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量子電池は「時間の逆行」で充電できる可能性がある――「観測」を打ち消すと起きること

  • 2026.4.17
量子電池は「時間の逆行」で充電できる可能性がある――「観測」を打ち消すと起きること
量子電池は「時間の逆行」で充電できる可能性がある――「観測」を打ち消すと起きること / Credit:Canva

世の中の出来事は、どれもこれも一方通行で、時間は過去から未来へと流れていく。

それがあまりに当たり前なので、私たちは普段、疑うこともありません。

ところがアメリカのロスアラモス国立研究所(LANL)の物理学者たちが、この「当たり前」をひっくり返すような、奇妙な提案を発表しました。

ごく小さな「量子」の世界でなら、時間の流れる向きを操作できるかもしれない。

しかも、その操作を上手に使えば、時間を逆行させる過程からエネルギーを取り出せる、つまり量子電池の充電に使える可能性があるというのです。

論文は「量子の時間の矢の形を変える(Reshaping the Quantum Arrow of Time)」という魅力的なタイトルで2026年2月19日に『Physical Review X』にて発表されました。

SFのような話が、なぜ真面目な物理学の論文として成立するのでしょうか。

その答えを探るには、まず「時間の向きとは何か」という、とても根本的な問いから始める必要があります。

目次

  • 時間の向きは小さな世界では決まっていない
  • 量子の世界では「観測」を打ち消すと時間が巻き戻る
  • 時間の矢を縮めると、量子電池の充電に使えるエネルギーが取り出せる

