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愛することを、はじめて教えてくれた存在/偏愛のかたち。②

  • 2026.3.25

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私にとって「好き」という感覚は、ただの趣味や一時の気分じゃないんです。私の中のもっともーっと深いところ、心の芯のほうにあり続けていて、そこに触れると安心できたり、自分らしさを取り戻せたりするもの。大切にしたい、守りたいという気持ちそのものです。

それは人に対しても、ものに対しても同じです。特に「偏愛」と呼べる存在は、私を支えてくれるもう一つの軸のようなもの。この連載では、私の「偏愛すべき大切なものごと」を紹介していきます。

今回も引き続き、幼い頃からずっと一緒にいるぬいぐるみ「ベルちゃん」にまつわることについてお話ししますね。

★大人になってからのベルちゃんと私

大人になった今でも、ベルちゃんは私のすぐそばにいます。昼はソファで並んで座り、夜はベッドで一緒に眠る。つらいことがあって落ち込む日や、どうしても寝つけない夜は、ベルちゃんを撫でていると自然と呼吸が整い、気持ちが落ち着くんですよね。

嫌なことがあった日は、ぎゅっと抱きしめるだけで安心できる。小さい頃からずっとそうしてきたから、私のことを一番によくわかってくれているのがベルちゃんなんです。しゃべらないけど、いつも私を見て、そばにいてくれるというか。

★お坊さんに相談した日

とある番組の企画で、「いろいろ見える」というお坊さんにベルちゃんのことを見てもらったことがありました。

当時の私はちょっとSF的な発想をしていて(笑)、「AIが人間を超えるシンギュラリティみたいに、ベルちゃんが私の範疇を超えて魂を乗っ取ったらどうしよう!?」なんて、今思えばかなり不思議な相談をしてしまったんです。

するとお坊さんは落ち着いた口調で、「ベルちゃんは暴走しません。このぬいぐるみは、あなたのエネルギーを使って生きている、あなたの手足のような存在です。30年間も一緒なのに劣化しないのは、あなたのエネルギーがしっかり入っているからですよ」と答えてくれました。

さらに「ベルちゃんの中身って何なんですか?」と尋ねると、「お地蔵さんのご縁のようなものですかね」と。その瞬間、ハッと浮かんだのは、登下校のときに心の中で「いつもありがとうございます」と声をかけていた、実家近くのお地蔵さんのこと。

思い返せば、子どもの頃そのすぐそばで交通事故に遭ったときも奇跡的に無傷で、お母さんから「お地蔵さんが守ってくれたんだね」と言われたことがありました。そんな経験も重なって、ベルちゃんはやっぱり私を守ってくれる存在なんだ、と心の底から確信できたのです。

どこかでつながっている感覚は、今も変わらず続いています。

★店で見かけるぬいぐるみ

お店でぬいぐるみや人形を見ていると、たまにベルちゃんのように感情、自我を持っていると感じる子がいます。うまく言葉にはできないけれど、表情やたたずまいを見ればわかるんです! 私にはベルちゃんがいるので新たに招き入れることはしませんが、「この子には感情が宿っているな」と心の中で思っています。

ベルちゃんに、毎日声をかけ、大切にしていると、ただの“もの”ではなくなります。その感覚は、きっと私だけのものではなくて、皆さんにもあるんじゃないでしょうか。お気に入りのぬいぐるみに話しかけている人なら、きっとどこかで共感してくれる気がします。言葉を持たない相手に向けるまなざしや優しさは、こちらのあり方をも変えてくれるんじゃないでしょうか。

★保護猫とベルちゃん

5年ほど前、保護猫を迎えました。嬉しくてかわいい! と思う一方で心配だったのは、ベルちゃんとうまくやっていけるかどうか。高校時代のあの金縛りの記憶がよみがえり、猫に嫉妬したりいじめたりしないだろうかと不安でした。

