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【加藤登紀子さん82歳】人生最大の「まさか」は「結婚」。世間を驚かせた獄中結婚の理由は「説明できない」

  • 2026.5.15

【加藤登紀子さん82歳】人生最大の「まさか」は「結婚」。世間を驚かせた獄中結婚の理由は「説明できない」

加藤登紀子さんは昨年、歌手デビュー60周年を迎えました。激動の半生を振り返れば、そこには、思いがけない出来事や人との出会いが数えきれないほどたくさんあります。そんな「まさか!」と思わず言いたくなるような数々の出来事の中でも、加藤さんにとって最大の「まさか」とは何だったのか。こちらの問いかけに即答で返ってきたのは、こんな答えでした。

Profile

加藤登紀子さん 歌手

かとう・ときこ⚫1943年満州国ハルビン生まれ、京都府育ち。65年東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。69年「ひとり寝の子守歌」、71年「知床旅情」ではミリオンセラーとなりレコード大賞歌唱賞受賞。以後90枚以上のアルバムと多くのヒット曲を世に送り出す。88年、90年、米ニューヨークのカーネギーホール公演をはじめ、世界各地でコンサートを行う。恒例「ほろ酔いコンサート」は50年以上続いている。映画『居酒屋兆治』『紅の豚』では女優、声優として演技も披露。獄中結婚をした学生運動のリーダー藤本敏夫(2002年死去)との間に3人の娘がおり、孫は7人。

人生一番の「まさか」は……?

信じられないような「まさか」の状況を何度も経験してきた加藤さんだが、その中でも一番の「まさか」とは何だったのだろう。それを尋ねると、「結婚」という答えが間髪入れずに返ってきた。

「これは私に限らず、誰にとってもそうだと思うのですが、この世に生まれてこんなに珍しいことが起こるものなのかと思いませんか。結婚こそ、本当に『まさか』の出来事ですよね。振り返ってみても理由がわからないんですよ。説明ができない。最も理由のわからないものだと思うんです。というより恋。恋というものがそもそも説明ができない。でも一番肝心なことは説明できないものなのだなということを、今改めて痛感しますね。特にそれが起こっている最中には、絶対説明ができない。大事なことは、何の説明もなしにするものなんですよ」

加藤さんが結婚したのは1972年。お相手の藤本敏夫さんは、当時、学生運動のリーダーで、東京の中野刑務所に収監されていた。一般常識で考えれば、やはりこれこそ「まさか」の結婚スタイルではあるが、加藤さんは自身の考えを貫いた。このとき所属していた音楽事務所の社長であったシャンソン歌手の石井好子さんが、加藤さんの考えを全面的に支持してくれたことが非常にありがたかったと、最新刊『「ま・さ・か」の学校』の中に書いている。「私は歌手をやめてもいい、と思っています。この機会に、きちんとケジメをつけたいです」と言った加藤さんに、石井さんはこんな一言を贈ってくれたそうだ。「あなたは世の中の人に、いっさい何にも約束しなくていいのよ。あなたが今後どうするか、それは好きにしなさい。何より大事なのは、あなたが自由であること。あなたには社会的責任なんてないのよ」

恋というものが、結婚というものが、いや人生において大事なことというものは、説明のつかないものなのだということ、そして人がそれに向き合ったときに、最も大切なのは「自由であること」なのだということを、大先輩である石井さんはきっとわかっていたのだろう。

同書には、その藤本さんとの出会いの不思議についても記されていて興味深い。初めて二人だけで会ったその帰り際に、藤本さんがふと口ずさんだのが「知床旅情」であったというのだ。それは、加藤さんがその曲と出合うずっと以前のことだ。その藤本さんの歌声には「ふりしぼるような淋しさ」があり、すでにプロの歌手であった加藤さんが心を奪われ、驚き泣いたのだという。その後、拘置所に入った藤本さんを思って作った「ひとり寝の子守唄」が大ヒット。それをあろうことか、「知床旅情」の作詞作曲者であった森繁久彌さんが「僕と同じ心でうたう人を見つけたよ」と絶賛してくれた。その後、めぐりめぐって加藤さんもこの「知床旅情」をカバーし、大ヒット曲となるのだが、運命としか表しようのない「縁」の不思議に驚かざるを得ない。本当に「大事なことは説明がつかない」のかもしれない。

