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日本の元祖スーパーモデル"東洋の神秘"はこうして生まれた…87歳現役美容家が明かす「生涯で最高峰の仕事」

  • 2026.3.10

1960年代から80年代、日本のファッション黎明期にヘアメイクアップアーティストとして時代を牽引してきた川邉サチコさん。多くの天才たちとの数々の仕事のなかでも、世界的モデル・山口小夜子さんと過ごした温かな日々が忘れられないという――。

※本稿は、川邉サチコ『87歳。“私基準”で生きる』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

若き日の川邉サチコさん。日本のヘアメイクアップアーティストの先駆者として時代を牽引した。
若き日の川邉サチコさん。日本のヘアメイクアップアーティストの先駆者として時代を牽引した。
「山口小夜子」という究極の共同作品

私が最初にメイクを本格的に学んだのは、パリでした。外国人の顔は目鼻立ちがはっきりしていて、凹凸がしっかりとあって、特に立体的でした。少し手を入れるだけできれいに仕上がり、「この仕事ってものすごくラクかも?」と勘違いしたほど。日本人の顔はやはり平面的で、帰国して苦労したことを覚えています。

モデルという職業に就いた選ばれしプロたちは骨格が違います。撮影モデルと呼ばれる人は、顔の造作がきれいで、アップにしたときに映える、魅力的な目鼻立ちをしています。一方、コレクションなどで活躍するショーモデルは、体全体の骨格バランスが飛び抜けて美しいのが特徴。これは後天的に手に入るものではありません。

骨格の美しさという共通項はあっても、モデルの国籍はそれぞれ。世界各国の美と個性とを肌で感じていた私が、日本の美を武器に勝負したいと考え、モデルと一心同体となって魅力をつくり上げたことがあります。

それが「東洋の神秘」と称された、スーパーモデルの山口小夜子さんです。

直線的なボブカットが印象的な漆黒のストレートヘア、抜けるように白い、陶器のようなマット肌、スッと伸びた切れ長のアイメイク、くっきりとリップラインを縁取った真紅の唇……。その伝説は今なお語り継がれています。生涯を振り返っても最高峰の仕事であり、公私ともに親しくしていた小夜子さんとの究極の共同作品だったと思っています。

自分自身の美の価値観で勝負する

実際の彼女の素顔はまるで可憐な少女のよう。その佇まいは野に咲く花のように楚々としていました。印象的なのは、恵まれた美しい肌をもっていながら、日々のケアに丹念に取り組む姿。穏やかで繊細で、努力家でもある、まさに日本人らしい女性でした。

それがひとたび舞台に躍り出ると、誰にも負けない強烈なオーラを放つのです。比較すれば平面的かもしれないその顔を、誰のものでもない自分の個性としてじっくり見つめ直し、仕立て上げる。そのステップを経たからこそ、ランウェイを歩く姿には自信がみなぎっていて、人はこんなにも輝くものかと驚いたのです。

そこで私が得たものは、美しさを一方向から見るのではなく、まったく別の視点から光を当て、新しい感性や価値観を創造することの素晴らしさでした。西洋とは違う、アジアにはアジアの、そのなかでも日本には日本の美が存在する。それを理解し、打ち出していくことの喜びを味わい尽くしたのです。そこで得たのが「自分自身の美の価値観で勝負する」という矜持です。「自立」という言葉に置き換えられるかもしれませんし、“私基準の美”とも通じるもの。

やはり、「美とは、自分で探し、自分で発見し、自分でつくり上げるもの」。自立を経て手に入れた自信こそが、本物の輝きとなる。私は自分の仕事からその大切さを学んだのです。

「自分自身の美の価値観で勝負してきた」川邉サチコさん。
「自分自身の美の価値観で勝負してきた」川邉サチコさん。
彼女は「うん、本気」と深くうなずいた

私と彼女とはマネジャーが一緒。それもふたりだけをマネジメントする本木昭子さんの事務所で、モデルとヘアメイクという関係性を超えた姉妹のような間柄でした。

仕事を始めたばかりの小夜子さんは、地味な印象すらある普通の女の子。ただフェイスラインからデコルテまでの美しいライン、小枝のようにすらりと伸びた手足、何よりも透きとおるように美しい肌は、モデルとして大きく羽ばたくポテンシャルを秘めていました。

