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義父の葬儀で「財産は私たちのもの!他人は帰れ!」と私を追い出した義姉。葬儀後、真実を知った義姉が慌てて電話してきたワケ

  • 2026.2.28

義父の介護を10年以上、中心になって担い続けた私。介護はたしかに大変でしたが、私たち夫婦に良くしてくれた義父へ恩返しができたと思っていました。そんな私がまさか、義父の葬儀当日、突然現れた義姉にお茶をかけられて追い出されることになるなんて……。

義父が亡くなったのは、夕暮れどきのことでした。長い闘病の末、病院のベッドで静かに息を引き取ったのです。

そこに私はいました。夫もいました。けれど、夫の兄、長男である義兄夫妻の姿はどこにもなかったのです……。

10年にわたる義父の介護

容態が悪化したときから覚悟はしていましたが、やはり義父の死受け入れがたいものでした。私は悲しみを堪えながらスマホを取り出し、義姉にメッセージを打ちました。するとすぐに、返信が返ってきたのです。

「今まで介護とか大変だったけど、最期はあっけないものねぇ」「まぁ、同居してない私は何もできなかったけどw」

文末の「w」に、一瞬怒りが湧き上がりました。しかし、すぐにその感情は諦めに変わりました。

私は機械的に葬儀や今後のことについて、義姉にメッセージを送りました。義父は何年も前から「終活」を進めており、私と夫はその内容を知らされていたのです。

それを伝えた瞬間、義姉はものすごい勢いで立て続けに返信を送ってきました。

「私たちを差し置いて、なんであんたたちが仕切ってるの!?」「喪主は長男であるうちの夫! あんたたちは次男なんだから、裏方に回りなさい」

義父の意向を聞こうともせず、「長男だから」という理由で喪主をするというのです。義父の介護はおろか、お見舞いにすらほとんど来なかったのに……やるせない気持ちでいっぱいになりました。

本格的に義父に介護が必要になったのは、約10年前。私たち夫婦は介護のために義実家の近くに引っ越し、私は時間や働き方に融通の利く職種へ転職しました。

その当時も義兄夫婦に相談したのですが、返ってくるのは「そっちでテキトーにやっておいて」という言葉だけ。もともと義兄夫婦はほとんど帰省することもなく、盆も正月も姿を見せることはありませんでした。義父に穏やかに過ごしてほしかったので、わざわざ波風を立てる必要もない。義兄夫婦にいろいろ言いたいことはありましたが、私たちはぐっと飲み込んできたのです。

義父の葬儀に現れた義兄夫婦

そして、葬儀当日――。

親戚の方々にあいさつをして回っていたそのとき、背中から肩にかけて熱いものがどっとかかりました。あわてて振り返ると、そこには義姉が立っていたのです。

「ちょこまか動き回ってるから……! 大丈夫?」

言葉では心配しているものの、勝ち誇ったような顔を隠そうともしない義姉。会場スタッフがすぐにタオルを用意してくれましたが、私の喪服はお茶でびしょ濡れです。

「そんなんじゃ葬儀に出られないわねぇ。着替えてきたら?」「葬儀は私たちがやってあげるから、多少遅れても大丈夫よ!」と周りに聞こえるように大声で言った義姉。

そして会場スタッフに連れられて別室へ行く途中、義姉は心配する素振りをしながら私に駆け寄り、私だけに聞こえるようにこんなことを言ってきました。

「あいさつ回りして点数稼ぎしても、お父さんの財産は私たち長男夫婦のものなんだから」

「出しゃばらずに、とっとと帰りなさい!」

「……いいんですね?」

「え?」

私の返事に一瞬驚いた様子でしたが、すぐに義姉の顔には意地悪な笑みが浮かんでいました。私も力なく笑い、結局別室には行かず、会場の責任者に「以後の進行は打ち合わせ通りにお願いします」と告げて、そのまま会場を後にしたのです。

義父の最期のメッセージ

びしょ濡れのまま会場の駐車場でタクシーを待っていると、突然スマートフォンが震えました。

「ねぇ! どういうことよ! なんであんたが喪主なのよ!」

耳をつんざくような義姉の声。

そうなのです。義父が生前に指名した喪主は――私でした。

葬儀前に葬儀社から説明があったにもかかわらず、義姉は自分たちが喪主だと信じて疑わなかったようです。

「進行は葬儀社さんにお任せしています。自分たちで仕切るとおっしゃってたんですから、責任持って義父を送り出してあげてください」

自分でも驚くほど冷たい声でした。そのまま私は電話を切りました。その後も義姉、義兄からの着信は続きましたが、私はただただ空を見上げていました。

会場にいた夫から聞いた話ですが、葬儀は散々なことになってしまったそうです。葬儀の段取りを知っている夫が口を挟もうとしても、義兄夫婦は「次男は黙ってろ」と一蹴。進行自体は葬儀社に任せてあったので特に問題はなかったようですが、親戚たちも突然の喪主変更や私の不在に眉をひそめていたそうです。

