1. トップ
  2. 芸能事務所「退所後の芸名使用禁止」に政府がメス。弁護士が違法性を徹底解説

芸能事務所「退所後の芸名使用禁止」に政府がメス。弁護士が違法性を徹底解説

  • 2025.10.12
undefined
出典:Photo AC ※画像はイメージです

芸能人にとって、芸名は自分自身の「顔」と言っても過言ではないほど重要なもの。長年ファンに親しまれてきた名前が使えなくなってしまったら、キャリアにも影響が出かねません。これまで芸能界では、事務所を退所したタレントが芸名を使えなくなる問題が繰り返されてきました。

2025年9月30日、政府は芸能人と芸能事務所の契約における不当な慣行を是正するため、契約の適正化に向けた指針を公表しました。

この指針では、移籍・独立した芸能人に対し、退所時の協議なく芸名の使用を制限する行為は独占禁止法上問題となり得ると明確に指摘されています。公正取引委員会は指針に従わない行為に対し、厳正に対処する方針を示しました。

はたして、芸名の使用制限は法的にどのような問題があるのでしょうか?気になる疑問について、弁護士さんに詳しくお話を伺いました。

「退所後の芸名使用禁止」問題を弁護士が詳しく解説

今回は、NTS総合弁護士法人札幌事務所の寺林智栄弁護士に詳しくお話を伺いました。

---今回の政府指針にはさまざまな要素がありますが、その中で特に「タレントが退所する際、退所後に芸名を使用させない芸能事務所の問題」という点について、ご解説お願いします。

今回の政府指針は、芸能事務所がタレントに対して行う不公正な取引慣行を是正するためのものです。その中で特に問題視されたのが、「退所後の芸名使用禁止」です。

芸能人にとって、芸名は単なる名前ではなく、長年の活動で培ってきた「ブランド」そのものです。芸名を通じて、ファンはタレントの顔やキャラクターを認識し、応援します。そして、芸名は、CM契約、ドラマの役、イベント出演など、仕事のオファーを受ける上での重要なツールです。

芸能事務所が退所したタレントに芸名の使用を禁止することは、以下のような不利益をタレントに与えます。

1、キャリアの分断
芸名が使えなくなると、ファンは新しい名前を覚える必要があり、これまでのキャリアがリセットされてしまうリスクがあります。

2、収入機会の損失
芸名に紐づいた仕事のオファーが受けられなくなり、新たな仕事を獲得することが困難になります。

3、経済的自由の侵害
退所後の活動を実質的に妨害し、タレントが独立して生計を立てることを困難にさせます。

芸能事務所は、タレントが芸名で活動してきた実績や、その芸名に付随する顧客吸引力(ファン)を、退所後も独占しようとしていると見なされます。これは、「芸能事務所が優越的な地位を利用して、タレントの活動を不当に制限している」と判断されるため、独占禁止法上の「優越的地位の濫用」にあたる可能性があると指摘されています。

今回の政府指針は、このような不公正な慣行を是正し、タレントが退所後も不当な制約を受けることなく、自由に活動できる環境を整備することを目的としています。

「芸名」って法的にはどんな扱いなの?

---そもそも芸名とは、法的にどのように扱われているものなのでしょうか?

芸名は、戸籍上の本名とは異なり、芸能活動のために使用される通称です。法律上、芸名そのものを直接的に定める法律はありませんが、その性質から主に以下の2つの法的側面で扱われます。

1、人格権としての側面
芸名は、タレントの個性や人格と一体化したものであるため、「氏名権」や「名誉権」といった人格権に準ずるものとして保護されます。

2、財産権としての側面(パブリシティ権)
芸名は、タレントの活動によって築かれた知名度や人気(顧客吸引力)を象徴するものであり、経済的な価値を持ちます。この「顧客吸引力」を排他的に利用する権利を「パブリシティ権」と呼び、芸名はその重要な要素となります。また、事務所が芸名を商標登録しているケースもあります。この場合、事務所は商標権という形で芸名の使用をコントロールしようとします。

---「事務所を退所する芸能人に、退所後は芸名(それが本名であっても)を使わせない」という行為は、法的にどのような問題がありますか?

芸能事務所が退所したタレントに芸名を使わせないという行為は、以下の複数の法的問題を引き起こす可能性があります。

1、独占禁止法違反(優越的地位の濫用)
芸能事務所は、タレントの活動をマネジメントする上で、一般的にタレントよりも優越的な立場にあります。この優越的な地位を利用して、退所後のタレントに芸名の使用を不当に制限することは、「優越的地位の濫用」として、独占禁止法に違反する可能性があります。これは、タレントのキャリア形成や独立後の経済活動を不当に妨害する行為と見なされるためです。

2、公序良俗違反
契約内容が社会的に許容される範囲を逸脱している場合、その契約は民法上の「公序良俗(民法90条)」に反し、無効と判断される可能性があります。退所後のタレントの生計を事実上困難にさせるほど、無期限・無条件に芸名の使用を禁止するような契約は、公序良俗に反すると判断される可能性が高いです。

