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「会社、辞めてやる」と100万回以上思っていたのに、なぜ今日も出勤しているのか?

  • 2025.12.11

数年前、私は毎日のようにこう思っていました。「会社、辞めてやる。」

辞表が脳内を舞う日々

ええ、声に出さずとも、脳内では常に辞表が風に舞っておりました。朝起きた瞬間から、夜布団に入るその瞬間まで、まるでスクリーンセーバーのように、白い紙がひらひらと宙を舞う日々。気を抜くと溜息なみの頻度で「は~会社辞めたい」と言ってしまう。ひとたび「とーーっても嫌!」というスイッチが入ると、世界のすべてが「やっぱり嫌!」に変換されてしまうのが、人間という生き物の実に面倒な仕様であります。それでも、「よし今日でサヨナラ!」と勢いよく立ち上がれるほど、人生は都合よく作られていないのが現実でして…当時の辞めたい気持ちは、リアルな家計のお財布事情に、見事に首根っこを掴まれておりました。

辞められない、あまりにも現実的な理由

あの頃の我が家はといえば、夫は転職ホヤホヤ、三男はまだ乳飲み子、子どもは三人、出費は無限、睡眠はブツ切り。私は日々追い詰められていました。――転職なんてしている場合じゃない。そう頭では分かっているのに、心は毎日「もう無理ーー!!!」と叫んでいる。このどうにもならない板挟み感。辞めたい、でも辞められない。行動に移す余裕も、時間も、胆力もない。とはいえ無職になればそれはそれで不安マックスになってしまう。私が辞めずに働いているということが家計の最大の安心。でもいろいろギリギリ!そんな状況で踏ん張る私の心は、日増しにすり減っていき、何が嫌なのか、もう細かく分解する気力すら失われかけていました。実は、会社が嫌な理由は実にシンプルでした。

仕事量・質と評価の不釣り合い問題

「仕事量と評価、全然つり合ってなくない?」この一言に尽きます。こう書くと、「自己評価高くない?」と笑われそうですが、たぶん高かったのです。ええ、自覚はあります。ただそれ以上に、当時の給与がびっくりするほど低かった。管理職試験では高得点だったと聞かされ、期待して待っていたところに降ってきたのが、「会社の都合で今回は見送り」という、何とも便利な言葉。復帰して数か月、時短で働いていたこともあり給与は減っています。なのに仕事の難易度は高い。研究テーマも高難度。その上、「あなたならできるよね?」という謎の期待圧が常に添え物として付いてくる。一方で、おしゃべりに忙しく、軽めの課題だけをこなす先輩の方が給料は高い。優秀な後輩は呆れ果てて去っていき、なぜかその仕事は私に回ってくる。余裕は静かに、確実に消えていきました。 先日、当時の年収が印字された源泉徴収がひょっこり出てきたのですが、今の年収よりずーーっと低かった…いや、ホント、リアルに。同一人物?っていうくらい。その後、管理職試験になぜか受かり、報酬は増えました(とはいえヒラ管理職。部下なしです)。でもって、フルタイムに戻したので更にそれも拍車をかけました。えっ?さぞ仕事が増えたろうって?んなことはございません。量も質も当時の方が負担がかかっていました。はい。

評価されない専門分野という沼

さらに厄介だったのが、私のテーマがAIや機械学習という、「評価がよーわからん」系分野だったことです。結果――いまだに、この分野の研究でガンガン結果を出しても、評価されていません。嘘みたいですが、ほんとです。成果を出しても評価されないって、いったいこれは何の修行なのかと、時々真剣に悟りを開きそうになります。周囲の人にも同情されるレベルです。誇張なしで。ただ今は昔より報酬があるため耐えられます。あの頃は、本当に辞めなかった自分の頭の構造を疑いました。どう考えても正常な判断力があれば、もう少し早く逃げていたはずなのに、と。けれど現実の私は、文句を言いながら、日々データと格闘していたのです。ところが!ここ数年で、職場の空気は不思議な進化を遂げました。

低空飛行が流行る職場の空気

かつては「やる気のある人ほど先に辞めていく」時代でしたが、今は違う。若手を中心に増えているのは、「低空飛行で、ギリギリ働く」スタイル。「やってもやらなくても、どうせ給料は同じでしょ?」と、静かに悟りを開いた人々です。辞めるでもなく、燃え上がるでもなく、ただ存在感を消して、最低限で働く。社長賞にも出世にも大して興味はなく、転勤はしたくない、出張は疲れる、できれば内勤がいい。彼らは決して非常識でも怠惰でもなく、むしろ極めて常識的で、自分の人生の体力配分をきちんと計算しているだけなのです。頑張ったら転勤になった人を、もう何人も見てきましたからね。

優しすぎる管理職という不思議な生き物

一方、管理職たちも、私の若い頃とは別種の生き物に進化しました。とにかくホワイトで、優しくて、柔らかい。私が新入社員だった頃の上司など、今思い返せば完全に【ザ・ブラック】で、いや、決して全員が全員そうではないですが少なからず地方都市の研究部門にはいらっしゃいました。夜は永遠に研究室の光は消えず、締め切り前には怒鳴り声が響き、上司の機嫌ひとつで承認がひっくり返る世界でした。それでも不思議と筋は通っていて、「一度やってよし!と言ったら、失敗しても部下は守る」という仁義があったような気がします。ところが現代の上司は、笑顔で話は聞いてくれるのに、提案すると秒速で却下され、「そこまで頑張らなくてもいい」「現状維持で十分」と、保守の嵐。見た目は穏やか、中身は微動だにしない岩のよう。コンプラ的には完璧ですが、人間の泥くささはずいぶんと薄まりました。情熱もまた、書類と一緒にどこかへ保管されてしまったのかもしれません。ほんでもって本題よ。

数年前の辞めたい情熱はどこへ行ったのか

それよ!【辞めたいブーム】はどこへ行ったのか。分かりません。あれほど燃えに燃えていた「辞める」という情熱は、いつの間にか鎮火し、今では白い煙だけが心の片隅からたまに立ち上る程度です。な~んか、そんなこと考えることも疲れた、と言った方が正確かもしれません。一方で、私の専門であるAIや機械学習、プログラミングは時代とともに市民権を得て、相変わらず評価はされないまま(まだされんのかい!)それなりに居場所を与えられるようになりました。うん。それより何より、気づけば私自身も、若い人たちの「存在を消して最低限で働く」スタイルに、静かにすり寄っているのです。これが正解なのかどうかは分かりません。ただひとつ言えるのは、辞めたかったはずの私は、今日も変わらず会社の席に座っているということ。そして最近では、あれほど舞っていた脳内の辞表も、ようやく落ち着いたようで――今の所、どこにも見当たりません。とにかく最近は辞表はフッと姿を消し、来るのは、いつも通りの朝だけです。ではでは。

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