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又吉直樹の新作小説『生きとるわ』を語る会/第2回「借金・嘘つき・だらしない、それでも魅力的だった兄が横井に重なった」(作家・小原晩)

  • 2026.2.28

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又吉直樹が6年ぶりとなる小説『生きとるわ』を上梓した。発売を記念して、又吉と親交のある表現者たちが声を寄せる本企画。第2回は、「又吉直樹の『東京百景』が文芸の世界に足を踏み入れるきっかけ」と公言する小原晩さんがエッセイを寄稿してくれた。小原晩さんと言えば、エッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版にもかかわらず1万部以上売り上げたという伝説を持つ人物。そしてその作品は、誰に頼まれるでもなく又吉が自身のYouTubeチャンネルで取り上げたほど素晴らしいものでもある。気鋭の作家の目に『生きとるわ』はどのように映ったのか。

もう帰りたい、と思った。

熱でも出れば話は簡単だけど、体は平熱のままだった。でもどうしよう。ほんとうに帰りたい。めんどうくさい。やっていられない。

現代文の授業が終わり、チャイムが鳴る。ざわつく教室の中で、私は席を立ち、教壇へ向かった。

「先生、すみません。なんか、あの……すっごく、その……つらくて……」

先生のつぶらな目を、まっすぐ見て言った。そうしているうちに、体がじーんと痺れてきて、目から涙がぽとっと落ちた。

おどろいた。つらいことなど、ひとつもなかった。なんか眠いし、いらいらするし、猛烈にだるい。だから授業をさぼりたかった。怠惰以外のなんでもないはずだった。それなのに、こんなにも自然に涙が出た。

もしかすると、私はほんとうにつらかったのかもしれない。だって涙が出たんだから。そう思いはじめると、考えはたちまち都合のいいほうへ傾いていった。思春期だし、女の子だし、小学生のときお父さんに蹴られたことあるし。いい加減な理由を頭の中で並べては、自分はほんとうにつらかったのだ、と本気で信じるようになった。

でも、どうだろう。あのとき、私は私の嘘にのまれたのではないか。

べつになかったはずの思いも、自分の口から出して見ると、しかも、それを真正面から受けとめるような、もっともらしい顔つきでこちらを見つめている人がいると、すべてはほんとうじみてくるのだった。

横井もそうなんじゃないのか。あの親友にも友達にも恋人にも前歯の一本欠けた老人にも容赦なく金を借りて決して返さない横井だってそうなんじゃないのか。はじめは、そうだったんじゃないのか。やってみたら思ってるより、それが得意で、自分にむいていることは確かにそれで、そちらのほうへ流れていくしか生きる方法がなかったのではないのか。学生時代の、まだ不器用さの残る、流れるような滑らかさのない、まだ幼い感じの嘘に嘘を重ねる場面を読んでいるとき、そう思った。

だから私は、『生きとるわ』のなかで自分を重ねるなら横井。

そう書こうとして、気づいたのは、私は横井に自分を重ねていたのではなく、横井の表情や口ぶり、重ねられる嘘に、兄を見ているということだった。

私の兄も、魅力的なひとだった。たくさん嘘をつくけれど、たくさんの人に金を借りるけれど、女に、すべてに、だらしがないけれど、魅力的なひとだった。

語り手である岡田は、横井に金を貸したことによって、安定していた生活からごろごろと転落していく。横井に対して、岡田はずっと許せなさを抱えているけれど、その許せなさがこんなにもはっきりと大切さにつながっているような感じとか、この期に及んで横井を「友達」と呼んでしまうことの意味が、私にはよくわかる。

そんなのわからないよ、バカだね、あんたら、騙されて、と思うひとは『生きとるわ』を読んでもらえれば、わかると思う。あいつらは、完全なあほで、なんかすがすがしい。とてもじゃないけど、ずるすぎる。ほんとうにふざけてる。

実家を出てから音信不通だった兄は、父の死に際になって、ようやく家に帰ってきた。父が病院で死んだあと、控室のような部屋で、兄と二人きりで過ごした。「俺ら二人で金貯めて、親父の墓たててやろうな」そう言った兄に、私はひどく感動した。今までのことは、すべて水に流そうと思った。

四十九日もたたないうちに、兄はまた音信不通となった。さらには、兄の借金の取り立て用紙が、実家にバンバン送られてくるようになった。意味がわからない。くそ兄貴のくそが。そう思いながらも、心のどこかで、あの日の言葉には嘘がないような気がしてしまう。俺だってできることなら、そうしたかった。できるなら。でもできないので、さようなら。というような感じを受けるのだ。悪魔も、鬼も、お兄ちゃんも、純粋であることには変わりない。あの純粋さが、ほんとうにうっとうしい。

人と人との結びつきというものは、損得のような単純なものさしでは量れない。そのことを『生きとるわ』は、理屈でも、実感でも、突きつける。正しいとか、正しくないとか、そんなものは最初から役に立たない。人はそれらを踏み越えて、結びつき、裏切り、そしていざ離れようとしても離れられずにいる。

