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ブレーメンGK長田澪、日本代表かドイツ代表かで悩む…「2026年W杯は影響しない…もう少し時間が必要」

  • 2025.12.13

日本代表DF菅原由勢とともにドイツ1部ブレーメンでプレーする長田澪ことミオ・バックハウス。

U-21ドイツ代表でもある21歳のGKだ。日本人の母とドイツ人の父のもとにドイツで生まれたが、幼少期には日本の川崎フロンターレにも所属したことがある。

その長田がブンデスリーガ公式インタビューで様々な話題を語っていた。

「僕はメンヒェングラートバッハ生まれですが、1歳の時に両親が日本に移住しました。妹は2006年に日本で生まれたので、その前には日本に移住していたはずです。(移住した正確な理由は)あまり聞いたことがありませんが、おもしろい話のはずです。両親は日本が大好きですから。

(音楽家の母親が日本で演奏したかった?)

そうかもしれませんね。両親とも本当に日本で暮らしたがっていましたし、今でもそこに住んでいます。20年以上もお気に入りの場所なんです。

僕らは東京と横浜の間になる川崎で暮らしていました。大都市の真ん中で暮らしていたので、そういう場所で育つと、特に特別な場所には思えません。街では様々なことが起こっていて、当時の生活そのものだったからこそ、素晴らしい思い出がたくさんあります。

特別な時間について、日本がどれほど特別だったかについては、そこに住まなくなってから考えるものです。家族、友達、先生など今でも多くのつながりがあります。(日本に)帰国できる時はいつだって幸せです。

(日本の何がそれほど特別なのか)

他のどの国とも比べることはできません。人々はとても礼儀正しいし、几帳面。それとどの街も交通量が多いですね。それにもかかわらず、とても穏やかで静かな場所もあります。例えば、富士山の周りなどは自然がとても美しいです。全てが一カ所にあって、本当に素敵な国です。

(なぜドイツに帰国した?)

13歳で帰国しました。両親はドイツに戻りたいならいつでもその選択肢があると言ってくれていたので。兄弟全員が小学四年生のときにドイツで半年を過ごしたので、祖父母との強い結びつきができていたんです。ある時に両親から、もしドイツに住むことが夢なら、そうすべきと伝えてくれたんです。そういう経緯です。我が子のように受け入れてくれた祖父母がいたのは幸運でしたし、とても感謝しています。

(その年齢で両親と離れることに不安はなかった?)

両親がいないのは楽ではありませんでしたが、祖父母が面倒を見てくれました。夏休みはいつもドイツにいましたし、そこで暮らすのが夢だったんです。正しい決断でした。(両親にとっても)簡単な決断ではなかったと思いますが、僕がやることすべてを応援してくれました。常に僕の望みを優先してくれて、そのことにとても感謝しているんです。

(ポジションについて)

サッカーを始めた頃は左ウィングだったんですが、川崎フロンターレではすでにGKをやっていました。手を怪我した時にはGK以外でプレーすることもあったので、足元のプレーがうまくなったのはそのおかげだと思います。

(日本とドイツの両国代表としてプレーする資格があるが、2026年ワールドカップを前にしてどちらに傾いている?)

ワールドカップについてはどちらにも傾いていません。なぜなら、それが影響するとは思わないので。正直、その後にどうなるかについてもどちらにも傾いていません。決めるにはもう少し時間が必要です。まだ確信がないので」

長田については日本サッカー協会も注視しているが、まだどちらのフル代表を選ぶかは決め切れていないようだ。

ちなみに、川崎で一緒だった高井幸大(現トッテナム)とは今でも連絡を取り合っている仲だそう。

そして、菅原との関係性については、「とても親密です。ロッカールームでも隣通しなのは、(チームが)意図的にやったことだと思います。お互いに日本語で話しますし、彼は僕をとても助けてくれています。おかげでこれまで以上にリラックスできているので。彼の家によく行きますし、一緒に食事をしたりもします。だから、絆はかなり強いですよ」と語っていた。

井上大輔(編集部)

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