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鳥羽周作「55歳で現場を降りる」理由。糖尿病はチャンス!病気と共に生きるその未来像は?【鳥羽周作さんのターニングポイント#4】

  • 2025.12.14

鳥羽周作「55歳で現場を降りる」理由。糖尿病はチャンス!病気と共に生きるその未来像は?【鳥羽周作さんのターニングポイント#4】

糖尿病を「チャンス」と捉え、主体的に学び続ける鳥羽周作さん。最終回となる第4回では、その行動力と前向きさはどこから生まれているのか、そしてこの先どんな未来を描いているのかを聞きました。社長として、料理人として、一人の人間として——“思考で治す糖尿病”の先に見ている景色とは。

社長になって身についた「因数分解」と「名付け」のクセ

――問題に対して主体的に勉強して、解決していく。その姿勢はいつ頃から培われたのでしょうか?

鳥羽シェフ:やっぱり、この会社の社長になってからですね。
社長になると、うまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。そのときに「なぜうまくいかなかったのか?」という疑問にぶつかるようになりました。そこで、自分なりにどんどんトライアンドエラーをしていくうちに、「こうなんだ」と理解できたことを、ちゃんと言語化して名前をつけるクセがついたんです。
僕は物事を因数分解するクセがあるんですけど、どんな物事にも必ず構成要素がある。その中でも大事な要素は何なのかを見極めて、さらにその要素を細かく分解していく。そして「どれを際立たせるのがいいか」を考える。そんなふうに、物事の本質を見ていくことを大事にしています。
糖尿病で言えば、運動・食事・休息など、乗り越えるために大事な要素がたくさんありますよね。
それをどう編集していけばうまく戦えるのかを考えたとき、「積極的バランスだな」と。
“食べちゃダメ”ではなく、“食べたら減らす”というやり方のほうが、精神的にも健全でストレスが少ない。
それが、僕なりの答えでした。
だから糖尿病に対する自分なりのメソッドも「頭で治す糖尿病」(第1回記事参照)とネーミングしているんですよね。

インスリン卒業は、あせらず「なだらかな坂道」で

――インスリンの投薬量が診断当初よりかなり減ったとうかがいましたが、いずれはインスリン注射も卒業できると思いますか?

鳥羽シェフ:やらなくてOKになる可能性はあると思っています。最終的に目指しているところは、自分の自然治癒力です。
インスリンが出る量が少ないと、糖を摂ったときに分解できないから血糖値が上がるわけですよね。
だから、自分のインスリンで処理できるようになれば、薬を打つ必要はなくなる。それが「元の状態に戻る」ということ。
そこを目指して、今の治療を続けています。ただし、それも“可能な範囲で”と思っています。
一気にやろうとすると反動が大きくなって、持続性が低くなってしまう。だからゆっくり滑らかな傾斜で元の状態に戻していくことで、安定させていく。それが大坂先生のやり方です。
もっと効き目の強い薬もあると思うんですが、そのぶん“はね返り”も大きくなる。少しずつ折り合いをつけながら、今はゆっくり治療しているという感じですね。

「誰が言うか」が大事。自分がハブになれたらいい

――いま大坂先生とやっている治療や考え方は、糖尿病治療としては“メジャー”なやり方なのでしょうか?

鳥羽シェフ:メジャーかどうか、というよりは、「ちゃんと勉強して学会に出て、論文も発表している先生」が言っている、当たり前のことなんだと思います。
これまで、そうしたことがクローズドな世界にとどまっていただけで、それをオープンに発信していくというスタンスなんですよね。だから、“知られていなかった当たり前”をきちんと説明している感覚です。

――そうすると、鳥羽さんがその「ハブ」になれる可能性もありますね。

鳥羽シェフ:そうですね。結局、物事が広がっていくときって、「何を伝えるか」も大事だけど、「誰が言うか」がすごく大事だと思うんです。特に今の時代は。
そういう意味では、自分がやるべきタイミングだったのかなと感じています。
そこに大坂先生が結びついて、エビデンスのあるものをちゃんと発信していくことで、多くの人に勇気を与えられる——と言ったら大げさかもしれないけれど、何かしら意味のあることにはなるはずだと。
「糖尿病のすごくいい話が聞けるラジオ」なんて、今はほとんどないじゃないですか。
だから、そういう番組をやるのも面白いと思うし、料理とも結びつけられたら最高ですよね。
今はライバルがいないからこそ、「やる価値があるな」と感じています。

「孤独」ではなく「孤高」。群れない理由

――料理家さん同士で、病気の話を共有したりすることはありますか?

