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【黒柳徹子】演技を学んだ文学座の中心的存在「杉村春子」の魅力とは

  • 2026.1.24
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第45回】杉村春子さん

もう何十年も前になりますが、私が音楽学校の学生だったとき、私も今でいう“就活”をしたことがあります。当時は、卒業後に音楽の先生になる人もいれば、レコード会社や歌劇団に就職する人もいましたが、私は自分が何をやりたいのかわからずに、途方に暮れていました。それが、ひょんなことから銀座で人形劇を観たことがきっかけで、「絵本が上手に読めるお母さんになりたい」と思い立ち、新聞に載っていた「NHKでは、テレビジョンの放送を始めるにあたり、専属の俳優を募集します」という広告を見つけて応募したら、驚くまいことか、採用が決まったのです。ただし、俳優としての勉強や訓練が足りなかった私は、舞台出身の方たちと共演するたびに、「自分はまだまだだ」「どうしたらあんなに充実した洗練された身のこなしができるんだろう?」というコンプレックスを感じていました。

「もし俳優を一生の仕事にするなら、劇団に入って基礎から勉強したいし、せっかくなら上手な人たちと一緒に芝居をしてみたいなぁ」と思い、文学座の杉村春子先生に、「文学座に入りたいんですけど」とお願いしたのは、私が30歳になる少し前のことです。文学座は、芸術志向的な演劇を目指す作家や演出家によって昭和12年に設立された劇団で、当時の文学座には、私が「共演してみたい!」と思うような、芝居の上手な俳優が大勢所属されていて、杉村先生は劇団の中心的存在でした。先生は、「あら、ぜひいらっしゃい、私が言ったら反対なんかさせないわよ」と言ってくださって、私はNHKの仕事をしながら、文学座附属演劇研究所に通うことに。でも、私が研究所に入った1年後に、文学座は分裂してしまいます。分裂の理由は私には想像もつきませんが、文学座を立ち直らせたのも杉村先生でした。先生はのちに、「あの騒動は、若い有能な人たちの奮起をうながし、新しい文学座の基盤をつくるために、神が与えてくれた試練だったのかもしれません」と当時を振り返っていらっしゃいます。

杉村先生の代表作といえば、舞台『女の一生』です。生涯で947回、布引けいを演じたとされていますが、その初演は終戦の年の4月、空襲の中で5日間だったというから驚きです。出演していた俳優は13人ですが、なぜその人数かというと、当時の文学座に俳優はそれだけしか残っていなかったからなのです。残っている人数だけの役を、劇作家の森本薫さんが書いてくださったんですって。そしてもっと驚くのが、そんな危険な状況の中で、たくさんのお客様が、渋谷の道玄坂にあった劇場に足を運んだということです。防空ずきんの上に鉄カブトをかぶるという重装備で、しょっちゅう止まってしまう電車をいくつも乗り継いで。「明日も生きられているかわからない。ならば、生きているうちに芝居を見よう」と、そんな強い意志で、お客様が集まっていたというから、演じる方も観る方も命懸けです。警戒警報が鳴れば芝居をやめて、お客様は外に避難する。警報が解除されるとまた劇場に入れて、杉村先生たちは止まったところからまた芝居を続けたんだそうです。しかも、俳優たちは警報が鳴っても退避しないで、楽屋で扮装したまま待機していたとか。敵の飛行機が頭上に来るのにですよ。台本をなくしたら大変だからと、自分たちで書き写したものを持ち歩くとか。当時のエピソード一つ一つが壮絶なものばかりでした。

広島で生まれ育った杉村先生は、女学校を卒業後、オペラ歌手を目指して、今の東京藝大を受験しますが、落ちてしまいます。しばらく地元で代用教員を務めた後に上京。そこから演劇にのめり込んでいくのですが、70歳で「徹子の部屋」にご出演いただいたときは、「芝居だから現役でいられるんですよ。歌はやっぱり、今まで現役でいられるってことは、容易なこっちゃないわ」とちょっと自慢気におっしゃっていました。『女の一生』の「誰が選んでくれたんでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの。間違いと知ったら、自分で間違いでないようにしなくっちゃ」という有名なセリフは、まさに杉村先生の生き方そのものです。「徹子の部屋」で、着物の着こなしを私がお褒めすると、「やっぱり、きれいな形をつくるってね、日本の着物でも、洋服でもですけども、土台をつくらなくちゃならないのね。なんにもしないでそれに合う形の人ってのは、ほとんどいないんじゃないかしら。いろんなところへ土台をつくっていくんです。するとやっぱり、体を締め付けたり、苦しいわ……。楽な形でいい形にするってことは、できないんじゃないかしら」とキッパリ。常に舞台で自分をきれいに見せる努力を怠らなかった。最後の入院のときも、枕元には次の芝居の台本があったそうです。

杉村春子さん

女優

杉村春子さん

すぎむら・はるこ 1906年広島県生まれ。27年、広島女学院の音楽教師を辞職して上京。築地小劇場、築地座を経て37年、文学座の創設に参加。45年、劇作家森本薫の遺作となる『女の一生』の初演で布引けいを演じ、48年、同作で第一回芸術院賞を受賞。以降、劇団の中心女優として活躍。代表作に、『欲望という名の電車』『鹿鳴館』『華岡青洲の妻』『ふるあめりかに袖はぬらさじ』など。映画の代表作は、小津安二郎監督の『晩春』『麥秋』『東京物語』など。著書に『楽屋ゆかた』『自分で選んだ道』などがある。97年没(享年91)。

─ 今月の審美言 ─

「間違いと知ったら、自分で間違いでないようにしなくっちゃ」というセリフは、まさに杉村先生の生き方そのものです。

取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト

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