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未来の妻セツをハーンは「手足が太い」と容姿をディスった…最悪だった第一印象が180度変わったワケ

  • 2025.11.10

朝ドラ「ばけばけ」(NHK)のモデルである小泉八雲・セツ夫妻。妻セツがラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の女中だったのは史実どおりだ。夫妻の評伝を書いた青山誠さんは「女中に教養を求め士族の娘を望んでいたハーンは最初、セツが気に入らなかった」という――。

※本稿は、青山誠『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(角川文庫)の一部を再編集したものです。

左=ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、右=セツが20歳のころ
左=ラフカディオ・ハーン(F.グーテクンスト・スタジオ撮影、1889年)(写真=シンシナティ・ハミルトン郡公共図書館所蔵/Frederick Gutekunst/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)、右=セツが20歳のころ(提供=小泉家)
セツとハーン、お互いの第一印象は最悪?

ハーンのセツに対する第一印象は最悪、その容姿が気に入らなかったようだ。翌日に富田旅館の女将ツネが様子を見に行くと、ハーンは不機嫌な顔で、セツを連れて帰るように言ってきた。

「ご同棲の翌日、私は初めて京店のお宅に伺いますと、セツ様の手足が華奢でなく、これは士族の娘さんではないと先生は大へん不機嫌で私に向かって、セツは百姓娘だ。手足が太い。おツネさんは自分を欺す。士族ではないと、たびたび小言がありましたので、これには私も閉口致しまして種々弁明しましても、先生はなかなか聴き入れませんでしたが、しかし士族の名家のお嬢様に間違いありませんので間もなく万事めでたく納まりました」(『松江に於ける八雲の私生活』)

この談話は、著者の桑原羊次郎氏が大正時代に83歳で存命中だったツネに取材して聞き取ったものだ。

「武士の娘は手足が細いはず」という思い込み

士族の娘は華奢で手足が細いと、ハーンは強い固定観念に囚とらわれていた。ピエル・ロティの小説の影響がまだ抜け切っていなかったのかもしれない。『お菊さん』のヒロインは華奢で可愛らしく、そのモデルとなった女性は豊後竹田の没落士族の娘だったという。

そもそも“妾”としての女中は望んでいなかったならば、ビジュアルや年齢はどうでもいいと思うのだが……。最初に来る予定だった女中は「中年の婦人」ということだったが、それにはまったく不満はなさそうだった。むしろ年齢が高い女性のほうが、相手を異性として意識しないですむから好都合くらいに思っていたようである。

その後は紆余曲折あり、実際に住み込み女中としてやって来たのがセツだった。婚期を逃したバツイチだが、この頃はまだ23歳。中年女性というには若すぎる。紹介者のツネもセツのことは「お嬢様」と呼んでいた。セツの出自や年齢、経歴などはハーンも事前に聞いていただろう。

住み込み女中が「中年の婦人」から「20歳代の若い士族のお嬢様」に……彼もまだ40歳、枯れるような年齢ではない。若い娘に変更になったことで、心がときめいたにちがいない。相手が妾になるのを覚悟していることも、ツネから聞かされていただろう。恋愛スキルの低い者でも、容易に越せそうな低いハードルになっている。ひとつ屋根の下で暮らしていれば、何が起きても不思議ではない。

恋愛対象だったから容姿にこだわったのか

恋愛対象となればビジュアルは重視するだろう。何でもいいというわけにはいかない。だから思い描いていた“士族の娘”とはイメージのあわないセツを雇うことに難色を示し、不機嫌になったのではないだろうか。

また、教養のある士族の娘ならば会話も弾んで楽しいだろう。士族がどんな立ち振る舞いをするか、武士の生活文化はどんなものか等々、一緒に暮らせば様々なことを知ることができる。士族の娘との同居は、そういった純粋な探究心を満足させることにもなる。そう考えれば、譲れない条件になってくる。

ハーンは嘘が大嫌いで、裏切りは絶対に許せない。ふだんは物静かで穏やかな彼が、嘘をつかれるとたちまち豹変し、激昂げっこうして怒鳴りだす。この時もそうだった。ツネに向かって「士族ナイ」「ホテルノ下女ト同ジ」「私ダマス」などと酷いカタコトの日本語でののしり、早く連れて帰るように要求していた。

狭い家の中だけにやり取りはセツにも聞こえていたはず。自分の容姿を悪く言われて、さぞ嫌な思いをしたことだろう。

とりあえずはツネが取りなしてくれたが、いつハーンの気が変わって追い出されるかわからない。家族を養うため覚悟を決めて来たのだ。いまさら家には帰れない。容姿が理由で追いだされたとあっては女のプライドにもかかわる。何としても避けねばならず、これ以上ハーンの機嫌をそこなわぬよう細心の注意を払う。この頃が彼女も一番辛く厳しい時だった。

