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だから101歳まで現役を貫けた…亡くなる直前まで店に立ち続けた薬剤師が「言わない」と決めていた言葉

  • 2026.3.11

比留間榮子さんは大正12年に生まれ、2025年に101歳でこの世を去った薬剤師だ。戦争や家族の病気に見舞われながらも、亡くなるほんの少し前まで薬局に立ち続けた。彼女を長く支えたものは、一体なんだったのか。比留間さんは生前「自分に気を配る時間をとれば、必要な『くすり』は見えてくる」と語っていた――。

※本稿は、比留間榮子『ほどよくまわり道して生きていく』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

処方箋を見ながら薬を手に取る薬剤師
※写真はイメージです
「今を生きている」人でいる

人に何かをアドバイスするのは、なかなか難しいものだと思います。

「伝わらない」と思うときは自分の価値観の中で話をしていることもよくあるものです。誰かに「伝わる」には、相手と同じく、今の時代を生きているかどうか、同じ世界で話をしているか、がとても大切な気がします。相手の今を見ずに、「昔はこうだったのよ」「そのくらい誰もがやっていたわ」と、自分の時代を押しつける「昔の人」にはなりたくないなぁと思うのです。

今のあなたのお困りごとは何ですか?

私たちの時代にはわからない大変さもおありでしょう。

終わったことは、いったん傍に置いておいて、まずは、今、お感じのことを話してみて。

私の経験が役立つことも、もしかしたら少しはあるかもしれません。

そのくらいの謙虚な気持ちで、「今」という時間を共有してみることです。相手の「今」に最大限関心を持つだけでいいのです。

とはいえ私が「今を生きていたい」と切に思う一番の理由は、「ほかの人が知っていて自分だけが知らないなんてつまらない」……ってことかもしれません。

「今に関心を持つ」という心持ちがあれば、人にも自分にも好奇心を持って関わることができます。

日々淡々と、「疲れた」とは言わない

私は、「疲れた」という言葉を使わないようにしています。理由は簡単です。その言葉を使っていると本当に疲れてしまうからです。

こういう言葉が口ぐせになってしまったら大変。「疲れた」と言うたびにからだが反応して、本当は疲れてもいないのに、からだはそれに応えるように、実際疲れてしまうように思います。

もちろん、スタッフたちに強要するわけではありませんが、私が「疲れた」と言わないことは知れ渡っているようで、若いスタッフも「疲れた」と言っていられなくなるとのこと。私が元気でいることが、周囲の元気のもとになっているのだとしたら、うれしいことです。

一緒に薬剤師として働く孫の康二郎こうじろうに「そもそも普段からあまり肩に力が入っていないから、疲れないのかもしれないですね」と言われたことがあります。

確かに、そうかもしれません。

朝から晩まで薬局に立っていますが、それは私にとって習慣であり、あたりまえのこと。習慣になっていることは、「疲れた」と感じる前に、からだが勝手に動いてくれます。習慣化されたことを淡々とこなしていると、不思議なことに、疲れを感じる暇もないのです。

毎日やらなくてはならないことは、淡々と、習慣化してやっていくこと。それが、疲れずに、長く続けるコツかもしれませんね。

自分の言葉を「心のくすり」に

最近は、年齢を重ねた人よりも若い人のほうが「疲れた」という言葉を使う傾向があるように感じます。口を開けば、疲れた、だるい、と。もしかしたら、インターネットやスマートフォンの見すぎは、目の疲れや姿勢の悪さ、筋力不足を招いていて、実際に疲れているのかもしれませんね。

今自分が何に疲れているのか、それは、心なのか、頭なのか、からだなのか。少し気を配ってあげる時間をもつといい気がします。自分から自分への問診みたいなものです。そうすれば必要な「くすり」は、見えてくることもあります。

ここでいう「くすり」というのは、きちんと休んで、活動と休息のバランスをとることかもしれませんし、悩みを誰かに相談することかもしれません。からだの不調を取り除く、医療での「薬」のこともあるでしょう。