時間の向きは小さな世界では決まっていない

時間の向きは小さな世界では決まっていない
時間の向きは小さな世界では決まっていない / Credit:Canva

そもそも、時間の向きはどうして決まっているのでしょうか。

この問いは古くから物理学者や哲学者を悩ませてきた、とても根深いテーマです。

ここで、ひとつ簡単なことを試してみてください。

熱いコーヒーをテーブルに置いて、放っておく。

しばらくすれば冷めます。

「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれません。

けれど物理学者は、その「当たり前」をただ受け流さない人たちです。

ニュートンがリンゴの落下を「当たり前」で済まさず万有引力を見出したように、物理学者はコーヒーが冷めるという現象の中にも、深い法則を読み取りました。

コップの中という一カ所にまとまっていた熱が、周りの空気にバラバラに散っていく。

世の中は秩序ある状態から、乱雑な状態へと進んでいきやすい——物理学者はこの傾向を「熱力学の第二法則」と名付けました。

そしてこの「バラバラになっていく向き」こそが、物理学でいう「時間の矢」の正体と考えました。

熱いコーヒーが冷める、つまり一カ所にまとまっていたものが散らばっていくこと、それ自体が時間が流れた証だというわけです。

ところが、ここで不思議な話が出てきます。

コーヒーの熱が散らばっていく——それが時間の矢の正体だという話をしました。

ならば当然、「散らばっていく仕組み」の中にも、時間の向きが刻まれているはずです。

コーヒーの中身を拡大していくと、最後にたどり着くのは分子と分子がぶつかり合う世界です。

このぶつかり合いの一つひとつが積み重なって、全体として「熱が散らばる」という現象を作り出しています。

ということは、この「ぶつかり合い」のルールの中に、「熱は散らばるべし」「時間はこっちに進むべし」という指示が書かれていてもよさそうなものです。

ところが、ここで物理学者たちは困ったことに気づきました。

分子が二つぶつかって跳ね返る。

片方が右へ飛び、もう片方が左へ飛ぶ。

この小さな世界の動きを支配している法則は、ただ「ぶつかったらこう跳ね返る」としか言っていません。

「右の分子が先に動いた」とも「左が先だった」とも言わない。

つまり、ぶつかり方を決めている法則そのものには、「こっちが未来」「こっちが過去」という区別がどこにも存在しない。

これは本当に不思議なことです。

部品の一つひとつには時間の向きがないのに、それが何兆個も集まってコーヒーになった途端、「熱は散らばる一方で、絶対に元には戻らない」という一方通行が現れる。

時間の矢は、部品のルールの中にはどこにも書かれていないのに、全体になると突然姿を現す。

いったいどこから来たのか——この謎は、今も完全には解かれていません。

そして量子の世界に目を向けると、この謎はさらに奇妙な姿を見せます。

量子の世界では「観測」を打ち消すと時間が巻き戻る

量子の世界では「観測」を打ち消すと時間が巻き戻る
量子の世界では「観測」を打ち消すと時間が巻き戻る / Credit:Canva

量子の世界では、粒子を「観測する」という行為そのものが、とても特別な意味を持ちます。

日常の感覚では、「見る」だけなら何も変わらないはずです。

りんごやコーヒーを見つめても、それ自体は変化しません。

けれど量子の世界はそうではありません。

観測という行為そのものが、対象にほんの少し変化を与えてしまうのです。

しかも、量子の世界の変化には、もうひとつ厄介な性質があります。

揺らぎです。

まったく同じ条件で、まったく同じ量子の粒に、まったく同じ観測をしたとしても、毎回同じ結果が出るとは限りません。

サイコロを振るように、結果がばらつくのです。

これは観測の腕が悪いからではなく、量子の世界そのものに備わった、根本的な性質です。

ただし、サイコロと同じで、何十回、何百回と振り続けると、話が変わってきます。

一回一回はバラバラでも、結果を積み重ねていくと、そこにゆるやかな偏りが見えてくる。

「こっちの目が出やすい」「こういう順番で変化しやすい」という、統計的なパターンです。

ガルシア=ピントス氏らの研究グループが着目したのは、まさにこのパターンに「向き」があるという点でした。

どういうことか、もう少しかみ砕いてみましょう。

観測を何度も繰り返してデータを並べると、量子のシステムは「だいたいこういう方向に変化していく」という自然な流れを見せます。

その流れに沿っている記録と、その流れに逆らっている記録を比べると、どちらが自然に起きた記録なのか、統計的に判別できるのです。

前のページで、コーヒーの熱が散らばっていく向きが「時間の矢」だという話をしました。

それと同じ発想です。

量子の世界でも、観測結果のパターンが自然に流れていく向き——それが「時間の矢」にあたります。

言い換えれば、観測結果の偏り方を調べることで、時間がどちらに進んでいるかを判定できる、というわけです。

そして研究チームは、この判定をひっくり返す方法を見つけました。

具体的には、観測によって量子のシステムに起きた変化を、あとから逆向きの操作で打ち消してやるという手法でした。

たとえば、ある部屋に机があって、その上に紙が置かれています。

あなたがその紙をよく見ようと近づいた拍子に、自分の身体が起こした風で紙がヒラリと床に落ちてしまいました。

これが「観測による変化」にあたります。

見ようとした行為そのものが、対象を動かしてしまったのです。

ふつうなら、落ちた紙は落ちたまま。

時間はそのまま先へ進んでいきます。

ところがあなたが瞬時にその紙を拾い上げて、元の場所にそっと戻してやったらどうでしょう。

部屋の様子は、紙が落ちる前の状態に「戻った」ことになります。

ガルシア=ピントス氏たちがやっているのは、これとよく似た操作です。

観測によって起きてしまった小さな変化を、こちらから逆向きの力を加えることで打ち消す。

そしてその打ち消し方の強さを細かく調節すると、時間の矢が変わってくることがわかったのです。

「結局、自分で紙を拾って戻しているだけじゃないか?」
「それで時間の矢が戻るわけがない!」
「インチキじゃないか?」

と思う人もいるでしょう。

確かに部屋全体を外から眺めれば、紙は元に戻っていても、人間が動いた分の汗やエネルギー消費がそこに残っています。

宇宙全体では何も巻き戻っていません。

ポイントは、研究チームがそもそも「宇宙を巻き戻した」とは主張していないところにあります。

彼らが示したのは、「部屋の中の紙だけに注目したら、紙は落ちる前の状態に戻っているように見える」というイメージです。

そして量子の世界では、この「紙だけに注目したときの戻り方」が、時間の矢を測る指標の上では本物の時間逆行と見分けにくくなる、という驚きの性質が出てくるのです。

もう少し踏み込んで言うと、量子の世界では特定の条件のもとで、「観測で起きた変化」と「打ち消し操作で戻した変化」が、まったく同じ種類の変化として振る舞うことが示されました。