暴力にすがるひとがいる。金で、女で、神様で、あるいは創作で、どうにかしようとするひとがいる。生きることも、死ぬことも、惹かれることも、奪うことも、奪われることも、ここでは贔屓なしに並べられている。人間というものを、社会的な目ではなく、徹底的に個人的な目で、しつこいくらい見つめつづけ、その先の、先の、先まで書ききられたとき、私は光をみた。それは汚れきった川の水面に揺れている、にぶい光のようなものである。川は濁っている。においもする。それは疑いようがない。しかし、その不潔さより先に、光っているということが、どうしようもなく私の目を奪うのだ。

ここから先は、内容に触れて書いています。

被害の大きさを考えれば不思議なのだけれど、岡田の軽蔑は、横井ではなく、なんか面白くない蛸のような口をした小柄な先輩や、いつでも偉そうな校長みたいな教頭に向けられているようにみえる。彼らが口にするのは、いずれもどこかで聞いたことのある、薄らさむい言葉ばかりだ。

もちろん、実際に嫌なことをされる、ということもあるけれど、それ以上に岡田にとって耐えがたいのは、自分で考えることを放棄している、彼らの姿勢そのものではないか。想像力も優しさも欠いている、それっぽい言葉と力だけで人を従わせようとする。そのあり方が、世界を悪いほうへと押し流していく。そういう態度が、人を追いつめる。それを岡田は知っている。だから、軽蔑する。

岡田がそういうまなざしを向けていないと感じる人物がいる。妻の有希と、前歯の一本欠けている老人の定ちゃんである。

岡田の目であれば、どんなにすばらしい人間のなかにも、矛盾や怠慢、言い訳くらい、たやすく見つけてしまうはずである。にもかかわらず、そうした視線は丁寧に削ぎ落とされているように思う。おそらく無意識的に見えていないわけではなく、意識的に削ぎ落としているのではないだろうか。見えてしまう自分の繊細さを呪うように、せめて、言葉にはしないように。それは岡田の、優しさではないのか。

空気の重い夫婦生活のなかにあっても、岡田の胸にただよっているのは、有希への不満ではなく、彼女に背を向けてしまいそうになる自分自身への、どうしようもない嫌悪ばかりである。本気になれば有希を責め立てる理由などいくらでも思いつくはずなのに。岡田はそれをしない。持っている力を使わない。それはやはり、岡田の、優しさではないのか。

自分の優しさに、どうしてこんなにも鈍感でいようとするのか。もしくは、鋭すぎるのだろうか。自分のような人間が優しくするということは、その裏には必ず動機が、計算が、卑しさがこびりついているはずだ。そうした考えを岡田は止められない、というよりは、止めない。他人の優しさには、あんなにも敏感なのに。敏感だから。

横井の元恋人であり、のちに岡田と不倫関係になる香織に対してもそうだ。どれほど失礼なことをされようが、どれほど軽々しく裏切られようが、表面上は優しい態度をとりつづける。弱いものには優しく接する、という決まりが岡田にはあるのだろうか。それだって、優しさではないのか。岡田は優しいよ。優しすぎて変なことなってる。

こういった岡田の精神性。

それはある種の、美意識であると思う。

岡田は自分のそうした美意識を、ときどき許せなくなるのではないか。それにこそ裏切られてきただろうから。

彼の美意識は、彼を支えてきたと同時に、彼をひどく孤独にしただろう。そんなことをそんな高さでやっているひとは他にいないから。

不倫や賭け事、酒へと向かっていくのは、自分の美意識を破壊するため、破壊したという証拠をつくるためではないのか。

岡田が全裸でゾンビのマスクをかぶり、香織に股間を爪先で弄ばれたあと、涙をだらだらと流す場面がある。やれることはすべてやって、もうだめだったとわかったあと、酔いが重なり、感覚の輪郭がほどけて、思考が脱線して、この場面に達するのだけれど、その突き抜けるような情けなさに、私はこれまで体験したことのない爽快感をおぼえた。あの場面を読んでいて、悦楽のようなものを感じたのは、私だけではないと思う。ゾッとするほど情けない。窮屈な孤独感。どうにもならない事実。息の上がるようなむなしさ。命の恥ずかしさ。おそらく猫耳同様、安っぽいであろうゾンビマスクと、ちっぽけな裸体。すべてを失うことが決まったあとの、剥き出しの人間。その強烈な輝きに惹かれた。

夜の中を歩いていると、街はいつもの街なのに、人はすれ違うだけなのに、身にしみるほどきれいにみえた。『生きとるわ』を読み終えた、その夜のことだった。

書名:生きとるわ

著者:又吉直樹

定価:2200円(10%税込)

発売:2026年1月28日(水)

発売・発行:株式会社文藝春秋

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163920603

書名:風を飼う方法

著者:小原晩

定価:1650円

発売:2026年3月4日

発売・発行:河出書房新社

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309032580/

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