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「俺」はもともと二人称――何があると言葉の意味は変化するのか

  • 2026.2.28
Credit:canva

「若者の言葉の乱れ」や「誤用」は、いつの時代も批判の的になります。

しかし言語を長い時間軸で眺めると、言葉は社会の人間関係や会話の目的に合わせて、形も意味も少しずつ組み替わってきました。

僕たちが「正しい」と感じる日本語も、過去の変化が定着して“当たり前”になった姿にすぎません。

ここでは、見慣れた言葉がどのような変遷を辿って現在の使われ方になったのか、という歴史的なパターンから、日本語がアップデートされていく様子を見ていきましょう。

目次

  • 一人称「俺」はもともと二人称だった
  • 失礼な言葉になってしまった「ご苦労様」
  • 「全然OK」は現代特有の「思いやり」の進化

一人称「俺」はもともと二人称だった

現代では男性のインフォーマルな一人称である「俺(おれ)」ですが、歴史的には相手を指す二人称として使われていた時代もあり、言葉としての格式も変動しています。

「己(一人称)」から「俺(二人称)」への変化

「俺」の語源は、自分自身を指す「己(おのれ)」だと言われています。

鎌倉時代の頃から使われているとされますが、誕生した当初、「俺」は目の前にいる相手(二人称)を指す言葉だったようです。

なぜ自分を指す言葉が相手に向かったのでしょうか。

日本語には、相手を「自分と同じような存在」と見立てて呼ぶことで、自他の境界を曖昧にする文化があります。

これは現代の関西弁や体育会系の会話で、相手に「自分はどう思うん?」といった話し方をするのと似た現象と考えられます。

日本語の敬語システムにおいて、相手を敬うということは、相手との間に「心理的な距離(壁)を置くこと」を意味します。

逆に言えば、「己」や「俺」といった本来「自分自身」を指す言葉で相手を呼ぶ行為は、相手を自分と同化させ距離を縮めるアプローチだったと考えられるのです。

そのためこの呼び方が許されるのは、「親密な相手」、あるいは「自分が気を遣って距離を置く必要がない相手(目下・同等)」だったのでしょう。

エリート層の日常語だった

室町時代から戦国時代にかけて、この「俺」は再び一人称へと回帰します。

かつて二人称として「遠慮のいらない相手」を指していた言葉をあえて自分自身に使うことで、「(あなたと同程度の)私ですが」という気取らない謙譲や親愛を示す人称として使用されるようになるのです。

ここで重要なのは、当時の「俺」が決して粗野なイメージのある言葉ではなかったという点です。

現代ではフォーマルな場で自分を「俺」と呼ぶことは避けられますが、歴史的文献を分析すると、戦国武将から、僧侶などの知識層、一般的な武士も公的な場でごく自然に使用していたことがわかっています。

さらに、江戸時代初期までは女性も日常的に使用しており、現代の「私」という表現とニュアンスが近く、当時の社会において広く認知された「標準的で格式ある一人称」として機能していたことが伺えます。

町民に広まり粗野なイメージに

では、なぜ現代のような粗野なイメージになったのでしょうか。

これには江戸時代中期以降、「俺」が町人(庶民)の間で広く流行したことが原因と考えられています。

これにより特権階級(エリート層)は「庶民と同じ言葉は使いたくない」という心理から、「俺」という人称は避けるようになり、「私」や「僕」を使うようになっていきました。

結果として「俺」はインフォーマルな俗語へと格落ちしたのです。

ちなみに「僕」は「しもべ」とも読むように、もともと古代中国では召使いの人称だったようですが、それが日本に伝わり、身分の高い人がへりくだって自分を呼ぶ表現に変わったとされます。

これは幕末から明治にかけて、知識層が仲間内で自分を呼ぶ際に「自分は国家のしもべ」(これは身分の差はなく、みな平等だというニュアンス)という意味で好んで使うようになり、威圧感がなく、堅苦しくない一人称として定着しました。

敬意漸減の法則:「貴様」の暴落

この「エリートの言葉が庶民に広まり、やがて粗野な言葉に転落する」現象は、言語学において「敬意漸減(けいいぜんげん)」と呼ばれています(滝浦真人氏の理論)。

これは本来丁寧な言葉だったものが、社会で多用されることで敬意の印象がすり減っていくという現象です。

これは、テレビ番組に出てくる人気解説者に例えるとわかりやすいかも知れません。

ある専門家が分かりやすい解説で評価され、一部の番組で重宝されていたうちは「権威ある有識者」として扱われます。しかし需要が高まってあらゆる番組に出演するようになり、どこでもその人の解説を見るようになると、視聴者の間で特別感やありがたみが薄れ、「またこいつの解説かよ」とうんざりされてしまうことさえあります。

