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「毛利よ!信長を打倒せよ!」足利義昭の挙兵で〈表に出ない戦〉が始まった!【ミスター武士道の大河読み】

  • 2026.2.2

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』で注目される豊臣秀長。「彼がいなければ秀吉は天下を取れなかった」とまで言われる、日本史上最高のナンバー2とはどんな人物だったのか?戦国時代を知り尽くした歴史系YouTuber・ミスター武士道の独自視点で、大河ドラマでは語られない豊臣秀長のリアルを紐解きます!

信長と足利義昭の対立

将軍・足利義昭の挙兵が、羽柴兄弟を新たな戦場へ向かわせた

浅井・朝倉両家との戦いの最中、将軍・足利義昭が信長に対して挙兵したことはすでに触れましたが、この義昭の挙兵が、またも羽柴兄弟の仕事を増やすことになります。

足利義昭は、もともとは奈良のお坊さんでした。しかし、永禄八年(1565)、当時の将軍・足利義輝が暗殺されるという大事件が起こり、急遽その跡継ぎ候補として俗世に戻ることになります。

義輝を暗殺した三好家は、義昭が将軍になることを阻もうとしましたが、ここで義昭を助けたのが織田信長でした。

信長の台頭は、義昭の存在抜きには語れないものだったのです。

当初、義昭は信長に強い感謝を抱いており、「信長を父のように思う」と語るほどでした。

信長が掲げた「天下布武」も、当初は自ら天下を取るというより、室町幕府の天下において争いを収める意味合いが強かったと考えられています。

わずか5年で決裂した蜜月関係。反信長包囲網の拡大

しかし、その蜜月関係は長く続きませんでした。

元亀四年(1573)、義昭は信長に対して挙兵します(槙島城の戦い)。義昭の上洛から、わずか五年ほどで関係は破綻してしまったのです。

挙兵の理由としては、信長の厳しい態度や幕臣たちの不満、さらに浅井・朝倉・本願寺に加え、武田信玄までもが信長に敵対するという、四面楚歌の情勢があったとされています。

後世から見ると軽率に映るこの判断も、当時の義昭にとっては、織田家が滅亡するかもしれない瀬戸際での決断でした。

そして、この義昭の呼びかけをきっかけに、西国の大大名・毛利輝元も反信長包囲網に加わり、新たな強敵として立ちはだかることになります。

姫路と竹田、西国経営で広がる秀長の役割

毛利輝元との交渉役を務めていたのは秀吉でしたが、その交渉相手が敵に回ったことで、責任も秀吉が背負うことになります。秀長も兄とともに、今後は西国での戦いに本格的に関わっていくことになります。

天正五年(1577)、秀吉は播磨国の姫路城を、黒田官兵衛から提供され、対毛利家の拠点として活用していきます。

さらに但馬国の山名家も織田政権と対立したため、秀吉とともにこれを攻略。山名家の城であった竹田城を接収し、秀長がその城代を務めることになりました。

秀吉が姫路城に在城する一方で、竹田城の実務を担った秀長は、名目以上に重い責任を背負う立場にありました。

長浜時代で培った領地経営の経験を活かしながら、秀長は着実に「兄を支える実務の要」としての役割を広げていくことになります。

解説/ミスター武士道 独学で歴史解説や情報発信をする歴史系YouTuber。歴史解説チャンネル『戦国BANASHI』は登録者数20万人超え。歴史解説のほか、城跡や世界遺産を巡るロケ、専門家との対談などにも力を入れている。

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