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世界的にも国内も身の回りでも日々係争が続くのは天体の状態が不安定なせい?

  • 2025.7.1

初夏の太陽が輝くこの季節がやってきました。南から順番に梅雨明け宣言を聞きながら、暑い夏にそなえて体内時計の調整をしなくては!

それにしても、前回6月のお便りでも書いたように天体の状態が不安定なせい? 先月は世界的にも、国内も、そして身の回りでも日々係争事が続き、マジ(本気と書いてマジと読むって聞きました。それホント?)疲れました~。

が…先月のお便りどおり「ネコちゃん作戦」で乗り切りました。読者の皆さんも周りのノイズに巻き込まれそうになったら、ネコちゃん作戦でいってください。 あっ、そうそう! 「全然無視無視かたつむり」も良いかもネ。

こんにちは。エミールです。

梅雨から夏へと舞台が移ってゆくこの期間、紫陽花とかたつむりの相性の良さに感心しながら、心が疲れると足を止め花を眺めては気を鎮めておりました。 みなさんはお元気でしたか?

さて、過日のこと。原稿を書いていて「ん?恋バナってもう死語かも?」とふと思い、Z世代の女子に聞いてみたら「え?まぁ意味はわかるンですけど~、ガールズトークとかって言っちゃうほうがいいかも~」って感じで…この後暫く昭和の言葉トークが続きました。

読者さんたちは次の言葉で聞いたことがあるものは?

➀話がピーマン ②ウルトラC ③ドロンします ④バタンキュー ⑤C調

まぁ、五つくらいにしておきますが、全部わからない人が70%くらいでしょうか?これは、昭和時代に流行った言葉で、①から順番に簡単に解説をすると

①中身の無い話。1970年代終わり頃の流行語。ピーマンの中が空洞なので、内容のない話はピーマン話で「頭がピーマン」というと、何も考えていないこと=あたまが空っぽなどのたとえ。

②1964年東京五輪の体操競技でのこと、その当時の最高度Cを超える技「ウルトラC」が三つ出て、あっと驚くような離れ業を決めることをウルトラC!というようになりました。

③手裏剣を投げるしぐさと共に、シュッシュッ…と去って行く。これは「あ~もう帰りたいなぁ」シーンで(面倒くさい飲み会などなど)「ごめん、ここでドロンします!」でサヨナラ。定時退社したい時にもこの「ドロンします」が使われていたようです。

④倒れる時の「バタン」と気絶した時の「キュー」このふたつの擬音語が合体してできた言葉。疲れ果ててベットに入った途端に寝てしまうような状況。アニメの世界では今でも使っていて、「妖怪ウオッチ」では「バタンQ」が登場するのだそう。

⑤調子良く軽いノリ。由来はバンドマン用語で「調子」のひっくり返しでできた言葉遊び説と、C調=ハ長調。ハ長調音階は明るく調子が良いことからとの説もあり。(6/14日経新聞を参照) ざっとこんな感じです。

昭和生まれのエミールは①から⑤まで全問正解でした。うれしいような…複雑な気も。

ところで、一部の女子の間では静かに昭和ブームとか?なので、私の幼年時代の昭和の風景をお伝えしますね。ものが溢れスピード社会になってしまったので心が休息を求めている時に思い出す、エミールの心の中にある「幸せの寸法」です。

ほっこりとした雲の形と、雲の合間から恥ずかしそうに顔をみせる初夏の太陽。初物のスイカとまくわ瓜(現代のメロンです)を並べて、今日はどっちから先に食べようかねぇ、とばかりに見比べている母の姿があった。真っ白い割烹着と庭に並ぶ野菜や果物たち。

昭和35年くらいのことかしら。とすれば私は七歳の夏で、小学校の低学年。きっと「スイカのほうがいい~!絶対にスイカ、スイカ~!」と黄色い声をあげて母のまわりをグルグル回っていたのではないかと思う。(黄色い声とは、誰が言い出したのか、なかなか鋭い表現ですよね。かん高い声の色にはやはり黄色がピッタリ。)

スイカは井戸に入れて冷やし、まくわ瓜は仏壇に上がる。茹でたてのそうめんに、お箸を添えたものと香りの良いお茶。いつもおばあちゃんは、のの様(仏さま)を大事にしないとバチが当たると言っていた。そして、もし家が火事になったときには、御位牌と過去帳を持って逃げれば、その後どんなことがあっても必ずご先祖さまが守ってくれると言っていました。

そんな背景も影響していたかもしれないけれど、幼い私にとって、のの様と閻魔様は一目を置く存在。もちろん神様にもおそれを感じたけれど、のの様と閻魔様の方が子供心には身近だった。(特に閻魔様の場合は、もれなく地獄絵付きなので、幼い頭の中でそれはもう、凄い迫力だった。)

私ばかりでなく、当時の家族構成は3世代にわたる同居だったので、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らしている家庭の子がほとんど。クラスの半分はおじいちゃん子か、おばあちゃん子だった。きっと、その子たちも私同様「うそつくと閻魔さまに舌をぬかれるよ」と言われながら育ったに違いない。

