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「死んでしまえ」発言の代償が違いすぎる!田原氏「厳重注意」でフワちゃんは「引退」…この「二重基準」線引きはどこ?SNSで疑問噴出

  • 2025.10.23

「許されない発言」なのに、なぜ処分に雲泥の差が?

ジャーナリストの田原総一朗氏(撮影:2023年6月)
ジャーナリストの田原総一朗氏(撮影:2023年6月)

最近、芸能界とメディア業界を揺るがす「発言問題」が、ネット上で大炎上しています。まず、タレントのフワちゃんが2024年8月にお笑い芸人やす子氏へのSNS上での暴言リプライが大きな騒動となり、結果的に番組降板、芸能活動の休止に追い込まれたのは記憶に新しいでしょう。

一方、ジャーナリストの田原総一朗氏(91)の10月19日の過激発言も大騒動を引き起こしています。田原氏は自身がMCを務めるBS朝日の討論番組「激論!クロスファイア」で、自民党の片山さつき氏、立憲民主党の辻元清美氏、社民党の福島瑞穂氏と選択的夫婦別姓のテーマで議論をしていた際、高市早苗首相が選択的夫婦別姓に対して否定的であることを受け、田原氏が「じゃあ、高市に大反対すればいいんだよ。あんな奴は死んでしまえと言えばいい」と過激な言葉を発したのです。

フワちゃんと同様、世間からは激しい批判の声があがりましたが、田原氏の事務所を通じて明らかになったBS朝日からの処分は「厳重注意」でした。

どちらも暴力的な言葉であり、許されない発言であることは明白です。それなのに、下された「処罰」の重さは、なぜこれほどまでに違ったのでしょうか?この「身内への甘さ」とも取れる対応に、X(旧Twitter)では激しい批判が噴出。あるユーザーの「基準がどこにあるのか、ぜひ教えてほしい」という投稿が話題となり、この不信感の正体が「二重基準」であると顕在化してきたのです。

焦点は「番組内」か「プライベート」か?責任の「分岐点」を分析

なぜ、これほどの格差が生まれたのか? SNS上では鋭い分析がひしめいています。そこで浮かび上がったのが、田原氏が番組内で発言したこと=テレビ局側にも責任がある、フワちゃんがプライベートなやり取りで発言したこと=本人に責任があるという視点です。

田原氏のケースでは、収録番組での発言であるため、BS朝日が編集段階で内容をチェックし、放送を決定した編集責任が問われています。Xユーザーからは、「収録で垂れ流した放送局側の責任が本人以上に大きいのでは」「厳罰を避けたのは放送局側が自分たちの責任逃れのため」といった声が相次ぎ、テレビ局の対応に批判が集中しています。テレビなどの公共性の高いメディアで暴力的な言葉が流れることで、社会的な規範意識や公衆の寛容度に悪影響を及ぼすという懸念の声も出ています。

一方、フワちゃんのケースは、個人的なやり取りが外部に流出したため、「個人としての責任」をすべて問われる形になりました。「フワちゃんは個人責任、テレビ局は巻き込まれず」という構図が浮き彫りになっており、メディアは責任を回避した形です。

この「番組内発言=放送局の責任、プライベート発言=本人の責任」という線引きが、処罰の差を生んだ鍵ではないか、とみられています。

この不公平感については、多様な反応が見られます。まず、処罰の不均衡に憤る怒りや不公平感として、「番組内で言ったのに厳重注意?フワちゃんは2024年8月の発言で引退とは逆やろ」「放送事故だ。追放しろ」といった声が上がっています。また、BS朝日に対する批判として、「身内に甘い。腐ってる」「編集責任をスルーするのは異常」と、局の責任逃れを非難する声も。さらに、言葉の暴力がもたらす社会的影響を懸念し、「テロを誘発する発言だ」「元首相の暗殺を想起させる」という厳しい意見も見られます。

「責任の明確化」問われる

もちろん、両者の発言が許されないことは明白です。しかし、なぜ処罰にこんな差を生んだのか。メディアが「身内を守る」傾向や、発言者の地位(タレントかジャーナリストか)が影響している可能性は否定できません。この曖昧な基準が、Xでの不信感を増幅させているのではないでしょうか。

今回、田原氏の事務所は「『死んでしまえ』という言葉は『誰かに向けたものではない』」とし、次回の放送で謝罪する意を表明していますが、放送局側にも、責任の所在を明確にし、視聴者が納得できる透明性のあるルールの提示を求められているのではないでしょうか。BS朝日「激論!クロスファイア」は10月26日(日)は放送休止となっており、次回放送は11月2日(日)が予定されています。次回、田原氏は何を語るのでしょうか――。

(足立むさし)

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