3、商標権の問題
一部の芸能事務所は、タレントの芸名を商標登録することで、その使用を法的にコントロールしようとします。しかし、退所したタレントが「自己の氏名」として、一般的な方法で芸名を使用する場合は、商標権の効力が及ばないという考え方があります。

また、独立阻止を目的とした商標出願は「公序良俗違反」として、商標登録が拒絶されるケースも出てきています。

さらに、本名が著名な芸名となっているタレントの場合、本人の人格権が商標権に優先すると考えられることが多いです。過去には、本名が芸名となっているタレントが、元事務所が取得した商標権に対して無効審判を請求し、最終的に本名をその後も芸名として使用できるようになった例もあります。

このように、「退所後の芸名使用禁止」は、独占禁止法、民法、商標法など、複数の法的観点から問題がある行為と見なされています。今回の政府指針は、これらの問題に包括的に言及し、芸能界の公正な取引慣行を確立するための重要な一歩といえるでしょう。

過去にはどのような事例があった?

---これまでに、「事務所を退所した芸能人に芸名(本名の場合も含む)を使わせない」という問題で裁判になった例があれば、ご解説お願いします。

裁判が行われた代表的な例として、以下の2つが挙げられます。

1、加勢大周事件

これは、退所後の芸名使用をめぐる裁判の最も有名な先例の一つです。

・事案の概要
俳優の加勢大周さんが、所属事務所から独立した際に、事務所が「加勢大周」という芸名の使用差し止めを求めて裁判を起こしました。

・争点
契約終了後も芸名の使用を事務所の許可なく行ってはいけないという契約条項の有効性。

・裁判所の判断
裁判所は、契約書に定められていた専属期間が終了した後も、タレントの芸名使用を無期限に差し止めることは、「社会的に許容される範囲を逸脱しており、公序良俗に反して無効である」と判断しました。

・結果
加勢大周さん側が勝訴し、退所後も「加勢大周」という芸名で活動を続けることができるようになりました。

2、愛内里菜事件

こちらは、芸名の商標権が問題になった事例です。

・事案の概要
歌手の愛内里菜さんが、活動休止を経て独立後、活動を再開した際に、元所属事務所が「愛内里菜」という芸名の使用差し止めと損害賠償を求めて提訴しました。事務所は、芸名を商標登録しており、その商標権を根拠としていました。

・争点
契約終了後も無期限で芸名使用を禁止する契約条項の有効性と、商標権が本名(芸名)の使用をどこまで制限できるか。

・裁判所の判断
2022年の東京地方裁判所の判決では、加勢大周事件と同様に、「契約終了後も無期限で芸名を使用できないという条項は、公序良俗に反し無効」と判断されました。また、事務所が芸名を商標登録していた点についても、芸名がタレント個人の人格と一体化したものであること、そして、その商業的価値はタレント自身の努力によって築かれたものであることなどを考慮し、事務所の請求を退けました。

・結果
愛内里菜さん側が勝訴し、芸名「愛内里菜」の使用が認められました。

これらの裁判例は、芸能事務所が優越的な地位を利用して、タレントの退所後の活動を不当に制限することは、独占禁止法や公序良俗の観点から違法・無効となる可能性が高いことを示しています。これにより、タレントが独立後も不当な制約を受けることなく、自らのキャリアを継続していくための重要な法的基盤が築かれました。

芸能界の健全な発展に向けて

今回の政府指針により、芸能事務所による一方的な芸名使用制限が、法的に問題のある行為であることが明確になりました。芸名はタレント自身が長年の努力で築き上げた「ブランド」であり、その使用を不当に制限することは、独占禁止法や公序良俗の観点から許されない行為です。

過去の裁判例でも、加勢大周さんや愛内里菜さんのケースのように、タレント側が勝訴し、退所後も芸名を使用できる権利が認められてきました。これらの判例は、タレントの人格権や経済活動の自由を守る重要な法的基盤となっています。

芸能界では長年、事務所とタレントの力関係が大きく偏っていたという指摘がありました。しかし、今回の指針公表により、タレントが独立後も不当な制約を受けることなく、自由に活動できる環境が整備されつつあります。

芸能界が健全に発展していくためには、事務所とタレントが対等な立場で公正な契約を結び、互いの権利を尊重し合うことが不可欠です。今回の指針が、芸能界の取引慣行を適正化し、タレント一人一人が自分の才能を最大限に発揮できる環境づくりにつながることを期待したいものです。


参考:(令和7年9月30日)「実演家等と芸能事務所、放送事業者等及びレコード会社との取引の適正化に関する指針」の公表について(公正取引委員会)


undefined

【エピソード募集】日常のちょっとした体験、TRILLでシェアしませんか?【2分で完了・匿名OK】