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【豊臣兄弟!】悲劇的な最期を遂げた浅井長政(中島歩)。市(宮﨑あおい)のその後は?

  • 2026.5.8

【豊臣兄弟!】悲劇的な最期を遂げた浅井長政(中島歩)。市(宮﨑あおい)のその後は?

2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を月1回お届けします。今回のテーマは、浅井長政(ながまさ)です。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』第17回「小谷落城」では、タイトル通りに、浅井氏の居城である小谷城が落城し、中島歩さんが演じる浅井長政が自刃。宮﨑あおいさんが演じる市(いち)は、3人の娘を連れて小谷城を去りました。浅井長政の悲劇的な最期は、強い印象を残したのではないでしょうか。今回は、その浅井長政を取り上げたいと思います。

浅井長政とは

浅井長政は、天文14年(1545)に生まれました。天文3年(1534)生まれの織田信長より11歳、天文6年(1537)の生まれとされる秀吉より8歳、天文9年(1540)とされる秀長より5歳年下となります。

市の生年は出産年齢などから、天文19年(1550)頃の可能性が高いと推定されていますが、定かではありません(黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。仮に天文19年で計算すると、市は長政より5歳年下となります。

父は、榎木孝明さんが演じる浅井久政(ひさまさ)。母は、伊香郡井口(滋賀県長浜市高月町井口)の土豪・井口経元(つねもと)の娘で、小野殿、阿古御料(あこごりょう)などと呼ばれました。

六角氏の重臣の娘との婚姻

浅井氏は近江源氏佐々木氏の庶流・京極氏を主家としますが、長政が誕生した頃は、六角氏の従属下にもありました。六角氏は近江源氏佐々木氏の嫡流で、中世を通じて近江国(滋賀県)守護を務め、近江国(滋賀県)南部を支配した名門です。

長政の最初の実名は、「賢政(かたまさ)」といいますが(ここでは長政で統一)、これは六角氏の当主・六角義賢(よしかた)の名から一字与えられたものです。

また、長政は永禄2年(1559)正月に15歳(数え年)で元服したとされますが、元服と同時に六角義賢の重臣である平井定武(さだたけ)の娘を妻に迎えています。ところが、同年の4月に長政はこの妻と離別しました。これは、六角氏との断交と合戦におよぶことを意味します(以上、宮島敬一『浅井氏三代』)。

実際に浅井氏は、翌永禄3年(1560)8月に、浅井氏の領国に侵攻してきた六角方の軍勢を、野良田(滋賀県彦根市)での戦いで撃破したといいます。この頃から浅井氏は六角氏の従属下から脱し、六角氏と抗争を繰り広げていくことになります。

16歳で当主に

江戸時代に成立した軍記史料『江濃記(ごうのうき)』によれば、永禄3年(1560)10月、浅井久政は浅井氏の居城である小谷城(滋賀県長浜市)の小丸(こまる)に隠居し、長政が家督を継ぎました。長政は16歳という若さで、当主の座に就いたのです。

長政は領国統治にあたりましたが、外交関係などは、家長である久政と長政の共同統治が行なわれていたとみなされています(黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。

翌永禄4年(1561)5月、長政は実名を、「賢政」から「長政」に改めました。長政が織田信長の妹・市を妻としていることから、長政の「長」は、信長の名から一字与えられたとする説も根強いですが、長政と市の婚礼は永禄4年よりも後なので、その可能性は低いと考えられています(新谷和之「浅井長政––––“悲劇の英雄”の実像」 柴裕之編『戦国武将列伝 別巻1 織田編』所収)。

信長に背く

浅井長政は、永禄10年(1567)に織田信長と同盟を結び、市と結婚したとされます(黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。

このとき長政はすでに、越前朝倉氏の従属下にあったと考えられています。長政が鶴見辰吾さんが演じる朝倉義景(よしかげ)を「御屋形(おやかた)様」と称していたこと。長政の嫡男・万福丸(まんぷくまる)が朝倉家に人質として差し出され、朝倉の本拠・一乗谷(福井市)に居住していたことが、朝倉との従属関係を示しているといいます。

しかし、信長と朝倉義景が対立したため、長政は織田か朝倉か、どちらか一方を選ばなければならない立場に追い込まれました(以上、新谷和之「浅井長政––––“悲劇の英雄”の実像」)。

そして永禄13年(1570)4月に、信長が朝倉義景を攻めるために(名目は若狭[福井県西部]の国衆・武藤友益[ともます]の討伐)越前敦賀へ出陣すると、どのような経緯があったのかは不明ですが、長政は信長に背き、朝倉家を支援するために越前国へと兵を進めました。

信長は朝倉・浅井両軍に挟撃される状況に追い込まれ、わずかな供を連れて、京都へと撤退しています。なお、市が信長に両端を縄で縛った小豆袋を送り、長政の裏切りを知らせたという有名な「袋のネズミ」のエピソードは、近世の軍記物にしかみられず、事実ではないようです。

小谷城は炎上していない?

長政は姉川合戦など、信長と戦闘を展開していきますが、浅井も朝倉も、信長に滅ぼされることになります。

天正元年(1573)8月、信長は北近江に侵攻し、援軍にきた朝倉軍が退陣すると、朝倉軍を追って越前国に兵を進め、8月20日に朝倉義景を自刃に追い込みました。ここに、但馬国朝倉庄(兵庫県養父市)に生まれ、南北朝の動乱期に初めて越前へ入国した朝倉広景(ひろかげ)を祖とする越前朝倉氏は、その長い歴史に幕を下ろしました。その後、信長の軍勢は浅井氏攻めに反転し、小谷城を包囲・攻撃します。

8月27日には浅井久政が、9月1日には浅井長政が自刃し、浅井氏もまた滅亡しました。長政はまだ29歳でした。ドラマの小谷城は燃えていましたが、小谷城の主要部分から焼土が出ていないことから、落城した際に小谷城は炎上していなかったといわれています(太田浩司『浅井長政と姉川合戦 その繁栄と滅亡への軌跡』)。

市は、長政との間に生まれた3人の娘とともに、落城間際の小谷城から退去し、織田家に引き取られました。その後、お市は山口馬木也さんが演じる柴田勝家(かついえ)と再婚。長女・淀殿(茶々)、次女・初(はつ)、三女・江(ごう)の3人の娘は、乱世を生き抜いていきます。

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