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退屈すぎる…サッカーの歴史上「最も嫌われたタイトルホルダー」5選

  • 2026.3.15

2025-26シーズン、イングランド・プレミアリーグの首位を走りながらも「セットプレーに頼った地味な戦術」であるとして批判を浴びているミケル・アルテタ率いるアーセナル。しかし、歴史を振り返れば、彼らのように勝利と引き換えに「嫌われ者」となったチームは少なくないのだ。

指導者や選手にとって勝利こそがすべてであるとはいえ、その「プロセス」が美しくなければ王者であってもしばしば「退屈だったチャンピオン」として揶揄されてしまうものだ。

今回は『Planet Football』から、『タイトルを獲得しながらも批判を受けてしまった伝説的チーム」をご紹介する。

ギリシャ代表(EURO2004王者)

『Guardian』の記者であるバリー・グレンデニング氏は、当時のギリシャ代表のプレースタイルをこう評した。「誰もが負けることを願った唯一のアンダードッグ(大穴チーム)」だと。

判官贔屓という言葉があるとおり、中立のファンは格下のチームを応援するものだが、そうなってしまった理由は明白だった。EURO 2004の主役たちを次々と葬り去ったが、そのスタイルは執拗なマンマークとセットプレーに依存したものだったからだ。

名将オットー・レーハーゲル監督率いるギリシャは、グループステージでスペインを蹴落とすと、決勝トーナメントではフランス、チェコ、そして開催国ポルトガルをすべて1-0で撃破。エースのハイタワーFWハリステアスのヘッドと、GKニコポリディスの神がかったセーブで勝ち上がり、6試合でわずか7得点4失点という「ゲームを動かさない」ことでトロフィーを掲げた。

ジェラール・ウリエ政権のリヴァプール

2001年、リヴァプールはカップ・トレブル(カップ戦の3冠)という前例のない快挙を成し遂げた。しかし、その内容を覚えている者は少ない。基本的には自陣に引きこもり、前線のマイケル・オーウェンがワンチャンスを仕留めるのを待つ…というスタイルだったからだ。

UEFAカップ準決勝バルセロナ戦の第1戦などは、あまりに守備的な0-0の泥試合に終始した。さらにウリエ監督は、リヴァプールファンのアイドルだったロビー・ファウラーをベンチに追いやり、オーウェンを引き立てるポスト役としてエミール・ヘスキーを重用した。

当然ながら結果は出したが、その一本調子な戦術は限界を迎えていく。オーウェンの怪我、ファウラーの退団、さらに攻撃に彩りを加えようとしたエル・ハッジ・ディウフの獲得も大失敗に終わり、ジェイミー・キャラガーは自伝で「2002年のプレシーズン初日、チームの新戦力を見て絶望してしまった」とまで綴っている。

ドン・レヴィー政権下のリーズ

今のミケル・アルテタ&アーセナルに最も近い存在ともいえる伝説のチーム。それは1960~70年代のリーズ・ユナイテッドだ。

世間から忌み嫌われる戦術、個性を抑え込まれた才能豊かな選手たち、そして神経質なまでの完璧主義を貫く指揮官。ドン・レヴィー監督の下でチームは多くのタイトルを手にしたが、その「美しさよりも冷徹さ」を優先したスタイルは、今なお議論の的となっている。

2部を戦っていた1961年にドン・レヴィーが監督に就任すると、ビリー・ブレムナー、ノーマン・ハンター、ジャッキー・チャールトンなど名選手を育て上げ、1964年に1部昇格。さらにその後リーグ優勝2回、準優勝5回、FAカップ優勝1回、リーグカップ優勝1回、UEFAチャンピオンズカップ準優勝1回など、書ききれないほどのタイトルを獲得。

ただ、そのスタイルは「ダーティー・リーズ」と言われるほどのハードかつラフなもので、対戦相手に「怪我をさせられてしまうのではないか」と恐怖を与えるほどだったという。

ジョゼ・モウリーニョ政権下のFCポルト(2004年チャンピオンズリーグ)

画像: (C)Getty Images
(C)Getty Images

2003年のUEFAカップ決勝で敗れたセルティックのファンは、その際にすでに警告していた。モウリーニョ率いるFCポルトが、いかに狡猾で、時間稼ぎやマリーシアに長けたチームであるかということを。あくまで勝負に徹するスタイルで挑んでくることを。

ただ、それでもその翌年に彼らがチャンピオンズリーグまで制覇すると予想した者は少なかった。デコやリカルド・カルヴァーリョといった名手を擁しながら、それに加えてダーティなスキルをも駆使して欧州の頂点に立つことに成功したのだ。

モウリーニョ自身も記者会見やインタビューにおいて狡猾な「精神的揺さぶり」をかけることができる人物であり、メディアも巻き込んで相手にプレッシャーを与えていく。確かな技術的側面を持ったチームであったが、それにモウリーニョが持つ勝負師としてのずる賢さが加わった伝説的なスカッドであった。

ジョージ・グラハム政権下のアーセナル

「ボーリング、ボーリング(退屈な)・アーセナル」というチャントは、ジョージ・グラハム監督が率いた時代に定着した。1989年と1991年にリーグを制したチームは、徹底的なオフサイドトラップと、「1-0」で逃げ切る省エネ戦法に命を懸けていた。

1994年のカップウィナーズカップ決勝でも、攻撃の意欲を全く見せないアーセナルに対し、パルマの選手たちは「どう戦えばいいのか困惑した」という。

その1年後のカップウィナーズカップ決勝で超ロングシュートを決められ、アーセナルが失点した際、イングランド中が歓喜に沸いたのは皮肉な話であった。それほどまでに「見ていてもまったく楽しくないチーム」として批判されていたのだ。

さらに皮肉なことに、後にアーセナルの監督に就任したアーセン・ヴェンゲル氏のおかげで、チームは「イングランドで最も楽しいプレースタイル」に変貌することになる。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

筆者:石井彰(編集部)

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