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量子世界は現実の「7つの常識」を同時に許さない

  • 2025.12.16
量子世界は現実の「7つの常識」を同時に許さない
量子世界は現実の「7つの常識」を同時に許さない / Credit:Canva

ドイツのルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(LMUミュンヘン)のミュンヘン数学哲学センターで行われた研究によって、私たちが「現実なら当然そうだ」と思いがちな前提を7つ並べると、量子力学が示す予言とは同時に両立できない、という結論が理論的に示されました。

一方で、6つまでなら両立できるため、量子世界と折り合いをつけるには「どれか1つの常識を手放す」必要があるわけです。

また研究では、どの常識を諦めるかによって量子世界の姿は大きく様変わりし、それぞれが量子論の異なる解釈に対応すると説明しています。

あなたならどの「常識」を手放して、量子の世界を受け入れますか?

研究内容の詳細は2025年12月1日に『arXiv』にて発表されました。

(※この研究の凄さを一撃でわかりたい場合は3ページ目の表に飛んで下さい)

目次

  • 私たちが無意識に守っている「現実の七箇条」
  • 現実の7箇条――あなたならどの常識を手放す?
  • 解釈の違いは“捨て方”の違いだった

私たちが無意識に守っている「現実の七箇条」

Credit:川勝康弘

「現実」というものは揺るぎなく確かなもの――私たちは普段そう信じて疑いません。

自分の目で観測して得た結果は紛れもない事実で、人が違っても事実は同じだし、みんなの経験を集めればひとつの世界の物語になる、と考えているでしょう。

例えば次のような現実の七箇条を、多くの場合、暗黙のうちに信じているはずです。

現実の七箇条
① 測れば結果が出て、それは事実として数えられる
② 同じ出来事は、誰が見ても同じ出来事のまま
③ 起きたことを全部まとめても、つじつまが合う
④ みんなが共有する「現実」は1つだけ
⑤ 遠くの出来事が、その瞬間にこちらを書き換えない
⑥ 何を測るかは、事前に縛られず自分で選べる
⑦ 観測者は自分だけではなく、他の人も同じ世界で観測できる

実際、「大谷選手が投手の投げたボールをバットに当ててホームランを打つ」という極めて日常的な場面を考えてみても、この7つの条件が裏で支えています。

まず「投球が来た」「バットに当たった音がした」「打球がスタンドへ飛んだ」「審判がホームランを宣告した」といった“測定値”ですが、それが①「測れば結果が出て、それは事実として数えられる」ものでなければ、試合の記録そのものが成り立ちません。

さらに②「同じ出来事は、誰が見ても同じ出来事のまま」でなければ、テレビではホームランでも球場ではファウル、というように“事実”が観測者ごとに割れてしまい、ルールも記録も共有できません。

③「起きたことを全部まとめても、つじつまが合う」からこそ、球審の判断、複数のカメラ映像、打球の軌道、打球音、スコアボードの更新が同じ出来事として結びつき、「あの一打はホームランだった」と一つに収束します。

④「みんなが共有する現実は1つだけ」という前提があるから、スタンドに入ったボールは“この世界”の中で入ったのであり、観客も実況も審判も同じ試合を見ていると言えます。

そして⑤「遠くの出来事が、その瞬間にこちらを書き換えない」ことも重要です。

投球は投手から捕手方向へ飛び、打球は外野へ飛び、原因と結果が順序を持つからこそ、私たちはプレーを「流れ」として理解できます。地球の裏側で開催されている別試合の影響が、ホームランかどうかに影響するようでは、試合は成り立ちません。

⑥「何を測るかは事前に縛られず自分で選べる」も実務的に効いています。

どの映像で確認するか、どの角度で見るか、球速や回転数など何を測るかを状況に応じて選び直せるからこそ、「検証すれば確かめられる」という信頼が成り立ちます。

もしその選択が運命のように見えない何かに先回りで固定されているなら、測定と計算の信頼性を説明しにくくなり、「たまたまそうなっただけ」に見えてしまいます。

最後に⑦「観測者は自分だけではなく、他の人も同じ世界で観測できる」ことがあるからこそ、球場の観客も、遠隔の視聴者も、記録員も、同じ出来事を答え合わせでき、ホームランという事実が社会的に確かめられます。

つまりホームランという出来事も、私たちが普段ほとんど意識しない7箇条からなる「現実の前提」が、きちんと揃っている場面でこそ滑らかに成立しているわけです。

しかし量子力学は、こうした前提をことごとく揺さぶってきました。

そこで今回の研究は、この問題に改めてメスを入れるために、古典的世界観の「七箇条」がすべて同時に成り立つかを量子力学と理論的に照合したのです。

もし量子論とこの七箇条が本当に食い違うなら、私たちはどの「常識」を手放すべきなのでしょうか?