鳥羽シェフ:自分は、誰とも仲良くないんですよ(笑)。
もちろん他の料理家さん同士、仲良しな人達もいて、夜な夜な勉強会みたいなことをやっているのも聞くんですけど、僕はそういうのが得意じゃない。どこの食材がいいとか、どの調味料がすごいとか、ある一定のフェーズまではそれもすごく良いと思うんです。
でも、その先は誰かとの相談の中から生まれるものなんて、所詮“想像の範囲内”の話だと思っていて、正直あまり興味がないんです。
自分は誰ともつるまない。“孤独”ではなく、“孤高”。
自分の中でめちゃくちゃ自問自答して、「糖尿病いける!」ってなったら、もうあっという間に行動に移す。やると決めたら、次の瞬間から一気に着手してしまうタイプなので、そのスピード感も、群れないからこそ出せるのかなと思います。

note再開の理由。「数」より「深さ」を大切に

――先ほどの「誰が伝えるかも大事」という言葉。最近再開されたnoteも、そういう思いがあったのでしょうか?

鳥羽シェフ:そうですね。ラジオをやらせてもらって感じたのは、これからは「数じゃなくて深さが大事」ということ。
ラジオって、知名度があれば正直、お客さん側に熱量がなくても“なんとなく聞かれてしまう”ところがあるんですよね。
でも、そうじゃなくて、1人でも深度のある関係性をつくることのほうが大事だなと。
広がりは、結果としてあればいい。それよりも、より深く自分のことを理解してくれる人に、自分の考えが届くほうが嬉しい。
ラジオもnoteも、「聞きたくて聞いてくれる人」「読みたくて読んでくれる人」に、ちゃんと届くようにしたいんです。

最終的に必要なのは「気合い=熱量」

――「相手を可燃させることが一番難しい」ともおっしゃっていましたね。

鳥羽シェフ:きっかけは自分かもしれないけど、最後に動くのは相手自身ですよね。
個人プレーができる人が増えることが一番いいと思うし、その中心に自分がいることで、いろんなものが動いていく。
結局、物事は気合い=熱量=パッションなんですよ。糖尿病の話も、ビジネスも、全部パッション。パッションがないと、続けられないし、人にも伝わらないと思っています。

5年後は「糖尿病ビジネス」で突き抜ける

――10年後、20年後のイメージはありますか?

鳥羽シェフ:まず、レストランsioを要する今の会社というのは、「広げては縮めて」を繰り返して、だんだん大きくなっていけばいいなと思っています。
一方、自分自身が稼ぐ場所は、糖尿病だと思っています。
「糖尿病と稼ぐ話をつなげてばかりで、不謹慎なやつだな」と思われるかもしれませんが、そういう意味ではないんです。「稼ぐ」というのは、たくさんのニーズがあるから自然に発生すること。
同じ課題を抱えている人が多くいて、自分は「糖尿病の料理人」としてそこに対してできることがたくさんある。僕が思う「稼ぐ」とは、そういうことなんです。

料理人の最大の価値はレシピです。レシピというのは“思考”なんです。
なぜなら、時間的な距離をゼロにできるから。僕が糖尿病の人にもおいしく食べられるレシピを公開したら、沖縄に住んでいる方にもすぐに届けられますよね。
でも、お店だけでそれを提供していると、時間もお金もかかるから、なかなか簡単には享受してもらえない。
僕のこの思考を世の中に広めていくことが、料理人として一番やるべきことで、それが社会的にも意味のあることだと思っています。
現場のプレイヤーとしては、この1年いろんな生産者さんに会って、超一流のお肉屋さんや酒屋さんとも交渉して、来年のサポートを取りつけています。
なので、2026年はさらにブレイクしちゃいそうです(笑)。
5年後くらいには、グローバルなビジネスも増えていて、「糖尿病ビジネス」でダントツに突き抜けているイメージしかないですね。

55歳で現場を降りる。そこからは「身の丈」に合った暮らしを

――5年後というと、おいくつになりますか?

鳥羽シェフ:52歳か53歳ですね。僕は55歳くらいで現場の仕事を辞めたいなと思っているんです。
正直、年を重ねていくと衰えも感じます。視力も落ちて老眼だし、体力も落ちたなと。現場力みたいなものは、55歳くらいがマックスだと思うんですよね。
もちろん、思考の部分はまだいけると思うので、レシピ監修や、頭を使う仕事は55歳を過ぎても続けられるかもしれない。
でも、感覚的なことは若いほうがいいと思うんです。時代のトレンドについていく感覚を、どこまで持ち続けられるのかは正直わからない。
僕は自分に厳しい人間なので、「同じ食材を使って、去年よりも今年のほうがおいしく作れなくなった」と感じたら辞める、と決めています。

――55歳以降のイメージは湧いていますか?

鳥羽シェフ:姉がいるんですけど、すごく“普通の人”なんですよ。
旦那さんと普通に家庭を持って、幸せに暮らしている。高望みもしないし、自分の身の丈に合った生活をしている。55歳からは、そういうことだと思うんです。
自分にできること、自分に合ったことをベースに、丁寧に暮らしていく。派手なことじゃなくてもいいから、そういう暮らし方を大切にしたいですね。

【鳥羽シェフのターニングポイント4】
物事が広がっていくときって、「何を伝えるか」も大事だけど、「誰が言うか」がすごく大事だと思うんです。そういう意味では、「糖尿病について語る」のは自分がやるべきタイミングだったのかなと感じています。

撮影/三角茉由

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