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仕事漬けだった私が変わった日【山田邦子さん】乳がんを機に見直した食事と睡眠、ストレスとの向き合い方

  • 2026.5.26

仕事漬けだった私が変わった日【山田邦子さん】乳がんを機に見直した食事と睡眠、ストレスとの向き合い方

女性お笑い芸人のフロンティアとして、常に第一線を走り続けてきた山田邦子さん。この間、公私ともにさまざまな転機がありましたが、「生き方」を大きく変えることになったのは、2007年に見つかった乳がんでした。当時の気持ち、そして19年を経た今の心境はどのようなものなのか、改めて聞きました。

山田邦子さん・タレント

やまだ・くにこ●1960年東京都生まれ。
川村短期大学在学中の80年、諸々の素人参加番組のテレビに出演。
バスガイドのネタがあたり、ドラマプロデューサーにスカウトされ、卒業と同時にドラマデビュー。同年新番組「オレたちひょうきん族」レギュラー。ドラマ、バラエティ番組、舞台、歌手、司会、小説・エッセイを執筆するなど、マルチな才能を発揮。
88~95年、NHK「好きなタレント調査」で連続1位という記録保持者である。
2019年、長唄杵勝会の名取「杵屋勝之邦」を襲名。20年、浅草演芸ホールの高座に上がる。22年、23年と続けて「М-1グランプリ」決勝戦の審査員を務め、24年には一般社団法人日本喜劇人協会の第11代会長に就任。
22年よりYou Tube「山田邦子 クニチャンネル」を配信中。

人生最大の転機となった乳がん罹患

「今年は60年に一度の丙午と聞きましたのでね、何か新しいことを始めるにはちょうどいいかなと思って、新しい事務所にお世話になることにしたんですよ」

そう言って、明るく笑う山田邦子さん。新しい事務所でまた新たなことに挑戦しようというエネルギーに満ちていて、デビューから46年、その生き生き溌剌とした雰囲気は当時のまま何も変わっていないように見える。

「いえいえ、もう66になりますよ。すごいですね。64まではお肌ピチピチで何も問題なかったんですが、今はもうヨボヨボですよ(笑)。でも、年を取るのもみんな公平に順番こ。周りの先輩たちを見ていると、皆さんきれいで生き生きしていらっしゃいますから、そうした先輩たちを見て、お手本にしようと思っています」

デビュー以来、常にお笑いの第一線を走り続け、女優業や文筆業でも才能を発揮して、八面六臂の活躍を続ける山田邦子さん。その邦子さんが、これまでの人生において最も大きなターニングポイントだったと振り返るのが、2007年の乳がん発覚だ。出演していた健康バラエティ番組中の検査で、初期の乳がんに罹患していることがわかったのだった。当時、常にスケジュール表は「真っ黒」。目一杯仕事を入れて全力疾走していた最中の、青天の霹靂のような出来事だった。

「2007年ですから、来年でもう20年になるんですね。診断が下ったときは、もうびっくりしました。私はずっと元気印で来て、それまで病気らしい病気もしていませんでしたから、『えーっ、自分ががん?』とショックで。もう人生の終わり、これで死ぬんだと思いました。今、あれから19年経って、その間に私も勉強したり、いろいろな方にお話を伺ったりして、がんは“治る病気”であることも、日本では2人に1人は何かしらのがんになるということもわかりました。私などは軽くすんだほうで、よかったな、ありがたかったなと思うのですが、当時は「がん=死」というイメージだったので、お医者さんにすぐ『死にますか?』と尋ねたぐらいです。私の場合、本当に初期でしたが、やはり落ち込みましたよね」

がんは右に2つ、左に1つ、ステージ1の浸潤がんと非浸潤がんだった。患部が両側だったということで4時間ほどの手術を受け、その後は放射線治療に通った。

お笑いを職業としていて、しかも下町育ちなので、宵越しの銭を持たず、どこかで野垂れ死にするような生き方を、ずっと「カッコいい」と思ってきた。健康に気をつけるなどは二の次、三の次、とにかく毎日フルに働くことが生きがいであり、無頼な生き方をすることこそが芸人なのだとうそぶいているようなところもあった。それが目の前に、初めて重い現実を突きつけられて、それ以降「ずいぶん生き方が変わった」のだという。