現実の7箇条――あなたならどの常識を手放す?

現実の7箇条――あなたならどの常識を手放す?
現実の7箇条――あなたならどの常識を手放す? / Credit:Canva

研究チームは、上記の7つの前提すべてを組み込んだ「もしもの世界」を想定し、その世界で起きるはずの出来事と量子力学の予測とを突き合わせました。

具体的には、遠く離れた実験室AとBにそれぞれ実験者(アリスとボブ)を置き、2つの粒子を量子もつれさせて分配するベル型の状況を想定しています。

なお、論文では「ウィグナーの友人」などの有名な思考実験にも背景として触れています。

量子論が正しければ各観測者の測定結果の確率には一定の法則性があるため、7つの前提の下で全員の結果を辻褄合わせようとすると、ある数学的な制約条件(ベル不等式(相関の上限))が導かれます。

その制約を詳しく解析したところ、7つすべてを満たす整合的な結果の組合せは一つも存在しないことが判明しました。

日常的な私たちの身の回りの世界は7本のネジで現実が固定されていますが、量子世界では7本全部のネジを締めた現実は存在せず、少なくとも1本は緩めなければならなかったのです。

このため研究チームは今回の結果を「ヘプタレンマ(7つ組のジレンマ)」と名付け、「量子世界の七つ巴の板挟み」と表現しています。

では、肝心の「どの1つを諦めるか」という選択肢には何があるのでしょうか。

論文によると、可能な“逃げ道”は全部で7通り提示されています。

1番目は 「測れば結果が出て、それは「起きた出来事」として数えられる」を手放す道です。

量子力学は、結果そのものより「結果がこうなりやすい」という確率を語る理論なので、「事実は一つに決まっているはずだ」と思い込むのをやめると、矛盾が目立ちにくくなります。

結果を「唯一の事実」に固めないぶん、ほかの常識を比較的守りやすくなります。

この世界では、現実は「一枚の確定写真」ではなく、分岐するゲームのセーブデータみたいになります。

あなたの目の前には一つの結果がはっきり映るのに、世界の側はそれを“唯一の本番ログ”として確定せず、別の結果のルートも消さずに抱えたまま進んでいく、多世界が広がっていきます。

だから確かに結果は見えるのに、「これが唯一の正解だ」と赤ペンで丸を付けて、他の可能性を全部ゴミ箱に捨てることだけはしない――そんな世界になります。

2番目の道は「事実は誰が見ても同じ」を手放すことです。

たとえば目の前で起きた物理現象について「Aさんから見た事実」と「Bさんから見た事実」が一致しなくなります。

この世界でも結果は確かに出ますが、もはやそれらを並べて一致させることはできません。

ただその代わりに、みんな共通の事実とするときに起こり得る不都合な衝突を避けることが可能になります。

誰がやっても同じになるという前提での「答え合わせ」を緩める代わりに、個々の結果それぞれに独自の意味が付与されるメリットも生まれます。

3番目の道は「全部の事実を集めれば、つじつまが合う」を手放す名探偵泣かせの方法です。

名探偵はあらゆる事実が犯人を指し示すように矛盾なく推理をしていきます。

しかしこの世界では、それぞれある範囲内では筋が通っているのに、全体をまとめるとその瞬間だけ破綻してしまいます。

ただこうすることである程度の範囲の平穏は守られます。

世界が「一枚の地図」ではなく、つぎはぎの地図帳になるイメージとも言えます。

ページごとには正しいのに、全部を一枚に貼り合わせると、境界でズレが出る感じです。

4番目の道は、共有する現実は1つという前提を手放す道です。

観測者ごとに「世界の見取り図」が分かれ得る、と考えることで、答え合わせのズレを許します。

この世界では、みんなで一冊の“公式アルバム”を共有しているのではなく、人それぞれに別のアルバムが立ち上がります。

あなたのアルバムでは出来事がこう写っていて、別の人のアルバムでは別の写り方をしているのに、どちらのアルバムも中では矛盾なく続いていく――だから「じゃあ一冊に統合しよう」とすると、そもそも統合という作業ができなくなるのです。

(※多世界解釈とは微妙に違います)

