残した体温

  • 2026.7.6
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PUFFY-1997年9月撮影(C)SANKEI

休日の午前、コーヒーを淹れて窓を開ける。ラジオから不意に、力みのない二人の歌が転がり出てくる瞬間がある。歌い上げない。説き伏せない。ただ並んで歌っている。それだけのことが、不思議と部屋の空気を弛める。

PUFFYといえば、はじけるような陽性ポップで街の景色を塗り替えた印象が強い。だが、二人の素のテンポが一番すなおに残っているのは、おそらくこの一曲だ。

PUFFY『日曜日の娘』(作詞・作曲:奥田民生)ーー1999年4月1日発売

9枚目のシングル。派手なヒットの華やかさからは少しだけ引いた場所に置かれ、いまも休日の音楽として静かに鳴り続けている一曲である。

拍を整えないことで生まれる午前

イントロが鳴り出した瞬間に、肩のあたりがふっと下がる。ズンドコと小さく弾むベースが先頭を歩き、その上にフルートとトランペットがふらりと顔を出す。面白いのは、この管楽器の入り方だ。律儀に拍へ乗らない。少し前へ出たり、半拍遅れて溶けたり、ルバート風にゆらゆらと出入りする。きっちり揃えれば曲はもっと整うはずなのに、わざと整えていない。

そのゆらぎが、午前の光の質感に似ている。目覚めたばかりで頭がまだ動かず、時計の針も気にしていない時間。あの体感が、ベースのテンポと管楽器のはみ出しの差分から立ち上がってくる。郷愁を帯びた音色は70年代の歌謡の匂いを引き連れていて、聴き手は一瞬、どの年代のどの部屋にいるのか分からなくなる。録音の年代ではなく、休日という時間そのものに連れ戻される感覚だ。

メロディも凝った跳躍を仕掛けない。半音上がり、半音下がり、しゃべる高さの近所をのらりくらりと行き来する。ふと耳元で誰かが口ずさんでいるような近さに保たれ、サビでぐっと張り上げる作りも避けている。曲全体が小さなアーチを描かず、ほぼ水平のまま流れていく。アーチを描かない歌を最後まで飽きさせずに聴かせるのは、本来むずかしい仕事だ。それを成立させているのが、ベース、管楽器、メロディの三者がほどよくずれたまま並走している作りである。

編曲は笹路正徳。脱力のサウンドというのは、力を抜いて鳴らせば作れるものではない。一音一音の置き場所、テンポと拍のずらし方、楽器同士の距離。すべてを計算しきった上で、その計算の跡を聞こえなくするのが脱力の編曲だ。日曜の午前に何気なく流れる音楽として、これほど周到に作り込まれた音像はそうない。

主役を奪わない歌が残す体温

その編曲の上で、吉村由美と大貫亜美は声を張らない。ピッチを誇らない。技巧を見せない。ふだんの会話より少しだけ音程をつけた、そんな並びの歌をひたすら続けていく。

二人の声のユニゾンは、輪郭がにじむ。完全に揃わず、わずかにずれて重なる。そのにじみが、整いすぎたハーモニーよりずっと心地よい。語尾を飾らず、伸ばさず、すっと畳む。フレーズの最後で見得を切らない歌い方は、聴き手を構えさせない。情感を込めて歌う、という方向から真逆のことをやっている。

声が前に張り出さないぶん、ベースの弾みと管楽器のゆらぎが等しく聴こえる。歌が主役を奪わないから、伴奏もまた主役を譲り返す。誰も力んでいない場所に、午前の体温だけが残る。

「歌は感情を込めて」「ボーカルは前へ出す」というポップスの常套から、二人はずっと外側に立っている。低い声と高い声を分けて聴かせる場面でも、片方が控えるのではなく、両方が同じ温度で並んでいる。だれかが主役で、だれかが脇という配役を作らない。ふたりで一つの呼吸を作っているだけ。テクニックで聴かせる歌唱とは別の極に、たどり着いてしまった声だ。世間が広く知るPUFFYの陽性ポップの陰で、本当に得意な「のんびり」「ゆるさ」がもっとも素のかたちで出ている一曲。

走る速度と曲の歩幅が等しい絵

タイアップはヤマハ発動機の原付スクーター、Vinoのテレビコマーシャル。本人出演のCMソングだった。日曜の朝にエンジンをかけ、海沿いか、街外れの並木道を、急がずに走っていく。そんな絵柄に、この曲の弛んだテンポは寸分の隙間もなくはまる。

CMタイアップは付加情報になりがちだが、この曲に関しては映像と曲想がほとんど同じ方向を向いている。何かを成し遂げに行く走りではなく、行き先を決めずに走る休日の時間。坂を下る速度、信号待ちの足つき、海風に背中を押される間。映像のなかで進行するそのテンポと、曲のなかで進行するベースの歩幅が、ほぼ等しい。

流すために選ばれた曲ではなく、その時間にしか鳴れない曲がそこに鳴っていた。だからCMの記憶と曲の記憶が、いまも分かちがたく結ばれている人がいる。

役に立たないことを貫いた一曲の強さ

休日の午前に何もしないでいると、ふいにこの曲が頭の中で鳴り出すことがある。予定を片付けたあとの達成感でも、平日の疲れを癒やす音でもない。やるべきこともやらないでよいことも、まだ仕分けていない時間に、ただ流れている音。

そういう時間の音楽は、案外少ない。世のポップスは盛り上げるか、慰めるか、励ますか、寄り添うか、たいてい何かを「してくれる」。何もしてくれない歌、ただ並んで鳴ってくれる歌、それを作るのはずっと難しい。役に立とうとしないことを一曲ぶん貫き通すには、書き手と編曲家と歌い手の全員に並々ならぬ覚悟がいる。その難しさを軽々と越えて、休日の午前の隣に立ってくれる音楽を一つ残した。何もしない自分を、責めずに置いておいてくれる歌だと言いたくなる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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