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実は知らない「母の日」、その意外な起源と背景

  • 2026.5.8
H. Armstrong Roberts/ClassicStock / Getty Images

「母の日」は、私たちが母に日ごろの感謝の気持ちを伝える日。心のこもったグリーティングカードやブーケを贈ったり、お気に入りのレストランで一緒にディナーを楽しんだりする人も多いだろう。だが、私たちが毎年、この祝日をそのように過ごすことを、“彼女”は今でも、苦々しく思っているかもしれない──。

その女性は、アメリカの社会運動家、アンナ・ジャービス(1864~1948)。母のアン・リーブス・ジャービスの死後、「母の日」の制定のために奔走した人だ。

母親のための特別な日を設けることは、もともとはアンナの母アンが発案したことだった。1876年5月、教えていた日曜学校の教室での祈りの言葉の中でアンは、次のように述べていた。

「人生のあらゆる面において、母の献身に匹敵するものはありません。誰かがいつか、母を称え、記念する日を制定してくれることを心から願います。母には、称えられる資格があります」

アンナ・ジャービス associated press

1905年、母アンの死に打ちひしがれていたアンナは、母の夢を叶えることを目標に掲げた。そして、それから3年後、アンナはアンが教師を務めていたウエストバージニア州で、初の母の日のイベントを開催。さらに、この祝日の制定に関して耳を傾けてくれそうな人たちに向けて、支援を呼びかける「手紙運動」を粘り強く継続した。

そして1914年、その努力はようやく実を結び、アメリカの当時の大統領、ウッドロウ・ウィルソンは5月の第2日曜日を「母の日」の祝日と定めた。

だが、「母の日」が制定されると、アンナは自分の写真の著作権を取得し、「母の日」を商標登録。そのほか母の日の公式のシールを作成するなど、その祝日の「主導権を握る」ために奔走することとなった。

それは、「母の日」が祝日になるとすぐに、グリーティングカードのメーカーや花屋、その他の企業によって、この日が商業利用されるようになったため。この祝日の当初の意図を守りたかったアンナは、そうした企業を相手に訴訟を起こすなどして、それから何年もの間、抵抗を続けた。慈善団体がこの日に募金活動を行うことにも、異議を唱えた。

結局のところ、アンナのこうした努力は報われなかった。母の日を利用する商業主義を軽蔑するようになった彼女は、『リーダーズ・ダイジェスト』誌の取材に対し、母の日の制定を目指したことを「後悔している」と語っている。

晩年には、制定のために多大な努力を払った「母の日」の廃止を目指すようになり、個別訪問までして署名活動を行っていた。

From Country Living US

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