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現場は回ってないけど、辞令は回ってきた?突然の部署移動に困惑するワーママ

  • 2026.4.10

バタバタだった2026年の中学受験が終了。やっと、何とか落ち着いたかも。少なくとも長男の件に関しては、合格という文字を頂いたのでほっと一息か~と思っていた矢先のこと。ワタクシ、辞令を頂いてしまいました。前回の記事:中学受験伴走も仕事も全力で走っていたら、ゴールが『まさかの人事異動』だった件

栄転と言われても、心は全然めでたくない夜

海外営業部に異動になったその日、私は全然眠れませんでした。布団に入っても、目を閉じれば「海外営業」「英語」「時差」「商談」「プレゼン」という、いかにもデキる人がやる単語たちが脳内でぐるぐる回り続け、気づけば冷蔵庫からビールを取り出して、静かにプシュッと開けていました。なんなら、そのビールを飲みながら、1人しくしく泣いていました。ドラマのヒロインみたいに大粒の涙ではなく、「あれ?目から水が出てるな」くらいの、非常に地味な泣き方だったのが、また情けなさに拍車をかけていたように思います。社内的に見れば、今回の異動はどうやら「栄転」という扱いらしいのですが、今の大好きな部署の人たちに申し訳ない気持ちと、自分の気持ちが全然追いついていない現実が混ざり合い、祝われれば祝われるほど、なんとも言えない気まずさが胸に広がっていきました。うん。おそらく。いや、間違いなく。世間的には「おめでとう」案件です。Fラン部署から意図せずにAランク、いや、わが社ではSラン部署。でも、当の本人は、夜中にビール片手に、静かに鼻をすすっているという、なかなかシュールな状況だったのです。

工場のすみっこから始まった、私たちの小さな物語

今の部署は、15年以上在籍した、愛着たっぷりの場所です。むかーしむかし、工場のすみっこでひっそりと誕生し、まるで文化祭の出し物のような規模からスタートしたその部署は、年月とともに少しずつ仲間を増やし、設備を増やし、気づけば「部署」と胸を張って名乗れるくらいの存在になりました。5年前、私が現在所属している弱小研究室も、そんな流れの中で発足しました。弱小とは言いましたが、決してやる気がなかったわけではなく、むしろ「小さいけれど、しぶとい」という、雑草のようなチームだったと自負しています。我が研究室は、小さいながらもコツコツと成果を出してきました。その成果が雪だるま式に積み重なり、2年くらい前から、なんと億単位の研究費が使える研究チームへと進化を遂げたのですから、人生とは本当に何が起こるか分からないものです。僭越ながら、私がリーダーを務めたプロジェクトが、その稼ぎ頭でした。もちろん、うちの研究室だけの力ではなく、他部署や大学、さらには他の企業とも手を取り合い、いろんな人を巻き込んでいった結果として、大きな波が生まれ、予算のオッケーが出たのです。最近の研究のトレンドは、1人の超優秀な人が全部やるというよりも、いかにいろんな人を巻き込めるか、そして時代の追い風に乗れるか、という点にあるような気がします。たまたま、私のプロジェクトのテーマがそれにマッチしていたというだけで、正直なところ、私はただ、流れにしがみついていただけの人間なのかもしれません。

THE ヒラ社員、ささやかな出世欲を語る

私はずっと工場の隅っこで、いわば「すみっコぐらし」のような働き方をしてきました。しかも管理職でも何でもない、いわゆるTHEヒラ社員で、社内の組織図で言えば、探さないと見つからないくらいの位置に、ひっそりと名前が載っているタイプの人間です。それでも、心のどこかで「いずれはこの部署の管理職になれたらな」と思っていました。出世欲ですか、と聞かれれば、そりゃありますよ、と即答しますし、給与も名誉も欲しいに決まっていますし、だって私は営利団体に所属している一介のサラリーマンなのですから、そこをきれいごとでごまかすつもりは一切ありません。給与、1円でも上がれ!と常日頃から願っています。ただ、現実はなかなか厳しくて、評価は本当にぜーんぜんされません。日本企業って、「面白いことやらせてあげているんだから、やりがいあるでしょ、評価なんてしないよ」というセリフを、わりと本気で言ってくることがあり、最初は冗談かと思っていたのですが、どうやらあれは本気だったようです。数年前、一緒に仕事をしていた優秀な後輩が、「やってられない」と言って会社を去りました。メンバーが辞めるというのは、チームにとって本当に大きなダメージで、穴が空いたというより、床が抜けたような感覚に近く、そこから立て直すまでには、想像以上の時間と気力が必要でした。