自分自身にかける、「頑張ってくれてありがとう」が心のくすりになることもあるかもしれません。

自分が発した言葉を一番よく聞いているのは、他の誰でもない自分自身です。

「面倒だ」と言えば、自分の耳がそれを聞いて、からだは余計に疲れてしまいます。「自分はダメだ」と言えば、「ああ、やっぱりダメか」と思ってしまうかもしれません。自分以外の誰かを非難する言葉も、自分のこととして受け止めます。

口に出す言葉は、できるだけやさしく、前向きなものにしたいと思うのです。

必ずどこかに光があるはず

長い人生のうちには、自分の力ではどうしようもないことに直面して、絶望を味わうこともあります。思いがけない不幸や、大変な事件に巻き込まれたり、病気を経験したりすることもあるでしょう。

暗い部屋で落ち込む女性
※写真はイメージです

私が人生の中で直面した絶望的な体験といえば、戦争体験です。

私たち家族が、列車に必死につかまりながら長野まで疎開したのは、東京空襲のわずか2日前のことでした。東京空襲のあの日、長野から見た東京方面の空が赤く染まっていたのを、昨日のことのように思い出します。

空襲後、東京に戻ってきたとき、住んでいた街はすべて焼き払われ、池袋の高台から向こうの海が見えたことの衝撃は忘れられません。

何もない。でも、命がある。家族がいる。

今日を生きていること、それが尊いことだと、そのとき思ったのを覚えています。

終戦後、私たち家族は長野から東京へ戻り、改めて父が焼け野原にゼロから開いたのが、ヒルマ薬局でした。

そんな経験からでしょうか。もうダメだ、にっちもさっちもいかない、というときであっても、必ずどこかに光が残っているはずだ、と思う自分がいます。

生き残ったということは、生かされたのだということ。

そして、今日生かされている人間には、お役目があるのだと思うのです。

生きている限りやるべきことがある

今の人たちは戦争を知らない世代ですが、それでも、日々の中でつらい出来事や、思わぬ不幸に見舞われることがあるでしょう。

比留間榮子『ほどよくまわり道して生きていく』(サンマーク出版)
比留間榮子『ほどよくまわり道して生きていく』(サンマーク出版)

人のご苦労は、外からは見えにくいものです。それぞれに立場や状況が違うわけですが、ひとついえることがあるとしたら、失ったものや絶望に向けていた目を、残った光に向けること。

戦争も、大きな災害や事件も、痛ましいものですが、起きてしまったことが変えられない以上、私たちは、そこから立ち上がって前を向き、一歩踏み出して歩いていくしかありません。

「絶望しているときに光など見えない」と思われるかもしれませんが、命があるなら、あなたにはやるべきことがあって生かされているということだと思うのです。

95歳での手術、リハビリを経て

命があれば、動き出すこともできますし、落ち着きを取り戻せば、手を差し伸べてくれる周囲の存在に気づくかもしれません。今すぐには無理でも、少しお休みしたなら、「あるもの」に目を向けてみる。希望はそこから湧いてきます。

私は95歳で人工関節の手術をして、ひとりで歩くこともままならなくなりました。それでも、杖をついて歩くという希望を持ち、毎日リハビリを欠かさずしています。

けがをしたときに絶望しなかったのは、私が残った光に目を向ける生き方をしたいと、常々思ってきたからです。

比留間 榮子(ひるま・えいこ)
薬剤師
1923年東京生まれ。1944年東京女子薬学専門学校(現明治薬科大学)卒業。薬剤師である父の姿を見て自身も薬剤師になろうと決意し、大正12年に父が創業したヒルマ薬局の2代目として働き始める。父とともに、戦後の混乱の渦中にあった東京の街に薬を届ける。薬剤師歴は80年超、調剤業務をこなしながら服薬指導や健康の相談に乗る姿は、「薬師如来のよう」と評判で、地域の人たちの心のよりどころに。101歳で亡くなるまで店に立ち続けた。

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