言葉の世界でもこれと同じことが起きるのです。

新しく丁寧な言葉が登場すると、誰もがそれを使いたがります。

そして誰もが日常で使うようになると、その言葉の「特別感(高級感)」が薄れ、当たり前の言葉になります。

さらに丁寧な新しい言葉が現れると、古い言葉は「ぞんざいな表現」として格下げされます。

例えば「貴様(きさま)」は、元々は文字通り「貴い(尊い)お方」に上位の敬称「様」をつけた丁寧な表現でした。

しかし、誰もが使ううちに敬意が薄れ、武士の日常語になり、最終的にはかなり乱暴に相手を指す言葉に転落しました。

神仏の御前(ごぜん・おんまえ)を指した「お前」も、庶民がこぞって真似て多用した結果、敬意ある表現という印象が失われ、現代では対等以下の相手に用いる粗野な言葉になってしまいました。

失礼な言葉になってしまった「ご苦労様」

言葉の意味ではなく、社会的な使用実態が「マナー」という後付けのルールによって変化する事例も存在します。

その一例が、「ご苦労様」の使われ方の変遷です。

かつては「目下から目上へ」も使われていた

「目上の人に『ご苦労さまです』と言うのは失礼」という説明は、ビジネスマナーとしてよく耳にします。

しかし、明治時代から昭和初期にかけては、相手の苦労をねぎらう丁寧な言葉として階級を問わず広く使われていました。

実際、「ご苦労さま」の使われ方を調べた研究では、1950年代の小説作品などでも、部下が上司に対して自然に「ご苦労さまです」と使っている場面が登場しており、当時の社会では目下から目上に使っても失礼にならない一般的な表現だったと報告されています。

では、どこからこの言葉のマナーが生まれたのでしょうか。

この疑問を研究した報告は、大正・昭和初期の大衆向け時代小説が、不十分な時代考証で、主君が家来に『ご苦労であった』とねぎらっているものが見られる点を指摘しています。

実際はこうした場合、『大儀であった』という表現が多く、「ご苦労」は特に主君から家来というルールはなかったようですが、これが後の時代に、『ご苦労』は江戸時代、主君が家来をねぎらうときに使っていたという誤解を生む原因の一つになったのではないかと述べられています。

こうした誤解から大きな変化が生じたきっかけが、1980年代以降に企業が行った、ビジネスマナーのマニュアル化や社員研修の影響だと考えられます。

この動きの中で、「ご苦労さまは目下へ、お疲れさまは目上へ」というルールが記述され始め、当時の文部省が認定する「秘書検定」でもこの使い分けが正解として扱われました。

これにより「ご苦労さま」を目上の人に使うのは失礼、という社会的なルールが定着していったと見られるのです。

文化庁の「令和6年度 国語に関する世論調査」によれば、会社で自分より職階が上の人に対して掛ける言葉は「お疲れ様(でした)」が77.1%を占め、「御苦労様(でした)」は3.5%でした。

さらに職階が下の人に対しても「お疲れ様(でした)」が71.2%、「御苦労様(でした)」が14.9%となっています。

これは、80年代以降のビジネスマナーが現代社会に広く浸透していることを示しています。

一方で、こうした企業研修の普及以前の感覚を持つ年代や、ビジネスとは異なる環境で生きてきた人々の中には、現在でも純粋なねぎらいとして「ご苦労様」を使用する層が存在します。

2015年、投票所の70代監視員から「ご苦労さん」と声をかけられた40代の会社員が激高し、トラブルになるという事件が起きています。

これは40代の会社員が初対面の人間にご苦労さまは失礼だと認識したのに対し、70代監視員は、昔ながらの純粋な敬意やねぎらいの意を込めて声をかけた可能性が高く、言葉に対する認識の世代間ギャップが引き起こした摩擦の典型例と見られています。

「全然OK」は現代特有の「思いやり」の進化

「全然」という副詞は「全然〜ない」と否定を伴うのが正しいルールだとされてきました。

しかし現代では「全然OK」「全然いいよ」といった肯定用法が広く使われています。

これに対して「日本語の乱れだ」と苦言を呈する人もいますが、歴史と心理の両面から見ると、非常に面白い言葉の進化が見えてきます。

過去のルールへの「先祖返り」

もともと「全然」という言葉は、英語の “completely” のように「すっかり」「全面的に」という意味で、明治から昭和初期にかけては肯定と否定のどちらにも使われていました。