セツが身につけた教養や振る舞いに納得

しかし、しばらくすると疑いは晴れてくる。この時代の人々は、その出自によって言葉遣いや立ち振る舞いに歴然とした違いがある。貧しくともセツは士族の娘だ。礼儀作法をしっかり身につけているし、所作に気品が感じられる。また、生花や茶道、文学などに関するひと通りの知識もある。そんな女性が百姓娘のはずがないと、ハーンも自分の早とちりに気がついたようだった。

また、当初は気に入らなかった彼女の体形についても、理由を知るとそれが好ましく思えてくる。セツは少女時代から家族を養うために過酷な機織の仕事に従事してきた。手足が太くなり、指や掌てのひらも荒れて硬くなったのも、すべてはそのせいだ。そこに日本人が美徳とする「孝」を感じた。

「ママの手足が太いのは、少女の頃から一生懸命に機を織ったから。すなわち親孝行をしてきたということだよ」

長男・一雄が幼い頃、ハーンはよくこう言ってセツのことを褒め、親孝行の大切さを説いたという。

結婚したセツとラフカディオ・ハーン、長男の一雄
結婚したセツとラフカディオ・ハーン、長男の一雄
家事を完璧にこなし、察しも良かったセツ

セツは何事にも手を抜かず、女中の仕事にも必死に取り組んだ。キビキビとよく働き、掃除や炊事を完璧にこなす。その仕事ぶりを見ていれば、真面目で正直な性格だとわかる。また、彼女はハーンの拙つたない日本語もすぐに察し、彼が理解できそうな言葉を選んで上手く意思を伝えてくる。頭の回転が速く、コミュニケーション能力が高い。

物怖じしないところも気に入った。何か意見を問えば、自分の思ったことを包み隠さずズバズバ言ってくるから会話が弾んで面白い。気がつけばセツにすっかり心奪われていた。

ハーンにはアメリカの新聞社時代の部下エリザベス・ビスランドや中学校の同僚・西田千太郎など、数は少ないが心を許した人々がいる。猜疑心さいぎしんが強い反面、信じた相手には隠し事など一切せずにすべて打ち明け、窮地に陥れば恥も外聞も捨て助けを求める。絶対に自分を見捨てないと信じている。甘えていると言われたら、そうなのかもしれない。

アメリカの新聞記者時代、ハーンの部下だったエリザベス・ビスランド
アメリカの新聞記者時代、ハーンの部下だったエリザベス・ビスランド

そして、信じて心を許した者のなかにセツもくわえられた。やがてそのなかの序列最上位となり、世の中で最も信頼して最も愛する人となっていく。

ハーンはセツを信用し、セツも優しい彼に…

一方、この頃のセツはハーンのことをどう思っていたのだろうか。「手足が太い」「士族の娘ではない」と散々に言われて、初対面の印象は決してよくなかったと思う。

しかし、一緒に暮らすようになってしばらくすると、こちらもまた印象が大きく変わっていく。ハーンは雇用主だからといって威張るようなことは絶対せず、弱い立場の者への配慮を忘れない。優しい人物だということがわかる。

住み込みで働くようになってまだ間もない頃、ハーンが虐待ぎゃくたいされ水に溺れていた子猫を助けて、一緒にびしょ濡れになりながら帰ってきた。その光景がセツの目に焼きついて忘れられず「その時、私は大層感心致しました」と、思い出話によく語っていた。この時にはすでに彼女もハーンには特別な感情を抱いていたのだろう。

しっかり者のセツにとっては支え甲斐があった
青山誠『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(角川文庫)
青山誠『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(角川文庫)

ふだんは優しく細かい気遣いもできる。そんなところが好きになった。しかし、神経質で傷つきやすい心は、何かあれば瞬時に怒りが沸点に達して短慮な行動を起こし、子どものように意固地になってしまう。まわりに迷惑をかけて、自分もいちばん損をする。何度もやらかすのだが懲りない。住み込むようになってからはセツもそれで悩まされた。考えすぎて落ち込み神経衰弱になることもよくあるし、また、金銭感覚がなく散財を繰り返す。誰かが管理してあげないと生活が破綻してしまう……色々と手のかかる面倒臭い男だった。

何かやらかしても、外国人だからと大目に見てもらっているところはある。また、外国人のアドバンテージで高給を得ているけれど、普通の日本人ならとっくに社会不適合者になっているだろう。実際、アメリカではそうだった。来日直前まで無一文の借金まみれで、知人の家を転々として居候暮らしをしていたのだから。

しかし、それはセツのストライクゾーンど真ん中か? 私がいないとこの人は生きていけない。そう思うと愛おしくなって余計に世話を焼いてしまうのだった。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家
大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。

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