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祖父の声は覚えていないけど。ひな壇を見て、思い出すのは──言葉にしない愛が、私の娘へと受け継がれるまで

  • 2026.3.2

幼い頃、家族のために作られたひな壇。祖父と突然の別れを経た今も、ひな祭りが近づくたびに、その姿を思い出します。現在は娘と一緒に飾りながら、家族の記憶を受け継いでいます。筆者のエピソードです。

画像: 祖父の声は覚えていないけど。ひな壇を見て、思い出すのは──言葉にしない愛が、私の娘へと受け継がれるまで

心に残る笑顔

私の祖父は無口で寡黙な人でした。正直なところ、声はあまり覚えていません。けれど、ふとした瞬間に見せる優しい笑顔だけは、今でも鮮明に思い出せます。

趣味は日曜大工でした。
小さなのこぎりで板を切る後ろ姿を、私は飽きもせず眺めていました。何ができあがるのか分からないのに、不思議とワクワクしたものです。

小柄な祖母のために、棚の上の食器をとる踏み台を作ったり、私たち孫のために小さなイスを作ったり。とても器用な人でした。

五段に込められた手仕事

一番の大作が、ひな壇です。

母が幼いころから大切にしていたという、古いひな人形。その台を、孫のために新しく作り直してくれました。五段の立派なひな壇でした。

特別な言葉があったわけではありません。ただ黙々と作り、完成したひな壇を前に、少し照れたように笑っていた姿が残っています。

当時の私と姉は、思わず顔を見合わせて「わぁ! すごーい!」と声を上げ、何度もひな壇の周りを行ったり来たりしていました。

写真に残った笑顔

その頃の写真が、今も一枚残っています。ひな壇の前に家族が並び、みんな笑みを浮かべています。端には、そっと見守るような祖父の優しい笑顔。

あの頃は、その時間が特別なものだとは、まだ気づいていませんでした。

その翌年、祖父は亡くなりました。あまりにも早く、突然の別れ。
ひな壇を見るたびに、もうあの背中は見られないのだと、あとからじわじわ実感しました。

別れと思い出

子どもながらに大好きだった人を失ったことが受け止めきれず、理由も分からないまま、よく泣いていた記憶があります。

けれど、毎年ひな祭りが近づき、あのひな壇を出すたびに、自然と祖父のことを思い出します。
もう会えませんが、汗を流し家族を思って作ったものは、今も変わらず我が家にあります。

今は私が、娘と共にそのひな壇を飾っています。おひな様と一緒に、過去の記憶も、毎年きちんと飾られている気がするのです。

【体験者:40代・筆者、回答時期:2026年2月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:大空琉菜
受付職を経て、出産を機に「子どもをそばで見守りながら働ける仕事」を模索しライターに転身。 暮らしや思考の整理に関するKindle書籍を4冊出版し、Amazon新着ランキング累計21部門で1位に輝く実績を持つ。 取材や自身の経験をもとに、読者に「自分にもできそう」と前向きになれる記事を執筆。 得意分野は、片づけ、ライフスタイル、子育て、メンタルケアなど。Xでも情報発信中。

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