しかし昭和以降、学校教育などを通じて「下に打ち消しの言葉を伴う」という文法ルールで固定化されていきます。

これは昭和期から、学校の国語教育が体系化される中で、例外的な用法がない方が教えやすいという都合も要因の一つだったようです。

そう考えると、現代の「全然OK」という使い方は、かつての否定にも肯定にも使われていた用法へ先祖返りしているようにも見えます。

「強調」を求める言葉への変化

現在の全然は、昭和以降の打ち消しの意味から、言葉の意味を強調する表現へと変化しています。

このような本来否定的な意味を持っていた言葉が、その意味を逆転させて「強い肯定」の表現に変化する現象は、日本語においてしばしば起こります。

「すごい」: 本来は「恐ろしい、ゾッとする」という意味でしたが、現代では「すごい綺麗」のように肯定の強調に使われます。

「めちゃくちゃ」: 本来は「理屈が合わず、めちゃめちゃであること(否定的な状態)」ですが、今は「めちゃくちゃ美味しい」と強い肯定に使われます。

「全然」が肯定で使われるようになったのも、こうした言葉の強調変化の延長線上にあると言えます。

こうした「本来のネガティブな意味を壊してポジティブに使う」という言葉の変化は、強調表現として好まれるようで、言語の変化のパターンとしてはよく見られるものです。

単なる強調を超えた、現代の「配慮表現」

しかし言語学の研究によれば、現代の「全然いいよ」は単なる昔の用法の復活や、インパクトを狙った強調表現に留まらないようです。

「全然」の変化は、相手を気遣うための高度な表現の進化だと考えられるのです。

例えば、学校で「教科書貸してもらってもいい?」と人に頼み事をする場面を想像してみてください。

人に頼み事をする時、僕たちは「相手の領域に踏み込んで迷惑をかけてしまう」という心理的な負担(気兼ね)を感じます。

このとき、頼まれた側が単に「いいよ」と答えるのではなく「全然いいよ」と言うのには明確な理由があります。

文法的な「〜ない」という否定語は使っていませんが、その状況の裏にある「あなたに迷惑をかけてしまった」という相手のネガティブな気兼ねを、言葉の力で強く打ち消そうとしているのです。

現代の肯定文で使われる「全然」は、「私の負担は小さいから、あなたは気にしなくていいですよ」という、相手への思いやり(配慮)に特化した言葉として定着しています。

正しいとされる文法ルールを破ってでも、相手の心を軽くしようとする。

これこそが「全然OK」が現代社会で広く普及した大きな理由であり、言葉が人間関係に合わせて優しく進化した姿と言えるかもしれません。

誤用が「正解」に変わった例

言葉のルールやマナーが変わるだけでなく、明らかな「誤用」や「間違い」が、大きな支持を得て辞書に載る「正解」へと昇格することも珍しくありません。

言葉には、「少しでも楽に発音したい」という最小努力の原理が働きます。

そのため、言い間違いが定着して標準的な読み方に取って代わったという例もよく見られます。

「新しい(あたらしい)」:「新た(あらた)」という言葉あるように、 本来は「あらたしい(新た)」が正しい読みでしたが、発音の過程で「た」と「ら」が入れ替わる「音位転換」が起き、江戸時代頃には「あたらしい」が主流の読み方になりました。

「だらしない」: 本来は「しだら(自堕落)がない」が変化した言葉ですが、これも音が入れ替わって今の形になりました。

また、言葉には「みんなが使えばそれが正しい」という勢力の原理も働きます。漢字の読み間違いが広まりすぎて「慣用読み」として公認されたケースというものも数多く存在しています。

「消耗(しょうもう)」: 本来は「しょうこう」ですが、「耗」を「毛(もう)」と読み間違える人が続出し、現在では「しょうもう」が正解とされています。

「情緒(じょうちょ)」: これも本来は「じょうしょ」ですが、読み間違いが定着したものです。

「いまいち」: 本来は「今一つ(いまひとつ)」ですが、「ひとつ」を「いち」と読む方が広まって一般化しました。ただ、こちらは読み間違いというより「ひとつ」と言うよりも「いち」と発音した方が短くて楽なため、読み替えが広まったと言われます。

若者言葉、スラング、誤用は「乱れ」ではなく時代への「適応」

私たちが今「正しい美しい日本語」だと思っている言葉の多くも、おじいさん、おばあさんの世代では「最近の若者は言葉をめちゃくちゃに壊している」と嘆かれる対象だったはずです。

言い間違いや勘違いから生まれた「誤用」も、時代ごとの人間関係のニーズや、発音のしやすさ、コミュニケーション上の解釈といったフィルターを通過し、生き残ったものは「新たな正解(進化)」となり、辞書に載る正式な言葉になります。

歴史のスケールで言葉を観察すれば、「言葉の乱れ」という嘆きは幻影であり、実際には社会の要請に合わせて絶えず「適応」を繰り返している、極めて合理的でたくましい生命体としての言葉の姿が浮かび上がってくるのです。

参考文献

人称詞オレの歴史的変化
https://oit.repo.nii.ac.jp/records/219
敬意漸減 ―すり減って止まない敬意が引き起こすこと―
https://cir.nii.ac.jp/crid/1010017193243540101
ねぎらい言葉と上下関係
https://mu.repo.nii.ac.jp/records/2021
肯定文中に現れる副詞「全然」について
https://nara-wu.repo.nii.ac.jp/records/2002003
国語に関する世論調査
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/

ライター

相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。

編集者

ナゾロジー 編集部

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