ところで、私のおばあちゃんの生まれは、明治9年11月なので生きていれば、149歳! ずいぶん歳が違うけれどおばあちゃんとは、クラスの誰よりも真の「友達だった」。仲良しとか理解者とか色々な表現方法があるけれど、そのどれとも違う。先生とか保護者とも、また違う。しいて言えば信奉していたとか、そんな感覚なのかもしれない。

もの知りで好奇心旺盛。手先が器用で何でも魔法のように作ってくれる。第一号は私が生まれた時に作ってくれたティディベア。と言っても、おばあちゃんは洋風のクマさんぬいぐるみなんて知らないから、イヌとクマが合体したような感じのものだった。約36センチ。名前は、トム。素材は布団綿と洋服の余り布。

抱っこしたり、おんぶしたり、一緒に寝たり、ままごとのお客様になったり、トムちゃんは、私の生活の空間すべてにいた。 トムちゃんは、晴れた日には物干し竿に吊るされ風に揺れていた。寝ても覚めても一緒にいるので涙もご飯粒も鼻水も何もかも一身で受け、汚れでメチャクチャ。それでも、片時も離さない私の手から何とか理由をみつけて洗濯をしていた母は、いったいどんな事を言って私を諭したのだろうか? 乾くまで3時間くらいかかったので、何回も何回も、もの干し竿のところまで行って最後はトムちゃんの下で寝てしまう私。母はどんなふうになだめたのだろうか。

今の時代は、たくさん物があってお金があれば何でも買える。一歩外にでると近くにお店があるし、スマホひとつですぐ手元に届く。雨に濡れず歩きもせずに欲しいものが手に入る。便利でありがたいこと…。

でも、ほんの少しだけ淋しい気がする。うまく言えないけれど、ものはたくさん並んでいるもののカロリーが足りないような?無機質な感じ?とか、まだ買ってもいない前から飽きてしまった時の自分が想像できるような感じとか。そんなことが先行してなかなか、「これだ!」の感じにならない。つまり一目ぼれして、どうしても家に連れて帰りたくなるような“何モノ”かに出会えないのだ。

友だちは、そんなの老化現象よという。もう時代は変わったんだから、頭を入れ替えてリニューアルしないと置いてかれちゃうよ。なんてのたまう。でも、なんだかなぁ、と私は思ってしまう。

井戸で冷やしたスイカを大きなまな板の上でスパンと二つに割って、半分はお隣の家にお裾分け。そして、その半分はまず仏壇に、そしてその残りを家族で食べる。井戸で冷やしたとはいえ、スイカは十分に冷えてはいなのだけれど十分に冷たくておいしかった。小さな口にスイカを運び、夢中になって食べるうちに洋服は果汁で真っ赤。頬には黒い種が点々と散らばって、べたべた張り付くがそんなことはおかまいなし。 オトナになったら塩をかけて食べようと思いながらも、でも今はダメ。せっかくの甘味がしょっぱくなるからと、子供の味覚論はスイカに塩は退場だった。

そうだ、もうひとつ。とっておきのやさしい思い出があった。祖母や両親は何気なくはしっこのほうを食べて子供たちには真ん中のところを食べさせていたのだった。

のの様からは、御線香のよい香りがして灯明が風で小さく揺れている。 この時代に心の中にあった物差しで測った寸法が、いつしか私のしあわせ寸法の基準になった。

トムちゃんは、ケースに収められて私の家のリビングで一緒に暮らしている。 隣に貼ってある写真を見ると同じくらいの身長の私が、トムちゃんを精一杯抱えている。

ぷくぷくにふくらんだ両手イッパイで、ぎゅーっと抱きしめながらニコニコしているのは、きっと何か嬉しいことがあってご機嫌だったのね。長い人生、ずーっと、ずーっとなかよく一緒だったトムちゃんは、今でも私の力強いおまもりだ。

しあわせの寸法を書こうと思ったら、おばあちゃんやトムのこと、スイカに仏壇と、思ってもみない展開になってしまった。でも、どんなことがしあわせ?の基準を決めるものさしが、この時代に産まれていたことに感謝したい。

と…ややシンミリモードですが思い出すと元気になって、「よし!頑張って原稿を書こうか!終わったら遊びにいこう」と気分の切り替えになるのです。

しかし…昔の思い出に登場する、まくわ瓜やら物干し竿、こっれて先ほどの死語じゃないけれどほとんど死後の世界みたい(T_T)

でも、ホントにあったのですよ、こんな時代が…。 ちなにみ当時飼っていた犬の名前も「トム」、素敵でしょう? お~TOMUかぁって…。でも祖母にどうしてこの名?って聞いたら「え?だって富む」っていい感じでしょう(汗

今回はこんなお便りです。皆さん、夏バテに気をつけて過ごしてね

エミール

これが現在のトムです。

お話/神野さち(エミール・シェラザード)先生

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