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「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた

  • 2026.5.27
「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた
「目から鱗が落ちる」って仏教の言葉じゃないの?出典をたどると新約聖書に行き着いた

「目から鱗」、出典は意外にも新約聖書だった

「目から鱗が落ちる」と聞くと、何かが急にすとんと理解できたとき、つい口にしてしまう言い回しです。なんとなく仏教や中国の故事に由来する言葉だと思っている人もいるかもしれません。実は私も、ずっと仏教由来の言葉だと思っていました。ところが出典をたどってみると、行き着くのは仏教ではなく、新約聖書でした。

出典は新約聖書『使徒行伝』

国立国会図書館の解説によると、「目から鱗が落ちる」の出典は新約聖書『使徒行伝』第9章です。現在の訳では『使徒言行録』とも呼ばれます。そこには、目から「うろこのようなもの」が落ち、再び見えるようになった場面が記されています。ギリシア語で書かれた原文にも、「うろこのようなもの」にあたる表現があるとされています。

およそ2000年前に記された新約聖書の一節が、いまの日本語の慣用句として残っているのです。

迫害者「サウロ」が回心した瞬間

この場面の主人公は、もともとキリスト教徒を激しく迫害していたサウロという人物です。サウロはダマスコ、現在のシリアの首都ダマスカスへ向かう途中、天からの光に照らされて地に倒れ、視力を失ってしまいます。

その後、アナニアという弟子がサウロのもとを訪れ、彼の上に手を置いて祈ります。すると、サウロの目から「鱗のようなもの」が落ち、再び見えるようになったとされています。サウロはこれをきっかけにキリスト教へ回心し、のちに「使徒パウロ」として知られるようになります。

目が開かれる瞬間が、言葉として残った

ものの見え方が、ある瞬間にがらりと変わる。サウロの回心は、聖書の中でもよく知られた劇的な場面のひとつです。

私たちが何気なく使っている「目から鱗」も、もとをたどればこの一場面につながっています。仏教でも中国の故事でもなく、新約聖書に由来する言葉だったのです。

まとめ

およそ2000年前の新約聖書の一場面が、いまも日本語のなかに生き続けています。「ああ、なるほど」と腑に落ちた瞬間に出てくるあの言葉が、実は遠い物語にまっすぐつながっている。次に「目から鱗」と口にしたとき、ほんの少し違った余韻が残るかもしれません。

参考

・国立国会図書館レファレンス協同データベース「『目から鱗が落ちる』というが、なぜ鱗が使われているのか。」:https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000024525&page=ref_view
・新潟県立万代島美術館 B.island 第20号「眼から鱗が落ちる―聖パウロの改宗」:https://banbi.pref.niigata.lg.jp/topics/b-island20-5/

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