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40年前、笑いの担い手が本気で鳴らした"歌" ふざけた一曲に隠れた「一流の仕事」

  • 2026.6.15

1986年5月。その頃のとんねるずは、勢いの絶頂にいた。型破りな笑いで茶の間をわかせ、子どもから大人まで、誰もがその名前を知っていた。お笑いの二人組、というのが世間の見方だった。

その彼らが、自分たちの主演ドラマ『お坊っチャマにはわかるまい!』(TBS系)の主題歌として、こんな曲を歌っていた。

とんねるず『やぶさかでない』(作詞:秋元康/作曲:見岳章)ーー1986年5月28日発売

これは、ふざけているだけの曲ではない。持ち味はそのままに、歌として、ちゃんと聞かせる作りになっている。勝負どころに、彼らは「笑える歌モノ」という一手を置いた。

ふざけた歌に、一流の仕事が隠れている

作曲を手がけたのは、バンド・一風堂の見岳章だ。流行の最前線で音を作ってきたその手つきは、軽く聞こえる曲のなかにも、しっかりと残る。とぼけた歌い口の下で、コードの運びもメロディの作りも、一流の歌謡曲の仕事がなされている。

**見岳章は、後に秋元康と美空ひばりの『川の流れのように』を生み出す。**世代を超えて歌い継がれる、あの名曲だ。その曲を書くことになる同じ手が、とんねるずのこのコミックソングにも入っている。そう思って聞き直すと、軽快なメロディの一音一音が、急に違って聞こえてくる。

笑える曲を、ただ笑えるだけで終わらせない。歌としてきちんと立たせる。その精度こそが、この一曲の良さの芯だ。おちゃらけは、手抜きの言い訳ではない。むしろ、手の込んだ芸である。

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1987年9月、フジテレビ系『ねるとん紅鯨団』第1回収録より(C)SANKEI

とぼけた声に漂う、70年代の色気

この曲には、ブルージーでとぼけた色気がある。跳ねるようなリズムと、ためのきいた歌い回し。間奏で差し込まれる、芝居がかった語り。それは、1970年代の歌謡曲や、あの時代の大人の男たちが見せた、気だるい色気を思わせる。萩原健一や水谷豊がまとっていたような、笑いと哀愁が同居した手ざわり。そういう気配を、この曲のそこかしこに感じ取る。

ふざけているようでいて、どこか粋。軽いようでいて、芯に古い歌謡の血が通っている。その二重写しが、この曲を一度聞いたら忘れにくいものにしている。

歌謡曲の王道を知り尽くした作り手が、あえてとぼけた衣をまとわせる。だからこの曲は、ふざけているのに品がある。笑えるのに、どこか胸に残る。その不思議なバランスが、ほかのコミックソングにはない味わいを生んでいる。

作詞は秋元康。「やぶさかでない」という、少し古風で色気のある言い回しをタイトルに据えた言葉の選び方にも、その粋が表れている。意味はわかるようでいて、すっと口にするには少し照れくさい。その絶妙な距離感が、曲のとぼけた色気とぴたりと合っている。

芸人が本気で歌う

二人の歌には、うまく聞かせようという気負いがない。その代わり、間のとり方と、役になりきる巧さがある。芸人が本気で歌うと、こういう説得力が生まれる。笑わせる体で、しっかり聞かせてくる。歌のうまさを誇示するのではなく、曲の世界にすっと入り込んでみせる。その身のこなしが、彼らならではだ。

そもそもとんねるずは、笑いだけの存在ではなかった。歌でもいくつものヒットを飛ばし、歌番組の常連でもあった。笑いと歌、その両輪で時代の真ん中を走っていた二人だ。だからこの曲も、余技ではない。歌い手としての彼らの、まっとうな仕事のひとつである。

自分たちが主演するドラマの主題歌として、歌と芝居と笑いが地続きになっていた時期だ。テレビのなかで動く二人と、スピーカーから流れる二人が、ぴたりと重なっていた。番組を見て、曲を聞いて、また番組を待つ。そのくり返しのなかで、この曲は生活の風景にしみこんでいった。あの一体感も、この曲の記憶を強くしている。

本気でふざける流儀

本気でふざけられる者だけが、こういう「ちゃんとした歌」を残せる。笑いの担い手が、笑いを捨てずに、それでも歌として勝負した。その両立の難しさを、軽々とやってのけている。ふざけることと、手を抜くことは、まるで違う。本気でふざけるには、確かな腕がいる。この一曲を聞くと、その差がはっきりとわかる。

笑わせることに全力を注いだ人たちが、その同じ熱量で、歌にもまっすぐ向き合った。だからこのとぼけた一曲は、聞く者の口元をゆるめ、そして少しだけ胸を温める。笑いの奥にある本気を、私はこの歌の手ざわりに感じる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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