普通の世界なら、落ちた紙と拾い上げた紙には「落ちた経歴」がどこかに残ります。

紙にほこりが付いたり、床に跡が残ったり。

ところが量子の世界では、少なくとも時間の矢を測る指標だけを見る限り、その経歴が見分けにくくなることがあります。

だから外から見ている人には、その指標の上では「これは時間が逆に流れている映像だ」と言われても、反論する手がかりがなくなってしまうのです。

研究チームが発見したのは、打ち消しの強さを変えることで、時間の矢の長さや向きまでもが変わってしまうということでした。

打ち消しの強さを控えめにしておけば、時間の矢はいつもどおり前向きに進みます。
打ち消しを少し強めていくと、時間の矢はだんだん短くなっていきます。
前には進んでいるけれど、進み方がゆっくりになっていく感じです。
さらに強めると、矢の長さがほとんどゼロになります。
前向きとも後ろ向きとも言えない、宙ぶらりんの状態です。
そしてもっと強く打ち消すと——ついには矢が平均的には逆向きに反転するのです。

この仕組みを、研究チームを率いるガルシア=ピントス氏自身は次のように語っています。

「もし観測によってシステムが上に動こうとしていたら、私たちはそれを下に動かすことができます。観測の効果に反対の力を加えてやれば、時間が前に進むのではなく後ろに進んだかのような、そんな軌跡を作り出せるのです」

実はこの発想、19世紀の物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルが考えた有名な思考実験「マクスウェルの悪魔」の量子版と言えるものです。