別れた恋人を8年も思い続けるなんて……

それにしても、度重なる「まさか」に、加藤さんはどうしていつもこうポジティブでいられるのだろうか。「参った」と思うことはないのだろうか。

「参っているんですよ、きっと。でもその『参る』ことを瞬間に終わらせたいというのが私の気持ちの中にあるんですね。ピンチをチャンスに変えたい。つまり『参る』ことが嫌なんです。ほら参っていることを愛する人もいるじゃない。それが私にはできないんだね。だから、以前、恋人と別れた後、8年も思い続けて悩んでアル中にまでなった女性と話をしたことがあるんですけど、『別れるなら次を見つけてからにしたらいいんじゃないの?』って言ったぐらい(笑)。8年も昔の男を思い続けて参り続けるなんて、私には考えられないわけです。それは強いからではなくて、その反対。別れた後がつらいから、次を見つけてから別れるみたいな、そのぐらい私は弱い女です」

弱いから決定的に「参る」前に、ネガティブに傾きそうな出来事をポジティブに変換させていく。なるほど、それは人生の荒波と闘っていきていくときに、とてもしなやかで元気の湧いてくる方法だ。

加藤さんは、過去のインタビューで、この四半世紀の自身の大きな出来事の筆頭に、2002年に夫の藤本敏夫さんを亡くしたことを挙げていた。一番の「まさか」を分かち合ってきた最愛の伴侶を失ったことは、「まさか」どころではない、大変な悲しみだったことだろう。しかし、加藤さんは泣き暮らしているばかりではなかったのだ。藤本さんが主宰を務めていた「鴨川自然王国」を引き継ぎ、改革すべきはし、次女でミューシャンのYaeさん夫婦に託した。

そのときの気持ちを、「必死になって発奮しました」と語っていた加藤さん。発奮とは何といい言葉なんだろう。加藤さんはこれからも「説明のつかない」大事なことに出合いながら、発奮していくに違いない。

「いろいろな人との出会いについては、泣きながら書いた部分もありますよ。でも奮い立つよね。尾崎(豊)さんにしても、ジョン(レノン)にしても、ギリギリまで苦悶して自分の限界まで、何かできることはあるはずだと最後まで生きてくれた。だから私も、こんな不埒な時代ではあって落ち込むことはあるけれど、瞬間落ち込んだら、もう次は発奮したいんですよ。こんな時代にもかかわらず、ね。あ、そうだ。『さ・か・さ』『ま・さ・か』の次は『にもかかわらず』にしよう(笑)。にもかかわらず、私は発奮していきますよ」

【Information】

『「ま・さ・か」の学校 ピンチはチャンス』

「知床旅情」をはじめとするさまざまなヒット曲の裏にある運命的な物語や、これまで巡り会ってきた人たちとの貴重な思い出、そして思いがけず体験することになったハイジャックなどなど、これでもかの「まさか!」な出来事に満ちた加藤登紀子さんの半生を振り返った一冊。どんな「まさか」も笑って楽しんで明日への糧に変えていくその姿は、前作『「さ・か・さ」の学校 マイナスをプラスに変える20のヒント』と併せて、私たち読者に大きな力を与えてくれる。

「TOKIKO KATO CONCERT2026 明日への讃歌 ジーナの生きた100年」

スタジオジブリの映画『紅の豚』でジーナを演じた加藤登紀子さん。劇中でジーナが歌う「さくらんぼの実る頃」は、1871年、パリで起こった市民革命の中から生まれた歌だ。『紅の豚』の舞台は1929年から30年頃の、また次に戦争が始まろうとしていた時期。ジーナより50年後に生まれた加藤さんが、今、その後を生きたジーナの歳月を自身の大切な歌で綴る。

6月20日(土)東京国際フォーラムホールC 開場 14:45 開演 15:30 SOLD OUT
7月11日(土)千葉県文化会館 開場 14:45 開演 15:30
全席指定8000円 (問)トキコ・プランニング 03-3352-3875

取材・文/志賀佳織 撮影/中村彰男

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