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【2026年本屋大賞ノミネート作レビュー】人身事故を起こして獄中出産。親権を失った母が息子との邂逅を願う17年を描いた長編小説。佐藤正午『熟柿』

  • 2026.3.4
熟柿 佐藤正午 / KADOKAWA
熟柿 佐藤正午 / KADOKAWA

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望まぬ形で我が子と引き離された母親は、身を切るような痛みを味わう。会いたいときに会えない。涙を拭いてあげることも、ハグをすることもできない。そんな自分を不甲斐なく思い、日に何度も惜別の念に駆られる。ほんの少し前まで、それは私の日常であった。

佐藤正午が綴る長編小説『熟柿』(KADOKAWA)に登場する市木かおりは、産後間もなく息子との別れを余儀なくされる。本書冒頭、かおりの姓は「田中」だった。「てっちゃん」と呼ぶほど仲睦まじい夫との暮らしは、ある事故を境に一変してしまう。親戚の晴子伯母さんの葬儀に参列した帰り、かおりは人身事故を起こす。事故自体は、不運としか言いようのないものだったが、かおりは事故現場から逃走し、被害者は死亡。深酒をして助手席で眠っていた夫は、警察官だった。裁判では不問にされたが、署内で共犯を疑われ、かおりの夫は警察官を辞職することに。事故を起こしたとき、かおりはすでに妊娠していた。

刑務所内で我が子を産み、授乳をしたのち、あっさりと引き離され、2年半の刑期を終えて出所したかおりに、夫は離婚を突きつけた。

引用----

“「母親が犯罪者の子供と、母親に死なれた子供と、どっちがより不幸か、考えてみろ。これから子供が成長して、社会に出て生きていくうえで、どっちが彼の障害になると思うか、よく考えてみろ」”

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夫の言葉は、冷徹だと思う。だが、悲しいことに「的を射ている」とも思う。社会は、前科のある者に対して寛容ではない。法律の上では償いが終わっている。その“ことわり”を受け入れない人は存外多く、前科の有無で偏見に晒されるケースはさして珍しくない。かおりがひき逃げに至るまでには、葬儀の席から続く流れもあり、同情の余地は多分にある。だが、その流れや彼女の心情は、裁判で立証できる類のものではない。よって、かおりには罪状と事実だけが残る。「交通事故を起こした」人は大勢いるが、「ひき逃げにより被害者を死なせた」場合、そこには「殺人」の匂いが否応なしに絡みつく。前者と後者の間には、明らかな隔たりがある。

出所後、友人の鶴子から「息子に会うべきだ」と焚き付けられたかおりは、幾度か再会を試みるが、いずれも徒労に終わる。「拓」と名付けられた息子の顔をひと目見たい。せめて写真だけでも。そう願うかおりの望みは、ついぞ叶わなかった。近くにいれば、どうしても会いたくなる。己の衝動を抑えられないと悟ったかおりは、知人の伝手を頼り、山梨県の旅館で住み込みの仕事をはじめる。

コロナ禍の影響で旅館の仕事を失い、そこから岐阜、大阪、福岡と、さまざまな土地へ移り住むかおりの暮らしは、平坦とは言い難く、かといって「悲惨」と表現するのも相応しくない。中には、やりきれぬ屈辱を強いられるエピソードもあった。だが、息子を思い、彼の将来のために生命保険金を地道に支払い続ける姿は、母親としての愛情が当然の如く鎮座しており、私はそこに希望を見た。

会えない息子を思い続け、自身の余力を削ってまで将来に備えようとする。その力が枯渇しない人間を「母親」と呼べないのなら、母親の定義そのものが間違っている。会えるか、会えないか。暮らしを共にできるか、できないか。そんな基準で語られるほど、親の愛情は単純じゃない。暮らしを共にしていても、「親」とは呼べない身内もいる。

少しだけ、私自身の話をする。数年前に離婚を経験し、紆余曲折あって親権は元夫の手に渡った。かおりとは違い、定期的な面会は許された。だが、月に一度程度の面会では、どうにも足りなかった。離婚までの間、365日私が隣で寝かしつけ、ご飯を食べさせ、必死に育ててきた。彼らの体温が隣にいない。その日々は、私の心を容赦なく蝕んだ。幸いにも、今は息子たちと暮らしを共にできている。だが、失われた日々は戻らない。

引用----

“『熟した柿の実が自然に落ちるのを待つように、気長に時機が来るのを待つこと』”

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本書のタイトル『熟柿』の語義である。「待つ」ことは苦しい。孤独で、不安で、何度も心が折れそうになる。しかし、その先に少なからず希望があると信じ、地道に生活を重ねていくことの意味を本書は静かに問いかける。

過ちを犯すこと、後悔に苛まれること、それでも生きていくこと。そのすべてを、私たちは「生活」と呼ぶ。これらを投げ出さないかおりの背中をなぞるように、私は今日も生活を送る。地味で、なんの変哲もない日常。日々騒がしい大切な果実たちは、やがてくる旅立ちに備え、必要な栄養を蓄えている。私は、果たして「待てた」のだろうか。それとも、まだ青い果実を無理やりもぎ取ったのだろうか。その問いの答えは、未来の息子たちだけが知っている。

文=碧月はる

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