葬儀が終わってしばらくして――。

義兄夫婦と私たち夫婦の前で、義父の遺言書が開示されました。

内容を聞いて、私たち夫婦はまず義兄夫婦への生前援助の総額に驚きました。子どもの学費と習いごとに約400万、車2台の購入費として約300万、その他生活援助として約500万――義兄夫婦はすでに1,200万円も義父から受け取っていたのです。

その総額を聞いても、義兄夫婦は「当たり前でしょ?」という表情を崩しませんでした。

続いて明かされたのは遺言の内容でした。

「義実家の土地と建物、そして預金の8割は次男へ、次男の妻には別途遺贈する」

私たちが受け取る遺産は、総額4,000万にも及びました。

「なんでよ! なんで私たちがもらえないのよ!」と義姉は激昂。その隣で、義兄も目に怒りを宿していました。

「あんたがお義父さんに、自分たちに都合が良いように書かせたんでしょ!」と震える声で私に詰め寄る義姉。私は動じず、「……その遺言は、正式な手続きを経て作られたものです。お義父さんがご自分の意志で、何年もかけて準備されていました」と静かに答えました。

義姉はもう何も言い返せないようでしたが、「……絶対に、私たちも遺産をもらうんだから」と言い残して、部屋を出て行きました。義兄もこちらに一瞥をくれて、義姉の後に続きました。私たち夫婦は思わず顔を見合わせて、詰めていた息を吐き出しました。

数日後――。

「あの……この間は言い過ぎちゃってごめんね?」と唐突に電話してきた義姉。あの義姉が謝るなんて……と、私はにわかには信じられませんでした。

「……何の御用ですか?」と聞くと、「そんな冷たくしなくたっていいじゃない、家族なんだから……。今まで誤解もあったかもしれないし、お義父さんだって私たちがギスギスしてたら悲しむじゃない? これからは助け合っていきましょうよ!」と義姉。

その猫なで声から、義姉たちが遺産目当てで擦り寄ってきたのは明白でした。

「助け合い……そうですね、私たちもちょうどそういう話をしようと思っていたところなので」

「そうなのね! うちは子どもたちにまだまだお金もかかるし、正直お義父さんの生前贈与だけじゃ足りなくて……」と明るい声で話し始めた義姉を制し、私は“助け合い”の本題に入りました。

「お義姉さんが私にお茶をかけたときに汚れてしまった会場の清掃費や備品の弁償代、それから私の喪服のクリーニング代。10万円以上になるんですが、助け合いの精神で支払ってくれますよね? もとはと言えば、お姉さんが元凶ですし」

続けて請求書を送ると言うと、義姉は「なんでよ! そっちはたっぷり遺産もらったんだから、自分で払えるでしょうが!」と怒りの声を上げました。

「さっきまで、家族なら助け合うべきって言ってたのに……」と言うと、義姉は途端に黙り込みました。バツが悪くなったのでしょう。

「わかりました、とりあえずこの件は置いておきます。ただもう、家族としての関係には区切りをつけさせてください。私たちはあなたたちと助け合いたいなんて思っていないので」

その後――。

義兄は遺留分だけでももらおうと弁護士に相談したようですが……生前贈与で十分にもらっていることもあり、その主張は難しいと言われたそうです。

夫からあらためて義兄に絶縁の意志を伝えてもらうと、義兄夫婦はひどく騒ぎ立てました。私たちの悪口を吹聴し、親戚たちを味方につけようとしたようですが、ほとんどの人は静観。中には、私たち夫婦を心配してわざわざ連絡をくれる人もいました。

今、私たち夫婦は義父が遺してくれた家で穏やかな毎日を送っています。

あの介護の日々はたしかに大変でしたが、義父はすべてをわかっていた――ちゃんと私たちを見ていてくれた。寡黙な義父が何年もかけて準備していた最後のメッセージで、義父の思いを深く感じました。

誰かに認められたくて介護をしたわけでも、遺産がほしくて動いたわけでもありません。ただ、私たちは義父に恩返しがしたかっただけ。義父の思い出が残るこの家で、私たち夫婦はこれからも生活を続けていきます。

【取材時期:2026年1月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。


著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

ベビーカレンダー編集部

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