気体分子の動きを賢く見分けて操作することで、バラバラさを減らしてしまう架空の存在——その”悪魔”を量子の世界で実装したのが、今回の仕組みにあたります。

論文の著者たちも、自分たちの提案を「マクスウェルの悪魔の現代版」と明確に位置付けています。

では、この仕組みからどうやって量子電池ができるのでしょうか。

時間の矢を縮めると、量子電池の充電に使えるエネルギーが取り出せる

時間の矢を縮めると、量子電池の充電に使えるエネルギーが取り出せる
時間の矢を縮めると、量子電池の充電に使えるエネルギーが取り出せる / Credit:Canva

ここからが、いよいよ量子電池の話です。

前のセクションで、量子の世界では観測の打ち消し方を調節することで、時間の矢を伸ばしたり縮めたり、果ては逆向きにしたりできる、という話をしました。

しかし、それだけなら「時間の矢をいじれる、面白いね」で終わる話です。

研究チームが見つけたのは、その先でした。

時間の矢を縮める操作をしているとき、同時にエネルギーまで取り出せてしまう——つまり、量子電池の充電に使える可能性がある、というのです。

なぜそんなことが起きるのか。

鍵になるのは、「観測するとエネルギーが注ぎ込まれる」という、量子の世界のもう一つの不思議な性質です。

量子の世界では、観測するたびにシステムに小さなエネルギーが入り込んだり、逆に抜き取られたりすることがあります。

今回の設定では、平均的にエネルギーが注ぎ込まれていきます。

普通の状況では、このエネルギーはシステムの中にただ溜まっていくだけで、取り出すのがとても難しい、やっかいなものでした。

ここで、先ほどの「紙と部屋」の話をもう一度思い出してみてください。

机の上に一枚の紙が置かれています。

そして、この部屋にはどこからともなく吹き込んでくる不思議な風があります。

この風は止めることができず、吹くたびに机の上の紙を少しだけ持ち上げようとします。

つまり、風が紙にエネルギーを与えているわけです。

この「風」が、量子の世界でいう観測という行為にあたります。

普通なら、風に持ち上げられた紙は、ふわりと舞い上がってどこかへ飛んでいってしまうか、机の上をあてもなくさまよって、最後にはどこか別の場所に落ち着くだけでしょう。

風が与えたエネルギーは、紙の動きとなって空中に散らばり、誰にも利用されないまま失われてしまいます。

ところがここに、すばしっこい手が登場します。

この手は、風が紙を持ち上げようとした瞬間に、サッと動いて紙を元の位置に押さえ戻します。

そのとき、風が紙に与えようとしていたエネルギーを、手のひらでスッと受け取り、そっとポケットにしまいます。

風は吹き続け、紙は持ち上がろうとし続けます。

そのたびに手が押さえて、エネルギーを受け取り、ポケットに入れていく。

こうして、紙は机の上でまったく動かないのに、ポケットの中にはエネルギーがどんどん溜まっていくという、ちょっと不思議な状況ができあがります。

ここまで読んで、「ん? これって前のセクションで話していた、打ち消しの操作と同じじゃないか」と思った方は、鋭い。

まさにそのとおりです。

先ほどは、観測の効果を打ち消すことで「時間の矢を縮める」話をしました。

今回では、観測の効果を打ち消すことで「エネルギーを回収する」話をしています。

実は、この二つはまったく同じ一つの操作なのです。

打ち消し操作は、時間の矢を縮める働きと、エネルギーを外へ取り出す働きを、同時にやっている。

論文の中でも、著者たちは「これは、フィードバックが時間の矢を縮めている領域で起きる」と述べています。

時間の矢を縮める操作と、エネルギーの回収が、同じコインの表と裏だった——これが今回の研究のいちばんの発見です。

ガルシア=ピントス氏はこう語っています。

「結果として、そこからエネルギーを取り出すことができるのです。観測を、熱力学的な資源として利用する仕組みが実現するわけです」

研究チームが計算で示したのは、この「すばしっこい手」の動かし方の、具体的なレシピでした。

風(観測)がどんなふうにエネルギーを注ぎ込んでくるのかを数式で正確に捉え、それを打ち消すのにちょうどいいタイミングと強さで動く手の作り方を、細かく書き下ろしたのです。

理想的な条件では、観測によって注ぎ込まれたエネルギーをそっくりそのまま別の場所に取り出せることが分かりました。

これは文字通り、量子の世界の「エネルギーの出入力が可能な装置」つまり量子電池を設計したようなものです。

(※論文では安定にエネルギーを取り出せるのはX=−1の条件の「時間の矢を縮める」領域ですが、「逆行させる」(X<−3)領域でもエネルギーの取り出しは可能であることを示唆しています)

インチキのように見えて、実はインチキではない。

でも「すべての時間が巻き戻る魔法」でもない。

量子の世界だけに許された、小さくてちょっと不思議な裏道です。

「時間を操作できるなら、熱力学の法則が破れているのではないか」——そう疑う人もいるかもしれません。

イギリス・クイーンズ大学のマウロ・パテルノストロ氏は、こう解説しています。

「息子の部屋に入ると、そこは散らかっています。私が片付ければ乱雑さは減りますが、そのためには私がエネルギーを使わなければなりません。ここで示されている仕組みは、まさにそういうことなのです」

つまり、フィードバック操作を行う側がエネルギーを使っており、宇宙全体で見れば熱力学の大原則は守られているというわけです。

もちろん、この仕組みがすぐにスマートフォンの電池に応用されるわけではありません。

いま論文が扱っているのは、量子コンピュータの中で使われるような極めて小さな量子の部品を念頭に置いた理論です。

熱力学第二法則が完全に覆って、割れたコップがエネルギーなしに元に戻るような世界は、やはりやって来ないでしょう。

けれどこの研究によって、量子の片隅では、時間がほんの少しだけその向きを変え、その小さな反転の中から、エネルギーを取り出す手段が見えてきたのです。

元論文

Reshaping the Quantum Arrow of Time
https://doi.org/10.1103/l18s-9vmh

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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