そして訪れた、あの“事件”の夏

そこから数年、なんとか踏ん張って、あと一歩というところまで来た昨年8月末。私たちの研究にとって、まさに「事件」と呼ぶにふさわしい出来事が起こりました。このままでは、高確率でプロジェクトが失敗する。そんな重大な課題を、見つけてしまったのです。億単位で発注していた器具や用具を、すべて一旦ストップ。機械や製品の仕様を変えなくてはならない、非常に大きな改良が必要になりました。むしろ、この時点で見つけられてよかった。すべてが納品されてから見つかっていたら、会社に多額の損失を出させていた可能性もあり、そう考えると、ギリギリのタイミングでブレーキを踏めた自分を、少しだけ褒めてあげたい気持ちもありました。しかし現実は甘くありません。「なんで発注前に見つけられなかったんだ」と、いろんな人から言われました。いやいや、それまで何百回もテストしましたやん。それでも、たまたま、偶然、いつもと違う角度でテストして、たまたま異変に気づいたからこそ止められたのであって、そこはむしろ「よく止めたな」と言ってもらってもバチは当たらないんじゃないかと、内心では何度も思いました。

連敗続きの半年、人間観察が上手くなる

その後の半年間は、まさに連敗・連敗・連敗の連続でした。何をやってもうまくいかない日が続き、データは思うように揃わず、スケジュールはどんどん後ろにずれ込み、気づけばカレンダーを見るのが怖くなっていました。勝っているときは、みんな見てくれます。注目され、声もかけてくれますし、「さすがですね」なんて言葉も飛んできます。でも、負けが込んでいるときって、不思議なことに、ものすごくネガティブなアドバイスを「善意」で届けてくれる人が増えるんですね。「だから言ったじゃないか」とか、「最初から無理だったんじゃないか」とか、そんな言葉を聞きながら、「ああ、人って面白い生き物だな」と、半分達観したような気持ちになっていきました。この半年で、私は技術者としてというより、人間観察のスキルがぐんと上がった気がします。研究の成果はなかなか出ませんでしたが、「人の本性」という、非常に興味深いデータだけは、山ほど蓄積された半年でした。

ようやく見えた光、そして突然の異動

そんな中、8月からずっと光が見えなかった課題に、ようやく、ほんの少しだけ光が見えてきました。厳密に言うと、技術的な問題が完全に解決したわけではないのですが、この技術が完成したときの投資リターンや、他社との比較、そして世界でこのテーマに本気で取り組んでいる企業がまだ少ないという点が評価され、少しずつ応援してくれる仲間が増えてきたのです。「面白いね」「続けてみよう」「一緒に考えよう」そんな言葉をかけてもらえるようになり、心の奥に小さな灯がともったような感覚がありました。よし、3月には何とかしよう。少なくとも、予算は例年通り確保して、止まっている発注も再開して、前に進めよう。そう思っていた、まさにそのタイミングで。リーダーである私が、異動になりました。関係者の何人かが、「嘘やろ…」と、ほぼ同時に同じ言葉をつぶやいていたのを、私は今でもはっきり覚えています。そりゃそうです。一番状況を理解している人間が、まったく関係のない部署に行くのですから、現場としては、なかなかの衝撃だったと思います。いや、本当に他のメンバーの反応はちょっと見てられないくらいでした。うん。その後、どうやら私が抜けると本当に困るらしい、ということが改めて発覚し、おそらく関係者の方々がいろいろと動いてくださった結果、異動後も20%のリソースを前部署の研究に注ぐことが決まりました。

二刀流という名の、なかなかハードな現実

つまり。週に半日、研究員に戻ることになったのです。海外営業と研究員の二刀流。うん。なかなかパンチの効いた肩書きです。正直なところ、「んなもん、できるかいな」と心の中で何度もツッコミましたし、「せめて給料を上げてくれや」と、関西人の魂が小さく叫んでいたのも事実です。でも、それらを全部飲み込んで、自分でコントロールできない「異動」という現実を受け入れ、私は静かに準備を始めています。人生には、自分で舵を切れる場面と、どうにもならない流れに身を任せるしかない場面があります。今回の出来事は、まさに後者でした。ちょっと情けなくて、ちょっと悔しくて、でもどこかで「まあ、これもネタになるか」と思っている自分もいて。――さて、ここから私の人生は、思いもよらない方向に動き出すことになりそうです。今日もよくわからない資料の山に囲まれながら、次の一歩を踏み出そうとしています。たぶん、格好よくはないけれど。それでも、前を向いて。ではまた!

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