「退院するときに栄養士さんが部屋にいらして指導を受けたんです。私は短大の栄養コースを出ていたので、栄養士の資格を持っています。病院や工場に実習に行ったり、学校に行ったりして、給食の献立を立ててきたはずなんです。いろいろと勉強してきたはずなのに、いつしか暴飲暴食をしていました。テレビ局で出していただくお弁当もありがたいんです。美味しいんですけど、糖質、脂質が多いですよね。1年365日しかないのに、年間1000食ぐらい食べていました。それは病気になりますよね。栄養士の資格を持っているのに、栄養士さんの講義を受けるんだと思って反省しました。恥ずかしいなって」

まずは食生活を改め、夜ふかしも控え、できるだけストレスを減らして、免疫力を上げる暮らし方ができるように心がけた。

「ストレスを溜めず、免疫力を上げていけば、がんにならない、なりにくい、なった後も治るのが早いということは、はっきりデータで出ているのだそうです。ただストレスを溜めないというのは今の時代、難しいですよね。どうしたって溜まります。でも、そういうときでも笑ったほうがいいらしいんです。この免疫力っていうものは、完璧に笑った人のほうが勝ちだということ。だからなるべく笑いたい。その意味では、楽しいこと、面白いことを担当していてよかったなと思いますね」

先輩・倍賞千恵子さんの言葉に励まされて

19年経って、さすがにもう安心なのではと思ってしまうのだが、ご本人は、傷跡を見れば「ああ、がんだったんだな」と改めて思うのだそうだ。

「熱が出た、咳が出たという症状が出るたびに『転移したのかな、再発したのかな』という思いがついてくるんですよ。19年経った今日もついてきています。それでもね、しょぼんとしても一日、笑っても一日だと思ったら、『疲れたんだな、もうお風呂に入って寝よう』と明るく受け止めて、楽しいこともいっぱいあったなと思いながら休むことにしているんです。笑うのがいいとはわかっているけれど、泣きたいときもある。そんなときは泣いてもいいんだって思うようにもなりました。生きているんだから、喜怒哀楽は全部出していいんだと。がんじゃなくたって、あ~あ散財しちゃったなとか、スマホ忘れちゃったなとか、しょぼんとすることは山ほどありますよ。そういうときは泣いてもいい。その代わり、その後に大笑いすればいいんです。そうやって日々乗り越えるようにしています」

とはいえ、この19年の間に「カチンと来る」ことも少なからずあった。同じような経験をした人の言葉は素直に聞けるのだが、健康な人から「頑張って」と言われると、「あなたに何がわかるのよ?」と思ってしまうこともあった。

「よかれと思って言ってくださっているのに、その通りに受け止められない。それを私はバロメーターにしました。『ありがとうございます』って素直に言えた日は、体調も精神も安定している。でも『何よ!』と反発してしまうときは、『ああ、今私はストレスが溜まっていて、平常心じゃないんだな』と思い、気をつけるようにしているんです」

その意味では、敬愛する女優の倍賞千恵子さんが、同じような乳がんを少し前に体験していたことは「運命」と感じられた。倍賞さんからかけられる言葉には、素直に勇気づけられたのだ。

「倍賞さん、『夜は寝る!』っておっしゃるんですよ。『とりあえず寝れば忘れる。次の朝までそれを覚えていたら、朝、その続きを考えればいい。寝て忘れちゃったらそれまでのことなんだから』って。でも、心配事があって夜中に目が覚めたりすることあるじゃないですか、トイレに行ったりね。そう言ったら、『そのときは薄目で行って』って言うんです。『目をパッチリ開けると完全に目が覚めちゃうから、目を大きく開けずにトイレまで行って用をすませて来て』って(笑)。あんな日本の宝のような大女優なのに、面白いんですよ。倍賞さんも私も下町の同じような地域で育ったので、あうんの呼吸で合うんですね。ありがたいです」

ほかにも10cmのハイヒールを履いて、今なお現役で活躍するコシノジュンコさんや、ますますエネルギッシュな黒柳徹子さんなど、元気で生き生きと活躍している先輩たちがいる。そう思うとファイトが湧いてくる。

「ちょっと疲れたな、足がギシギシしてるななんて思っても、20歳も年上の先輩が頑張っているんだ、と思ったら弱音は吐いていられない。がんは天地がひっくり返るような体験でしたが、それまで『どれだけふざけられるか』しか考えていなかった私に、神様がちょっとお灸を据えたのかもしれません。人生はやはりバランス。いいことばかりでも、悪いことばかりでもない。病気を通して、学ぶべきを学んだのだと思います」

撮影/佐山裕子(主婦の友社)

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