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“息を引き取った人物”の顔を描き続ける男…「凄まじすぎる」「鳥肌もの」大河ドラマで描かれた“壊れゆく姿”に称賛の声

  • 2025.10.7
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『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』10月5日放送 (C)NHK

「面白いものをつくることを、諦めない」。この言葉を信条とする蔦屋重三郎(横浜流星)は、大河ドラマ『べらぼう』第38話でふたたび仲間たちと手を取り合い、出版統制に真っ向から挑んでいく。その一方で、喜多川歌麿(染谷将太)は、目の前で命の灯が消えかけている愛する女性・きよ(藤間爽子)の姿を前に、筆を取り続ける。ひとつの回に並列して描かれる“創作の歓喜”と“喪失の狂気”……この高低差こそが、『べらぼう』という作品の豊かさを証明している。

喜多川歌麿、喪失のなかで筆を握る

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『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』10月5日放送 (C)NHK

寝込むきよの傍らで、黙々と絵筆を動かし続ける歌麿。現代で言えば梅毒に侵されたきよの病状は深刻で、薬も効くかどうか分からない。耳が聞こえないきよは、あたりの状況を掴むことも難しく、不安を爆発させるように泣き喚く。

そんな彼女を、歌麿はそばについて常に見守り、彼女の絵を描き続けることで慰めようとする。「自分のことだけを見てくれている」……きよは、そう思えるからこそ、安心して眠っていられるのだろうか。

やがて、きよの命の火が静かに消える。しかし歌麿は、それを認めようとしない。きよの顔は日々変わっているのだ、だからまだ死んでいないのだと言い張り、布団に横たわる亡骸の顔を、今日もまた描き続ける。

「俺にはおきよさんしかいねえの」と、崩れるように涙を流していた姿は、芸術に生きる者が直面する最大の喪失と、そこから逃れようとする哀しい衝動を映し出している。

染谷将太の演技がまた圧巻だ。SNS上でも「凄まじすぎる」「鳥肌もの」と声が尽きなかった彼の慟哭。普段はどこか飄々としている歌麿が、きよの死を受け入れられずに取り乱し、蔦屋重三郎を殴りつける。

暴走する情念、爆発する悲しみ、それでも手から絵筆を離さない執念……。静と動を行き来する染谷の芝居が、歌麿という人物の奥深さを際立たせていた。

蔦重たちの出版奮闘劇

一方、蔦重は、黄表紙をはじめとする出版物への統制強化に対抗すべく、新たな策を打ち出す。黄表紙が“風紀を乱す”として発禁処分を受けるなか、「どうしても作りたければ、指図を受けろ」とするお上からのお触れを逆手に取り、地本問屋たちに草稿を大量提出させる作戦に出る。

この策略に呼応するように、北尾重政(橋本淳)や政演(古川雄大)らが一丸となり、「指図をお願いしたく」と草稿を次々と持ち込む。お上側は「やってられるか!」と音を上げ、結果的に重三郎の狙い通り、出版統制の現場運用にほころびが生まれる。こうして、地本問屋による新たな株仲間設立の兆しが見えてくるのだ。

「おもしろいものを諦めない」。この一貫した理念を胸に、蔦重は仲間とともに時代を切り拓いていく。エンタメを守るために命を賭ける姿が、作品全体に眩しい光を差し込んでいた。

この第38話は、構成的にも見事だった。明暗が分かれる二つの物語……出版を巡る再生の物語と、愛する者を失う喪失の物語が交互に描かれることで、視聴者に強烈な感情の振れ幅を与える。

仲間たちの結束、重三郎の作戦成功、ふたたび手を取り合うことになる政演との和解。物語が一気に盛り上がるなかで、静かにきよは息を引き取っていた。そして、そんなタイミングで描かれる歌麿の、狂気すれすれの創作と慟哭。絵筆を離すことなく、亡き人の面影をなぞり続けるその姿は、喜びの裏にある“芸術の代償”を際立たせる。

光と影、熱狂と絶望。この“高低差”のある構成が、今回のエピソードを特別なものにしていた。

喜多川歌麿という才能を、どう描くか

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『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』10月5日放送 (C)NHK

愛する人が生きているうちに描くのはもちろん、死してなおも描き続ける。歌麿が体現した、倒錯した創作行為。歌麿という人物は、いまやモデルの生死さえも絵のなかに引き込み、自らの内面をぶつけ続けている。

きよの顔が「日々変わっている」と主張する彼の言葉は、写実的な美人画の枠を超えた、どこか魂そのものを捉えようとする芸術家の焦りのようにも聞こえる。そしてそれは、蔦重が編集者として“作品の魂を見極める”側の人間であることとの対比にもなっている。

描く者と、それを世に出す者。両者の立場の違いが、ここまで明確に分かれる回も珍しい。そして、染谷将太の芝居がなければ、この表現は成り立たなかっただろう。

娯楽としての黄表紙も、悲しみのなかで描く美人画も、どちらも“創作”である。今回の『べらぼう』は、まさにその本質に迫った一話だった。人を笑わせるための創作と、人を愛するための創作。その両方がどれほど大きなエネルギーを必要とするかを、あらためて感じさせられた。

次回、歌麿はふたたび筆を取れるのか。蔦重は仲間たちとともに、出版の自由を守り抜けるのだろうか。


NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 毎週日曜よる8時放送
NHKオンデマンド(放送7日後より配信)・NHK ONEで見逃し配信中

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_