それで、迎える前にベルちゃんに説明しました。「新しく妹ができるよ。お世話は私がするけれど、ベルちゃんのことも同じくらい大切だよ」と。

それを伝えてから一緒に暮らし始めると、2人(正確にはぬいぐるみと猫だけど笑)とも穏やかで、ケンカすることなく仲良くしています。ベルちゃんは話さないけれど、今どんな気分なのかは、ずっと一緒にいるから私にはわかる。そっと撫でると、機嫌の良し悪しが手触りに表れて、私の気持ちも落ち着いていきます。

★積み重なる時間と、迷い

年月が経つのは本当に早いもの。30年連れ添ったベルちゃんは、私が撫で過ぎたせいか首まわりがだいぶ弱ってきてしまい、そこでおばあちゃんが毛糸で可愛いマフラーを編んでくれて、それを首に巻いてカバーしています。

ただ、いつまでベルちゃんの体がもってくれるのか…不安になることもあります。だからこそ「ぬいぐるみ専門の病院に連れて行くべきか?」と考えたことも。中の綿を詰め替えたり、毛並みを補修したりすれば、出会った頃のふっくらした姿に戻るかもしれない。

でも同時に、香りや手触りといった“30年分の記憶”まで変わってしまうのでは? と思うと、なかなか決断できないのです。だから今は、このままのベルちゃんと一緒に、限界まで寄り添って生きていこうと決めています。

迷いもまた、きっと愛情のかたち。そう思えること自体が、私とベルちゃんの積み重ねてきた時間の証なのかもしれませんね。

★偏愛という名の、ごく個人的な確信

私にとってベルちゃんは、ただの「好き!」をはるかに越えた、唯一無二の存在です。もし「それ、ただのぬいぐるみでしょ」と言われても、私は「違う」とはっきり言える。他人にどう言われようと、自分が信じられるものだったら、それでいいと思っています。

幸いなことに、私の周りにいる人でベルちゃんを馬鹿にする人は一人もいません。むしろ、私がどれほど大切にしているかを理解し、同じように丁寧に扱ってくれる。だから私は安心して、胸を張っていられるのだと思います。偏っているからこそ見えてくる景色があって、その偏りが私を支えてくれる。私の偏愛は、私の世界の基準でもあります。

今でも大切なベルちゃん
今でも大切なベルちゃん

★偏愛と暮らしの距離感

偏っている、と書くと、どこか極端で閉ざされたもののように聞こえるかもしれません。でも、私にとっての偏愛は誰かを否定したり、何かを排除したりするための盾ではありません。

むしろ逆で、世界と関わるときの私の背骨になってくれるもの。撮影の現場でも、移動の車でも、家に帰った瞬間でも、心がざわつくときに思い浮かべるのはベルちゃんです。日によって表情や手触りが違うように感じるのは、きっと私自身の心の動きが映っているからかもしれないです。そう思うと、私は自分の機嫌を自分で取る方法を、ベルちゃんから教わってきたのだと気づきます。

★偏愛とは自分を守り、整えるもの

ぬいぐるみに話しかける、撫でる、隣に座ってもらう。この仕草が他の誰かには理解されないかもしれない。けれど、もしみなさんの中にもこういうふうに「わかってもらえないかもしれないけど、私にとって大切なこと」があるなら、どうかその思いを大事にしてほしいです。私の偏愛は、ただ私を守り、整えてくれるためにあるんです。誰かの許可はいりません。自分が信じられるものだったら、それでいいのです。

だから、この先もずっと、私はベルちゃんと一緒にいます。最後まで添い遂げたいから、家族には「何かあったら棺に一緒に入れてね」とお願いしています。弟はちょっと引いていますけどね(笑)。

……だいぶディープな偏愛の話になってしまいましたね。でも、これが私の「好き!」のかたちです。事実だけで綴った、私とベルちゃんの物語を読んでくださってありがとうございます。偏愛は派手なものではなく、日常をやさしく照らすもの。ベルちゃんがいてくれる限り、私は私らしく生きていけます。

◉文=夏目円、写真=當麻 結菜

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