その代わり、「一冊にまとめなきゃ」という重い仕事を降ろせるぶん、他の前提は守りやすくなる場合があります。

けれど代償として、「世界」という言葉が、みんなで共有する一つの箱ではなく、“人ごとに立ち上がる枠”に意味替えされてしまいます。

5番目の道は、遠くの測定の選び方が、こちらの結果の“出方”に影響してよいと認めるやり方です。

量子もつれを認める方法と言えるでしょう。

量子力学に親しみがある人はそれでも「別にかまわない」と思うかもしれません。

ただ、これもまた日常世界レベルの常識を捨てることでもあるのです。

そしてこの世界では離れた場所にあるもの同士が一本の糸で連動する世界になります。

現実は固いままなのに、つながり方だけが妙に深い世界とも言えるでしょう。

6番目の道は「測り方が自由を手放す」方法です。

どんな測定方法を選ぶかが、対象の状態や何か隠れた条件と、最初から“結託している”可能性を認めます。

言い換えると、「実験者がコイントスで決めたつもりでも、その選択は宇宙の初期条件に組み込まれていたかもしれない」という発想です。

量子もつれを否定したい人(遠くが即時につながるのは嫌だ)という人にとっては都合のいい世界です。

ただこの世界では、あなたが「今ここで自分で選んだ」と思っている操作が、実は最初から台本に書かれている舞台みたいになります。コイントスも、乱数も、“自由な選択”の顔はしているのに、肝心な場面では見えない糸が先に手を決めていて、あとから私たちは「自分で選んだ気がする」と追認している――そんな感じです。

だから自由っぽく見えるのに、重要な分岐だけは最初から運命的に決められていた、という感触が残ります。

7番目の道は極端で、「観測者は複数いる」という前提を捨て、観測者は自分一人だけとみなす道です。

量子のパラドックスは「別々の人が測って、後で答え合わせする」場面で強く現れます。

ならば、そもそも“答え合わせ”が成立しない世界にしてしまえば、矛盾は表に出ません。

矛盾の原因になっている舞台(複数観測者の答え合わせ)そのものを撤去できる、という意味では極端な逃げ道です。

ただこの世界ではある意味で、全てがひとり芝居になります。

他人はNPCのような存在で彼らが行う観察はまがい物で、特定の1人だけが本当の意味で全てを決定できる世界とも言えます。

解釈の違いは“捨て方”の違いだった

解釈の違いは“捨て方”の違いだった
解釈の違いは“捨て方”の違いだった / Credit:Canva

この発見により、量子力学と現実観の関係が改めてはっきりしました。

要するに「量子論に合わせて私たちが諦めるべき常識はどれか?」という問いに体系的な答えが用意されたのです。

研究チームは7つの前提をリストアップすることで、量子論の解釈ごとに「どの常識を犠牲にしているか」で分類できる新しい現実観の地図を提供しました。

たとえばパイロット波は主に⑤を、コペンハーゲン解釈は主に①を、多世界解釈は主に①を、関係性解釈は②を…というように、各アプローチの個性が一目瞭然です。

量子論の解釈論争はこれまで「どの解釈が正しいか」という形で平行線を辿りがちでしたが、今後は「自分たちは現実のどの前提を手放す立場なのか」を意識した建設的な議論ができるかもしれません。

以下の表は既存の量子論が7つの条件のどれを捨てて(拒否して)いるかをまとめた表です。

このような1枚の表で複数の量子論をまとめきれるのは、非常に大きな成果だと言えます。

この表は、各解釈が主にどれを捨てているかをまとめています。
この表は、各解釈が主にどれを捨てているかをまとめています。 / 今回の研究が一番スゴイと思えるのは多様な理論をこの表のようにまとめられた点にあります/Credit:A Heptalemma for Quantum Mechanics

また本研究の考え方は、量子力学に留まらず広い文脈で応用できる点も興味深いところです。

著者らはヘプタレンマという7つの前提リストを一種の診断キットとして使えば、「その分野が古典的、つまり直感どおりかどうか」を判定できると述べています。

もしある科学理論の世界で7つの前提がすべて満たされるなら、その領域は古典的常識の範囲内と言えます。

一方、量子力学のように何か1つでも成立しない前提があれば、そこに非古典的、つまり直感に反する性質が紛れ込んでいる可能性が高いのです。

実際、身の回りのマクロな現象や生物・地学といった分野では上記の七箇条が問題なく成り立つため、私たちは違和感なく受け入れることができます。

しかし量子の世界だけは例外でした。

もしかすると、同じように私たちの常識が通じない「非現実的」な領域が他にもあるのかもしれません。

意識の研究など一部にはその可能性を示唆する議論もあります。

ヘプタレンマは、そうした未知の領域を炙り出す探照灯の役割も果たせるかもしれません。

本研究によって量子力学と哲学の橋渡しが進み、「現実とは何か」を巡る議論がより具体的に深まることが期待できます。

元論文

A Heptalemma for Quantum Mechanics
https://doi.org/10.48550/arXiv.2512.01982

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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