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ミラノ五輪金メダリスト、アリサ・リウの「空白の2年間」。16歳で引退した天才少女が、エベレスト登頂を経て“自分”を取り戻すまで

  • 2026.2.25

アリサ・リウ(20)が若干13歳で全米選手権を制し、史上最年少女王としてフィギュアスケート界に衝撃を与えた日のことを覚えているだろうか。2026年現在、彼女はチームイベント(団体戦)でアメリカ代表として金メダルを獲得したわずか1週間後、個人種目でのメダル獲得を目指して氷上に立っている。

しかし、ここまでの7年間は決して平坦な道のりではなかった。2022年北京五輪の代表メンバーだったリウは、大会からわずか数カ月後、16歳という若さで一度は現役引退を表明していたのだ。当時、彼女は自身のSNS(現在は削除済み)でこう綴っていた。「スケートを引退することを報告します。5歳で始めてから約11年間、氷の上で過ごしてきました。最高なことも最悪なこともあったけれど、それが人生。一生忘れない素晴らしい思い出と友人ができました」

2022年、北京オリンピック China News Service / Getty Images

16歳で決断した「普通の女の子」への道

10代での引退は、怪我や五輪メダル獲得といった明確な理由がある場合を除けば、現代のフィギュア界では珍しい。多くのアスリートが20代半ばまで現役を続行するなか、リウの決断は異例だった。

Sarah Stier / Getty Images

2026年、彼女は『NBCニュース』の取材に対し、当時の心境をこう振り返っている。「5歳から16歳まで、ホームスクーリング(自宅学習)を続けながらノンストップで滑ってきました。でも私は本来、とても社交的な性格。人との繋がりを求めていたんです。トレーニングのために、家族も友人もいない場所で、何年もたった一人で生活していました」

空白の2年間で経験したエベレスト登山と大学生活

氷から離れた約2年間、リウはカリフォルニア州ベイエリアで「普通のティーンエイジャー」としての生活を謳歌した。運転免許を取得し、友人と遊びに出かけ、スキーなど他のスポーツにも挑戦。2023年秋にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に入学し、現在は心理学を専攻している。驚くべきは、その活動の幅広さだ。15歳で高校を卒業していた彼女は、心身ともにタフな大人でも困難とされるエベレストのベースキャンプへの登頂も成し遂げた。

2022年 John Lamparski / Getty Images

しかし、こうした経験を経て彼女が気づいたのは、「スケートほど自分を突き動かすものはない」という事実だった。今年1月の『Cosmopolitan』誌のインタビューで、彼女はこう語っている。「スケートは、私に『強くなる理由』をくれました。今は衣装のデザインにも関わっているし、ダンスと音楽が融合したこの競技は、私にとって最高の表現の場なんです」

リウが再び氷の上に一歩を踏み出す前に、実はたった一つだけ、物理的な問題が立ちはだかっていた。かつてスケートを辞めた際、リウはカリフォルニア州オークランド近郊の実家のクローゼットの奥に古いスケート靴を投げ込んでいたのだが、18カ月後に再び靴を探そうとしたとき、どこに置いたのかすっかり忘れてしまっていたという。

自分の意志で選ぶ第2のキャリア

2025年世界フィギュアスケート選手権 Joosep Martinson - International Skating Union / Getty Images

2024年3月、リウは競技復帰を宣言した。「スケートから離れた時間は、私にとって必要なものでした。新しい視点を持って再び滑り始められることに、これ以上ない喜びを感じています」。「以前は、お見せできるような『芸術』を持っていませんでした。人々が私にこの曲で滑るように強いて、あの衣装を着せて……私には何のコントロール権もなかったのです」と、リウは『ESPN』に語った。「誰が意思決定をしているのかさえ知らなかったし、そもそもそこにいたいとも思っていませんでした。でも今は、雰囲気が全く違います。以前の扱われ方と、今の扱われ方は大きく異なっているのです」

その成果はすぐに現れた。リウはその年の夏、以前も共に活動したことのあるフィリップ・ディグリエルモ氏、マッシモ・スカリ氏の両コーチとともにトレーニングを再開した。その一方で、父アーサー氏は、かつての現場に深く関わる役割から一歩身を引いた。彼女は秋に競技に復帰すると、ISUチャレンジャーシリーズの2大会で優勝し、2025年の全米選手権で2位に入賞。

ボストンで証明した真の復活

2025年世界フィギュアスケート選手権 Maddie Meyer / Getty Images

リウが本当に帰ってきたことを世界に知らしめたのは、2025年3月のボストンだった。ドナ・サマーの『マッカーサー・パーク』に乗せた圧巻のフリープログラムで、彼女は2006年のキミー・マイズナー氏以来、アメリカ人女性として初となる世界選手権のタイトルを手にし、歴史を塗り替えたのだ。

「一番幸せを感じたのは、最後のポーズを決めた後、みんなが立ち上がって歓声を上げているのを見たときです。『やったわ!』って感じでした」と、リウは『Elle』に語った。「でも、私を心地よくさせてくれたのは、優勝したことそのものではなく、自分が滑ったプログラムの内容でした。これまでの練習を含めても、最高の出来(ラン・スルー)だったんです。会場のエネルギーは凄まじいものでした。みんなが応援し、拍手し、踊っていました。あのプログラムをもう一度滑って、あの人々のエネルギーを再び感じられるなら、何だってするつもりです」

メダルよりも大切な「自分のストーリー」を届けること

2026年 Andy Cheung / Getty Images

現世界女王であり、2025年グランプリファイナルの覇者でもあるリウは、ミラノ五輪の女子シングル種目において、金メダルの最有力候補の一人として会場に現れた。彼女の前には、3度目の世界チャンピオンに輝いた坂本花織選手を筆頭とする3人の日本人スケーターという、手強いライバルたちが立ちはだかる。しかし、リウの2026年大会へのアプローチは、2022年当時とは根本的に異なっている。

「彼女たちに勝てるかどうかは、私のゴールではありません」と、リウは『The Athletic』に述べた。「私の目標は、ただ自分のプログラムを滑りきり、自分の物語を共有すること。そのために、誰かの上や下に立つ必要はないと思っています。私にはメダルは必要ありません。ただここに存在し、表現すること。そして、私が次に何をするのかを皆に見届けてほしいだけなのです」

※この記事は『Town & Country』の翻訳をもとに、ウィメンズヘルス日本版が編集して掲載しています。

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