そんなある日、彼女から真剣な顔で「相談がある」と言われたのです。これから自分は、世界で活躍するインターナショナルなモデルになりたい。でも今のままでは個性が足りない。だから自分のイメージを一緒につくってほしいと。

私は「本気で海外で勝負したいの?」と何度も確認。彼女が「うん、本気」と深くうなずく姿を忘れることができません。

彼女の顔自体に強いキャラクターがあるわけではありません。でも日本人らしい繊細な顔立ちをしています。まず決めたのが肌。その滑らかな質感を生かし、陶器のようなマットな肌に仕立てることにしました。細くて華奢な鼻を生かすべく、アイラインはスッと切れ長に。それに合わせて唇のラインもより鋭角的に。アイメイクが進むにつれて彼女の目つきが変わり、シャープなリップラインが入る頃には、妖気すら漂う東洋のモデルに。ああ、だからこの仕事はおもしろい。人の心まで変えていく力があることを、私はここでも実感します。

ただこのメイクは、細いラインや微妙な角度など、高度なテクニックがあってこそ完成するもの。ていねいに質問と確認を繰り返して確実に自分のものにしていく小夜子さん。彼女はここが人と違うのです。誰よりも努力家であることを私は知っていました。

「東洋のヴィーナス」誕生

山口小夜子さんのトレードマークとなったボブヘアについては、こんな逸話もあります。それは彼女がパリに出発する前夜のこと。小さな顔をより強調するため、ヘアにボリュームと表情とを出そうということになったのです。そこでサロンのスタッフを総動員し、表面をのぞいた内側全体を三つ編みにして、パーマネントウェーブをつくり、ボリュームを出すことに。このスタイリングには4時間もかかったのですが、嫌な顔ひとつせずにじっとしてくれていました。そうはいっても出発は明日。「大丈夫?」とみんなが心配するのですが、「もちろん大丈夫。皆さんこそ、こんな夜遅くまでごめんなさい」と気遣われてしまう始末。自分の理想とする美を追求する姿、何より人への思いやりを忘れない心、彼女がプロたる所以を見た気がしました。

川邉サチコ『87歳。“私基準”で生きる』(プレジデント社)
川邉サチコ『87歳。“私基準”で生きる』(プレジデント社)

カレンダー撮影の沼津ロケのことも思い出します。なんと衣装は三宅一生さんで、アートディレクションが横尾忠則さんという豪華メンバー。そのふたりが同行するという緊張感のあるロケです。季節ごとにシーンを変えて、2日間で6カットを撮影する、かなりハードなスケジュールでした。太陽が昇る前に冬のカット、光の強い昼間に夏のカット、夕暮れどきに秋のカット……場所を変えながら早朝から晩まで撮影が続きます。次の日も朝が早いので、夕食後はすぐ部屋に入り、マッサージとパックとをして休んでもらうことにしました。

すると翌朝、彼女は夜が明ける前に準備をスタート。私が起きてきたときには、すでに鏡の前にスタンバイしていたのです。ようやく撮影が終わり、ロケバスで全員一路東京へ。すると「明日もショーで朝が早いの」と言うではありませんか。それでも彼女の表情は明るく、充実感に満たされています。

「お仕事って楽しいよね。一生さんや横尾さんがいらしても、サチコさんと一緒だったから、すごくリラックスして撮影に臨めたの。ありがとう」そう言われて、私の疲れは一気に吹っ飛んでしまいました。生まれながらにもっている美の感性と努力を惜しまない性格。何より人としてやさしく、謙虚で温か。数多くのクリエイターが山口小夜子さんをサポートしたのは、彼女自身の人間性ゆえのこと。こうして一世を風靡する東洋のヴィーナスは誕生したのです。

川邉 サチコ(かわべ・さちこ)
トータルビューティークリエーター
1938年、東京生まれ。女子美術大学卒。パリのメイクアップアーティスト、ジャン・デストレのスクールで学ぶ。ディオール、サンローラン、ヴァレンティノをはじめ、イッセイ・ミヤケ、 KANSAIなど国内外の著名デザイナーのコレクションや、海外アーティストのヘアメイクを担当。著書に『カッコよく年をとりなさい グレイヘア・マダムが教える30のセオリー』(ハルメク)、『あの人が着ると、 パーカーがなぜ おしゃれに見えるのか』(主婦と生活社)など多数。

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