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危篤と聞いて「明日でいいか」──その日の夕方、スマホを見て固まった私の話

  • 2026.4.30

筆者の話です。
危篤だと聞いたいとこに「明日行くね」と伝えた日のこと。
その数時間後に届いた知らせに、私は言葉を失いました。

画像: ftnews.jp
ftnews.jp

明日行くね

「明日行くね」
知人から、同級生であるいとこが危篤だと聞きました。
親類からは何の連絡もなかったので、半信半疑ながら娘さんに連絡を取ると「今は会えるから来てやって」と言われます。

ただ、知らせを聞いて午後にお見舞いに行った親類から「落ち着いていたよ」との連絡をもらいました。
電話越しの声もどこか穏やかで、今すぐ駆けつけなければならないほどの緊迫した様子は感じられません。
そのため私は「明日行くね」と伝え、その日は予定通り過ごすことにしました。

その日の判断

急いだ方がいいのか、それとも明日でも間に合うのか。
頭の中で何度か考えながらも「今は大丈夫そう」という言葉に気持ちが傾いていきました。

外はいつも通りの景色で、特別な変化は何もありません。
普段と変わらない時間が流れていきます。

それでも、ふとした瞬間に「本当に明日でよかったのだろうか」という思いがよぎりました。
けれどその違和感に、はっきりと向き合うことはしませんでした。

突然の報せ

その日の夕方、スマートフォンに届いたのは、亡くなったという知らせでした。
画面を見たまま、しばらく動けませんでした。

数時間前まで「会える」と言われていた相手が、もういない。
「まだ会える」という言葉を、私は「時間がある」という意味で受け取っていたのです。

けれど、その「まだ」は、決して余裕を示す言葉ではありませんでした。
その意味を、あとになってようやく理解したのです。

今できること

なぜ、あのときすぐに向かわなかったのか。
お通夜でいとこの顔を見たとき、もう話すことはできないのだと実感しました。

行けない理由があったわけでもありません。
ただ「明日でも間に合う」と思い込んでしまっただけでした。
行こうと思えば行けたはずなのに、そのとき動かなかったことを、今でも悔やんでいます。

それ以来、会いたいと思った人には、そのときに会うようにしています。
先延ばしにした時間は、戻ってくることはありません。
「明日」が当たり前に来るとは限らないと、この出来事が教えてくれました。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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