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「おばあちゃんなんだから助けてよ」離婚して乳飲み子と帰省した娘。20年ぶりの同居で見えた『女2人の限界』

  • 2026.5.30

娘が不妊治療の末に授かった、待望の命。しかし待っていたのは離婚と実家への出戻りでした。20年ぶりの娘との同居は、孫を愛しているからこそ譲れない“女2人の意地”がぶつかり合う日々へと変貌して……? 筆者の友人が体験談を語ってくれました。

画像: 「おばあちゃんなんだから助けてよ」離婚して乳飲み子と帰省した娘。20年ぶりの同居で見えた『女2人の限界』

実家を頼りたい娘

10歳年上の夫と結婚し、長い不妊治療の末にようやく子どもを授かった娘。

しかし、娘を待っていたのは、夫の無関心と離婚という過酷な現実でした。

憔悴しきった娘は幼い孫を連れ、私の住む実家へと戻ってきたのです。

「おばあちゃんなんだから助けてよ」という娘の切実な願いは理解できても、私と夫もまだまだパートで働く身。すべての時間を孫に捧げることはできませんでした。

同居の歪みと限界

20年ぶりに始まった娘との同居生活は、初めのうちは楽しく思いやりを持って過ごせていました。

しかし、次第に家の勝手を孫中心に変えたがる娘と、今の暮らしを最低限守りたい私との間で、毎日ケンカを繰り返す窮屈な日々へと変わっていったのです。

愛する娘とはいえ、大人の女性が2人同じ屋根の下で自分を通そうとすれば、そこには歪みが出てきます。

関係はどんどん悪くなり、いよいよ共倒れになる寸前かと思われた時、娘がある答えを出しました。

それは、「実家から徒歩2分のアパートへの転居」。

正直、驚きました。その提案を受け入れることは娘と孫を突き放すようで、自分の不甲斐なさに胸が痛んだからです。

けれど、娘の提案通り離れてみて分かったのです。「これが一番良い選択だった」と。

徒歩2分で手に入れた、私たちの最適解

今は保育園のお迎えを私が担当したり、娘が仕事の間は私の家で孫を預かったりすることに。

熱を出したときやご飯など、できるだけ孫と娘の面倒はみるようにしています。でも、住まいはそれぞれ。

この「近すぎず遠すぎない距離」こそが、私たち親子が笑顔でいられる最適解になったのでした。

同居でのサポートはできないけれど、今の私にできる精一杯のサポートはこの形。

無理に同居を続けて、私と娘の関係が修復不可能にならなくてよかったです。そうなる前に離れてよかったと思っています。

娘と私は「新しい家族の形」を見つけたのでした。

【体験者:60代・女性パート、回答時期:2026年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Yuki Unagi
フリーペーパーの編集として約10年活躍。出産を機に退職した後、子どもの手が離れたのをきっかけに、在宅webライターとして活動をスタート。自分自身の体験や友人知人へのインタビューを行い、大人の女性向けサイトを中心に、得意とする家族関係のコラムを執筆している。

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